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羊の瞞し

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残酷な運命に翻弄される、二世調律師の成長譚。物語はフィクションですが、楽器業界のリアルな裏話を交えながらお届けいたします。約22万文字の長編になります。
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2023年11月の記事一覧

羊の瞞し あらすじと目次

羊の瞞し あらすじと目次

【目次】第1章 MELANCHOLICな羊

(1)ファミレスにて〜プロローグに代えて〜
(2)ショールームにて
(3)地獄の審問
(4)釣堀
(5)ドイツのピアノ
(6)釣果
(7)騙すこと、騙されること

◉第1章のまとめ読みはこちらから(他サイト)

第2章 NOSTALGICな羊

(1)はじまりのノクターン
(2)家族のノクターン
(3)崩れゆくノクターン
(4)凋落のノクターン
(5)

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羊の瞞し 第1章 MELANCHOLICな羊(1)

羊の瞞し 第1章 MELANCHOLICな羊(1)

(1)ファミレスにて〜プロローグに代えて〜

「あのぉ、ブラインドを下ろして頂けますか?」

 ファミレスの窓際の席で隣席から女性に声を掛けられた時、松本響はコーヒーをチビチビと飲んでいた。
 嗜んでいた、とスマートな表現を用いたいのが本当のところだが、実際の行為は「味わう」という舌の快楽に比重は置かれておらず、また身体や脳の要求に応えた行動ですらなく、無為で機械的な「摂取作業」と化していたのだ。

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羊の瞞し 第1章 MELANCHOLICな羊(2)

羊の瞞し 第1章 MELANCHOLICな羊(2)

(2)ショールームにて

 松本響が勤める会社、「ピアノ専科」のショールームは、土足厳禁になっている。その為、来店した客に驚かれることも多い。確かに、ピアノのショールームとしては珍しい様式だろう。
 しかし、日本の住宅環境では、ピアノを設置する場所の殆んどが土足厳禁のはずだ。この事実を逆手に取り、「より家庭に近い環境で音を確認していただく為、敢えて土足厳禁にしている」……そう説明するように義務付け

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羊の瞞し 第1章 MELANCHOLICな羊(3)

羊の瞞し 第1章 MELANCHOLICな羊(3)

(3)地獄の審問

「次は……草薙君だ、やってみろ」
「はい」

 草薙清暙は、ピアノ専科に入社してまだ二ヶ月にも満たない新人だ。だが、新卒という意味ではない。年齢は二十代半ばで、少し前までは他社で営業をしていた男だ。
 ピアノ専科には、調律学校からの新卒者が入社することはまずない。業界での評判が悪過ぎる為、批判を恐れた全国の調律学校は、ピアノ専科への就職斡旋を自重しているのだ。なので、現在の社員

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羊の瞞し 第1章 MELANCHOLICな羊(4)

羊の瞞し 第1章 MELANCHOLICな羊(4)

(4)釣堀

 前日にGoogle Mapで下見した漆原宅を実際に訪れてみると、航空写真からの想像以上に、立派な大邸宅だった。門戸にある古びた厚い木製の表札には、「漆原良一」とだけ刻印されていた。事務員に貰ったデータを見ると、依頼者は六十代以上の欄にレ点が打たれている女性、漆原絹代様……おそらく、良一の妻と考えて間違いないだろう。
 アポの時間から二分過ぎるのを待ち、松本はインターフォンを鳴らした

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羊の瞞し 第1章 MELANCHOLICな羊(5)

羊の瞞し 第1章 MELANCHOLICな羊(5)

(5)ドイツのピアノ

 まだ、内心では完全に怒りが収まっていないであろう絹代だが、表向きは、平常モードまで鎮まっているように見受けられる。基本的に、怒りを爆発させる人の方が切り替えも早いことは、経験上、確信していた。
 逆に、怒りを抑えつつ、ネチネチと陰湿に文句や不満を口にする人の方が、質が悪いのだ。幸い、絹代は典型的な前者だ。まだ不平不満は解消し切っていないだろうが、松本は、彼女のことを容易に

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