人間としての情緒を育てよ

おはようございます。
心理カウンセラー 池田廉です。

この記事では、数学者 岡潔さんの教えをもとに、
私の考察を交えながら「人間としての情緒を育てよ」について解説します。

まず最初に、岡さんの教えの根幹となっているのは、
「中心にあるのは心」という思想です。

数学者という肩書きからは想像し難い思想の持ち主ですが、
学問において中心となるのは人であると考えていました。

様々な教えがありますが、特に重要であると感じた説を、
一つずつ紹介していきたいと思います。

「成長は遅い方がいい」

人こそ学問の中心であり、人に対する知識や理解が大切である。

成長速度が速い人ほど優秀と称されがちですが、
じっくり時間をかけて人間性を成熟させることも大切である。

いかがでしょうか。

この教えに私はとても共感しました。
人間性を成熟させるには、短期間では難しく、何年も何十年もかかかる。

日々の積み重ねによって、人は創られていく。
人生は選択の連続ですよね。

その選択にどれほど丁寧に向き合えたか。
自分のため、他者のため、心に正直になれたか。

こういったことの積み重ねが、人間性を成熟させていくのでしょう。

「今日の情緒が、明日の頭を作る」

情緒とは、人の心を指します。
情緒がなくなることは、心が無くなることと同じです。

情緒が無くなると、心のセンサーが鈍くなります。
心のセンサーが鈍くなった末に、腐敗します。

人々の心が腐敗してしまうと、社会も文化も悪化します。

そうならないために、直観を鍛え、善行を重ねるのです。

「純粋直観」という言葉があります。
これは昔の日本人が持っていたものです。

「純粋直観」とは、自分にとっての正しさを信じ貫くことです。

この純粋直観が失われると、他人の真似しかできなくなるのです。

現代の日本人の多くは、どうでしょうか?
他者の真似で溢れていませんでしょうか。

他者の真似をしたり、流されることは楽です。
しかし、時には、自分の正しさや信念を貫くことも大切にしたいですね。

見て見ぬ振りは、加担と同じこと。
勇気を持って、それはいけないことだと意思表明する心の強さを求めましょう。

「少しも打算の入らない行為」 これを善行と言います。

損得勘定の要素を薄め、道義的センスを身につけましょう。

道義的センスとは、人の悲しみが分かることです。

悲しみを知らぬ者は「雑」であると岡先生は説いています。

国語や歴史を通して、日本的情緒を学びましょう。
これが、「人を思う心」に繋がります。

繊細な感性を大切にして、人間性を磨き、
思いやりを持って生きていきましょう。

この記事を書いている私自身も自身に戒めながら書いてみました。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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