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嫌いなところも抱きしめられるか

人と比べるなって何度も言ってるのに比べる自分が本当に嫌いだ。
比べて悲観するからSNSだって離れていたはずなのに、友人の思わせぶりなツイートに心を乱してしまった。だから言っただろうに、と自分で自分が嫌になる。最近は幸せな日々を送っていたから、簡単に自分の気持ちは沈むってことを忘れてしまっていたみたいだ。いくら幸せなことがあっても、いくら自分でも幸せだなと感じていても、ちょっとしたことで落ち込むし、幸せだったことが遠い昔のように感じてしまうのは何故なんだろう。
人と比べても良い、けれど他人の幸せを祝えないのは悲しい、と今日見た雑誌に田中みな実さんが答えていた。心の余裕がないときには無理に向き合わなくても良いと。でも、心に余裕があったはずなのに、真っ黒に心が潰されてしまった私はどうしたら良いんだろう。

目の前で幸せな報告を聞くとき、私は自分の負の感情を一切出さないようにする。他人の幸せを妬みや嫉みで塗りつぶすようなことはしたくない。幸せな報告に自分のぽろぽろとした感情は必要ない。驚きの感情とおめでとうという感情の2つでその空間を埋めたい。そのほかの感情は、いらない。
そしてその友人と別れた後、どっと気持ちがぶり返してくる。真っ黒い感情に支配されるのだ。


自分だけの感情。誰も知らない、自分しか知らない感情であるが故に、嫌いだなと思ってしまう。比べたって意味がないし、きりがない。負のループでいいことなんて何もない。それが分かっているのに何度も繰り返してしまうのはどうしたらいいんだろう。情報をシャットアウトして閉め出したって、人間としての営みをしていればどうしたって入ってくる。友人じゃなくても、ニュースとして入ってくる。その度ごとに疲弊して、疲弊して、自分が自分じゃなくなりそうで怖くなる。

結局自分が大好きなんだ、って前に記事を書いたけれど、こういうところはどうしても難しい。でも自分でさえ嫌いな自分を、他人に愛してもらうなんておこがましすぎる。そうなると、やっぱり最後に許して愛してあげて、救ってあげるのは自分自身なんだろう。
今はまだ気持ちの整理はつかないけれど、ちゃんと向き合ってあげないとな、と思う。

いつもたくさんありがとうございますっ!