見出し画像

【読書エッセイ】暮らしを見つめ直せる一冊

暮らしを色鮮やかにし、いまも傍らに寄り添う特別な一冊を紹介いただく本エッセイ。
①森優子さん(旅行エッセイスト)⇒②山口花さん(作家)⇒③上田聡子さん(作家)⇒④柳本あかねさん(グラフィックデザイナー)⇒⑤松原惇子さん(エッセイスト)の豪華リレー形式でお届けいたします。
今回は、上田聡子さんに、エッセイスト・石田千さんの文章の魅力について綴っていただきます。

【今回の一冊】『窓辺のこと』

著:石田千
発売:港の人/定価:1, 980円(本体:1, 800円)
エッセイスト・石田千が2018 年頃に発表した連載・エッセイをまとめた一冊。自身の暮らしのなかに見つけた小さな発見や感傷を、一つひとつていねいにすくい上げている。装丁・挿絵は、画家の牧野伊三夫が担当。

遠くの友へ絵はがきを

 中学生のころ「どんな時間が好きですか」と聞かれて「ぼうっとしている時間が好きです」と答えたら「らしいねえ」と笑われたことがある。頭をからっぽにして空を見上げること。日常のすきまに、ふとまどろむこと。そんな時間を十代のころは大切にしていた。

 大人になると、日々あくせく過ごしたり、心に余裕を持てなかったりすることがある。そんなときは、本棚から石田千さんのエッセイを手に取り開く。文字を目で追っていくだけで、まるで魔法にかかったかのように、私の体内時間がさっきまでとは違いゆるやかになっていく。

 千さんのエッセイはたくさん持っているが、なかでもこの『窓辺のこと』はたいそうお気に入りの一冊となっている。五十歳になった千さんが、日々の暮らしのことを短いエッセイにまとめている作品集なのだが、どこから読んでも、千さんが季節のあれこれ、日々のよしなしごとに向ける視線の柔らかさにほっとするはずだ。

 千さんの綴る文章は、ひらがなが多く柔らかい。そして生活のなかでほとんどの人が見逃してしまうような、ほんの少しの心細さやぬくもりも、拾い上げてエッセイにされている。

 水もいい空気もいい旅先の、喫茶店のおみやげのコーヒー豆。早生のりんご「さんさ」が青果店に並んだのを見て思い出す、家族でりんごを朝に食べた習慣。世話する人がいなくなったあじさいを、また梅雨の時期に見に行く。齢をとり、めし碗を母がくれた猫の柄の小ぶりなものに替える。

 そのような何気ない日々のことが、『窓辺のこと』のはじめから終わりまで、手ざわりと温度のある文章で並んでいる。日々の記憶は煮立っている粥に浮かんでは消えるあぶくのようだと思う。温かくて透明なあぶくは、次々現れるけど、よくよく見ないと消えていく。消えてしまう前に、千さんは上手にそれらをすくって、言葉にとどめていく名人だ。

『窓辺のこと』には「絵はがき」というエッセイが収められている。大学の四年間、絵はがきやでアルバイトをしていた千さんは、今でも絵はがきを書いて友人知人に送るのが日々の習慣となっているらしい。

「絵はがきを書いて、勝手に送る。相手はもらうと嬉しいのかどうか、考えたことはない(本文より)」

 絵はがきを送る背景に「コンピューターに、携帯電話に、一日に数えきれないほど、知らないところからメールがくる。開かず消すものがほとんどで、ざくざくざくと捨てていると、ひょろんと知り合いのものがまざっている。返事をすると、すぐまた、返事がくる(本文より)」といった現代のメール文化への違和感が千さんにはあるようだ。

 メールは便利だ。でも、絵はがきをもらう嬉しさ、反対に出す嬉しさを私はこれを読んで思い出した。手紙は書くのにも時間がかかるけど、絵はがきはさっと走り書きして出したってかまわない。

『窓辺のこと』を読んでから、遠くの友やお世話になった人に絵はがきや手紙を書くようになった。下手な字だとしても、私の笑顔を友の家まで届けるように。

 ぼうっとしている私の隣で、日々笑い合っていた友も、子育てに仕事にてんてこまいの日々を送っている。私が千さんのエッセイを読んで、気づけば変わっていた季節に思いを馳せるように、友に書いた絵はがきが、ほっとするひとときを日常で持つきっかけになったらいいなと感じた。

 絵はがきは、離れた親しい人に届ける、即席お弁当のようなもの。手はかかっていないけど、気持ちが伝わる、そんな嬉しさを隠し持っている。そんなとっておきのプレゼント、使わないわけにいかない。

 千さんの言葉を読んでいると、日々の忙しさにささくれていた心が、いつの間にか凪いでいる。暮らしのまわりに変わらずいつもあるものたちが、実は温かな光を放っていたことに気がつく。十代の私はこういう光を集めたかったのだなと、大人になったいま感じる。

 人生という散歩の途中に、いろいろ寄り道して面白いものを見つける千さんの視線をたどりながら、私も暮らしのなかで、見逃していたきれいなものや名前のつかない気持ちに目を向けていきたい。

【執筆者プロフィール】
上田聡子(うえだ・さとこ)◆石川県出身。「note」に「ほしちか」名義で作品を投稿し話題になる。著書に『金沢洋食屋ななかまど物語』(PHP文芸文庫)がある。

初出:『PHPくらしラク~る♪』2021年12月号
※表記はすべて掲載時のものです