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【読書エッセイ】「信仰」の意味に気づいた一冊

暮らしを色鮮やかにし、いまも傍らに寄り添う特別な一冊を紹介いただく本エッセイ。
①森優子さん(旅行エッセイスト)⇒②山口花さん(作家)⇒③上田聡子さん(作家)⇒④柳本あかねさん(グラフィックデザイナー)⇒⑤松原惇子さん(エッセイスト)の豪華リレー形式でお届けいたします。
今回は、森優子さんに、「信仰」に対する気づきを与えてくれた本と忘れられない体験を綴っていただきます。

【今回の一冊】『のんのんばあとオレ』

著:水木しげる
発売:講談社漫画文庫/定価:825円(本体750円)
概要:漫画家・水木しげるが自身の少年時代を描いたエッセイ漫画。水木家の近所に住む老婆・のんのんばあから聞いたお化けや妖怪の話、隣町のガキ大将との攻防戦など、楽しくも切ない思い出が綴られている。

信仰と共に在るとは

 全世界とはゆかないまでも、これまでぼちぼち多様な地域を歩いてきて感じているのは、どこのどの人種であれ、基本的な感受性にはさほど差がないということだ。

 金色に輝く夕陽を見たら、「美しい」。

 赤ちゃんを見たら、「可愛い」。

 眉間にしわを寄せた人がいれば、「きっとあいつは気難しい奴だ」。

 ショパンの『葬送行進曲』を聴いてヤッホ~と踊りだす人はまずいないし、また石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』を披露すると十中八九で「沁みるねえ」「女の悲恋を感じる」といった反応が返されるのである(歌詞の説明無し・ど素人の歌唱力で)。漢民族もマサイ族も、色恋を断って生きてきたはずの僧院のシスターでさえも、ほぼ同反応というのが注目ポイントだ。

 個々の好き嫌いや思考の一歩手前にある、生きるために持ちあわせた共通のもの。それを本能と呼ぶのなら、その最たるひとつは信仰心であるように私は感じている。もう単純に、人間が暮らす場所で信仰のない所はおそらくないからである。

 昨今は信仰離れが進みつつあるとはいえ、キリスト教・イスラム教・仏教などのメジャー級はもとより、土着の民間信仰、妖精やお化けにまつわる伝承や風習も、まだまだ日常レベルで各地に生き続けているようだ。
二つばかり、体験談を紹介しよう。

 ① インドの村で「犬に噛まれた足の傷が病院で治らない」と嘆いていた老女が、足を引きずりながら向かった祈祷師の家からスキップで帰宅するのを目撃した。

 ② ルーマニアの農家でうっかりハチに刺された時、女主人が向かいの家からもらってきた薬草らしきものを貼ったらたちどころに腫れが引き、喜んでいたら、女主人が「やっぱ効くねえ。向かいのミロナは魔女だから」と言った。

 以上、平成・令和の話である。

 科学的根拠や、無神論・無宗教がどうこうといった話はともかくとして、野生動物としては弱い生き物であるはずの人間は、なんだかんだそんな感じで数千年を生きのびてきたのだろう。

 かく言う自分は人さまに自慢できるほど信心深くも霊感体質でもないのだが、きっと同世代の多くの方と同じように、神棚と仏壇のある家で育った。毎朝ご飯や水を供える役目を負わされたり、休みの日に墓掃除に駆り出されるのは正直面倒だったけれど、鈴をチーンと鳴らした瞬間には「良い子ポイント」が加算されたような、ホッとした気持ちにもなれたものだ。

 だから二十数年前、大人になってから『のんのんばあとオレ』を読んだ時には、自分にしっくりくるものに再会できた感覚を覚えたのだった。おりしも地下鉄サリン事件が発生し、世間では宗教的なものへの風当たりや警戒が強まっていた頃である。

 のんのんばあは少年期の水木しげる氏の近所に暮らしていた、祈祷や占いをとり行なっていた人物だ(のんのん=神仏の意)。彼女が語り聞かせる妖怪や霊の話がしげる少年に強い影響を与えたのは間違いないから、彼女がいなければ、いま我々が「一反もめん」や「砂かけ婆」の名をカジュアルに口にすることもなかったかもしれない。

「みえんからおらんというのが まちがいのもとじゃがナ」

 彼女にとって妖怪や霊は、忌み嫌ってやっつける対象ではなく、折り合いをつけながら「共に在るもの」だった。貧困や理不尽な死といった不幸が連なる物語なのに、救いや、どこかあっけらかんとしたものさえ感じられるのは、人々が「自分が悪い」「あいつのせいで」といった念や責任を人間だけの次元の中で溜めこまずに済んでいたからかもしれない。死の向こう側にある十万億土 (極楽)を、希望として携えながら。

 ちなみに私は旅先で宿に荷物を置いたら、まず近くの聖堂や寺を詣でることにしている。何かを祈願するというより、こんにちはと挨拶に行く感じだろうか。

 そういった場が好きでもあるのは、普段は威張っていそうなオヤジも腕白そうな子供も、いちおう神妙な面持ちをキープしているのがちょっと愉快だったりもするから。

 そう、「自分がいちばん偉い」と思っている人間が、そこには一人もいないのだ。

【執筆者プロフィール】
森優子(もり・ゆうこ)◆大阪生まれ。ガイドブック『地球の歩き方』などの編集ライターを経て1993年独立、イラストも含めた執筆活動をスタート。モットーは「私の旅をしくじってたまるか」。『旅ぢから』(幻冬舎)など著書多数。

初出:『PHPくらしラク~る♪』2021年2月号
※表記はすべて掲載時のものです