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ちょっと不便で愛しい街。

かつて、日常を彩っていたものは、何もない日々を必死でわたし色に染めようとして生まれた賜物だった。



何もなかったように見えた日々。

せいぜい半径1kmのなかで生きていた10年前。

この範囲内にはコンビニすらなかった。

これと言えるものは何もなかった。



だけど、そこがわたしのすべてだった。


四葉のクローバーの押し花、

「のぼーん」という未確認生物の行く末を描いた物語、

妹に読み聞かせるための絵本、の創作。

「きょうはなんのひ?」という絵本を模倣した母を巻き込んだ遊び。

カエル、タニシ、サワガニ、の捕獲。


限られた範囲内だったけど、あのときのわたしは目の前に広がる世界を全力で掴みにいっていた。
と、今なら思う。


「何もない」という言葉は便利だ。
そう言ってしまえば、思考することすらも放棄できてしまう。

ねえ、わたし。
いつからこの街には「何もない」と決めつけた?


何もなくなってしまった日々。

わたしにはビターチョコレートを食べた後のような後味がする2021年以降の1年半がある。

それは、有難く、様々な人と関わっていた期間だった。


しかし、

その期間はわたしの世界が自分軸ではなく、他人軸でまわっていた。

「ちょっとの不便」が本当に嫌だった。

段々、自分に対する感覚がおかしくなり、見える世界も身の回りの関係も明らかに歪んでいった。



何かを生み出そうとする日々。

わたしから見える世界をわたし軸で眺めてみる。

好きなことを「好きだ」と言ってみる。

心がぴくっと反応したものには触れてみる。

「ちょっとの不便」にわくわくしてみる。

そこから、何が出てくるか、考えてみる。

そんな今。

「ちょっとの不便」の先には何があるのだろうか。



どこでも住めるとしたら、


わたしが住む街は、車がないと生きていけない、とよく言われる。
そんな街で、わたしは自転車を乗り回して生きている。


わたしは、自転車に乗って過ごしているからこその、日々の美しさがあると思う。


もくもくと移動する雲と青空。
胸が詰まるほど透き通った空気。
思わずペダルを漕ぐ足を止めてしまう夕焼け。
静寂の中に佇む星空。

それらを全身で受け止めている。

どこでも住めるとしたら、

わたしは「ちょっと不便で愛しい街」を巡る旅をしながら生きていきたい。
たまに、この街に戻ってきながら。

そして、幾つ歳を重ねても、

ちょっとの不便が生み出す、欠片をぎゅっと抱きしめられるような人間でいたい。


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