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詩の解説「いずれにしても、それらはキリストの死体であり・・」

こんにちは。
葬儀のオルケスタ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
作曲家です♪

本日は、
先日にアップした
私の
「いずれにしても、それらはキリストの死体であり・・」
に関して、
簡単に解説補足をしようと思います
(難解なので(汗))

このは、簡単に言うと、
この地球上の
人間がいない秘境などの場所に、
キリストの磔刑像が現れる(現れている)

という不思議な物語から始まります。

しかし、その磔刑像は、
人がそこに訪れると
消えてしまうのです。

これは、
人の見ていない場所では、
トマトはトマトの形をしていないかもしれない・・

という哲学がありまして、
それを語ったものでもあります。

それはファンタジー的でもありますが、
人間は、脳の認識能力の限界によって、
トマトを、トマトの形にしか
見る事が出来ていない・・

という科学話でもあるのですよね。

つまり、
人の脳こそが、
トマトをトマトの形状に
閉じ込めているのではないか?

というお話です。

さて、この詩は、
途中で全く別の描写、形式の詩が挟まれていて、
それがこの作品を難解に、
理解をより困難にしてしまっています
(あっはっはっ)

その挟まれる詩が
「遺骨としての牛の讃美歌」
というなのですが、
この詩が対位法の様に混入される事で、
本詩のテーマは
より立体的になるのです。

ここで登場する歪な天使達は、
実は細菌線虫達なのですが、

牛が死ねば、その死骸は
天使達により分解される様に、
この世界の秩序は、
実は[死]の中にさえ保たれている・・
しかし、
人の社会は、
かつてキリスト(真理)を十字架に架け、
驕りと欲望に執着する道を選び、
自ら[世界の本質]を見る栄光を
手放してしまったので、
2度とその真理(キリスト)を
手にする事は出来ない。

という皮肉的な題材が
ここで語られます。

そういう呪いを背負った社会が
人間社会・・
という事なんですね
(だから決して
不思議なキリストの磔刑像
人間は見る事が出来ない
(意識的に・・))

そして、
この詩のもう一つのテーマは
[壮大な再生]です。

牛の腐乱死体という
グロテスクに見える死の中にも、
[微生物による分解]という
神の再生の計画があり、
人間の倫理観では、
その悪臭に惑わされ、
悪霊の爪への恐怖から、
それらの[真の聖性]を把握する事が出来ない・・
という話がこの作品には
込められているのです。

あくまで感情の枠から外に出る事が出来ない
[人間社会の浅さ]

皮肉った作品という訳です。


「いずれにしても、それらはキリストの死体であり・・」
黒実 音子


マグマの流れる不毛の荒野、
それは死滅へ向かう
血管輪の模倣の様に、
熱を持ち、
命に排他的な神域である。

ああ、
神の傷口・・
神の血・・

だが、それは
冷静で静寂な湖でもある。

死骸(コープス)そのものは、
とうの昔に無くなり、
今では磔刑像(コルプス)が
その代役となっているが、
いずれにしても、それらは
キリストの死体であり、
過去の死は語る事は無い。

厳粛な[青い死]こそが
地上の悲しみであり、
我ら罪人の罪を嘆くのだ。

ああ・・
マグマの流れる不毛の荒野・・

決して人が訪れる事の無い
誰も観ていない地で
キリストの横臥像が置かれている。

その周囲を這い回る
テゴゴロと呼ばれる心臓・・
または巨大巻貝・・

彼らの臓物に巣食う
天使アンジオストロンギルス達の作り出す
アネクメーネ的なヴィブラフォンが、
世界の終末に向かって眠っている
(天使ギロイデスの終末の喇叭が
マラ・アリアを奏でた後で
これらの冷たい
ヴィブラフォンが鳴り響くのだ)

それはいわゆる
悪い空気の後に訪れる
人の魂(ケルペル・テンペラトゥール)を破壊する為の、
長調の熱と
同主調のセロ・アブソリュート、
近親の腐肉(カローニャ)による
非常に礼儀正しい形式的なソナタである。

だが、これらは実際は
[盲信的な融通の利かなさ]を秘めており、
[地上]という心臓の
異所性の動脈を三重結紮するという
再建の為の破棄でもあり、
[無慈悲な死]は、
壮大な再生でもある。

すなわち、
気取った幼い指揮者も把握できぬ
外科医達による
別の視点の計画があるが、
外科医達は驕り高ぶる近視である為に、
彼らはいつまでも
世界の真理を見る事が出来ない。
結局は、誰も
命の無い這い回るテゴゴロを
制御する事など出来ないのだ
(そして、ああ!!
それこそが芸術性である)

テゴゴロ・・
この無機物である貝類は
溶岩地帯に横たわる
キリストの木彫りの横臥像や
ティトゥルス・クルシスの板の上を這い回り、
ラテン語を永遠に呟いている。

◇◇

【遺骨としての牛の讃美歌】

[遺骨としての牛の讃美歌]は
華麗な以下の楽章からなる。

■■提示部■■
まず
[蛋白質の変性(デスナトゥラリサシオン)]
という詩が朗読される。
結束が崩壊し、
体裁を成す事を辞めた兄妹姉妹達による
[自己融解]という名の
舞踏会が開催されるのだ。

名門フィルミクテス家の
クロストリディオイデス・ディフィシルという男が
鍵盤の反り返った
歪で奇怪なピアノを鳴らし、
第一主題の
不安定な動機が終わりを告げる。

腐敗した血(ワイン)が
[肉質的(コルポレウス)]と書かれたフラスコに溜まり、
死斑という凡人の聖痕を現出させる。
それは未熟で尊大な
天使の指揮者であるミャロンによって
全パートがハ音記号で書かれる楽譜の
インクに使用される。

そうして
腸内(レクトゥム)や土壌(ソロ)と呼ばれるホールから
バシラス家の子供達や
エスケリキアの犬達が賛美の合唱に加わり、
[腐朽期]と書かれたコーラス本を振り回し、
口から醜悪な悪臭を放つ。

皿の上にあった肉は、
すっかりスープとなり、
その中を
蛆(アスティコット)という
バレリーナ達が泳ぎ回る。

悍ましい腐肉(カローニャ)の饗宴・・
悍ましい腐肉(カローニャ)の沼地・・
だが[悲惨の中の聖性]は存在し、
天使達はヒポドリア的な短調によって
魂を慰め、
再び、牛を神の牧草地へと開放する。
[腐乱の中の神聖]は
短調で表現されるのだ。
それは第二主題の提示である。

■■展開部■■
シルフィと、
マクロシェルと呼ばれる農夫達は
ほつれたストラを羽織り、
割れた朽木のビウエラを弾きながら
神を讃え、詠唱する。

「ああ、磔刑像(コルプス)からは、
金色の囲蛹殻と蛆が湧き出、
聖性を祝福する。

聖霊達は鼓舞し、詠唱する。

聖性を祝福する。
聖性を祝福する。
聖性を祝福する。

ああ、
金色の囲蛹殻と蛆が湧き出・・」

その様にして
名も無きミサは行われる。

■■再現部■■
[蛋白質の変性(デスナトゥラリサシオン)]
という詩が
再度、朗読される。
死が笑い、
[カダーヴェル]と書かれた旗を振り回している
(旗の裏地には、
[回帰(レグレッシス)]と書かれている)
あらゆる皿やテーブルが割られ、
体を成さなくなった舞踏会は解散するが、
会場は神の威光を恐れ、
散り散りになった者達に捨てられ、
放置され、荒れ果てる。

■■終結部■■
牛の死は無慈悲だが、
神の御業である・・

◇◇

■■概論Ⅰ■■
世界は栄光に包まれ・・
(イル・モンド・イ・チリコンダート・ダラ・グロリア)

■■概論Ⅱ■■
世界は涙(ラグリマ)に包まれ・・
(イル・モンド・イ・チリコンダート・ダ・ラグリマ)

■■概論Ⅲ■■
世界は蛆達に包まれ・・
(イル・モンド・イ・チリコンダート・ダ・ベルミ)

◇◇

誰も訪れない、誰も観ていない場所で・・
常にミサ・シネ・ノミーネは行われている。

そして、誰かが訪れた時点で
炎に包まれた岩場の
倒れたキリストの像は消える。
そうして世界は
[神は不在]という辻妻を合わせ続ける。

遥か昔の・・
人類の[あの過ち]以来、
キリストは愚者の目に止まる事は
もうないのだから。

しかし、人のいない地では・・
暗い海底や、夜の砂漠や、火山の火口では
キリストの横臥像が横たわり、
哀しみとも、無情とも言える表情で
世界を見つめている。

人(感情)の存在しない地では、
世界は常に正常であると言える。




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