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詩「ガリラヤの海 ~打ちひしがれる不幸から、焚火の前での幸福な団欒~QUIA VIDISTI ME, CREDIDISTI. BEATI, QUI NON VIDERUNT ET CREDIDERUNT!」

「ガリラヤの海 
~打ちひしがれる不幸から、焚火の前での幸福な団欒~
QUIA VIDISTI ME, CREDIDISTI.
BEATI, QUI NON VIDERUNT ET CREDIDERUNT!」
黒実 音子


おお、ガリラヤの海よ!!
濁った灰緑色の海よ!!

臓物が崩壊し、
血中に溶け出す様に
魚(ムシュト)の死骸が
お前の水に溶けだす様を・・
そして、それにより
見よ!!
病んだラプラス分布の尖度を!!

増殖した虫共の蔓延る疫病を
私はキリストと共に見た!!

これから起こる
十字架上の御業の苦しみを知りながら、
主は微笑み、
世界の秘密を
私に教えてくれたものだ。

主は仰られた。

打ちひしがれる不幸から、
焚火の前での幸福な団欒、
そこに内包される死を
我々は本当の意味では
何も認識する事は出来ない。

それは
実在しないものでありながら、
確実に存在し、
故に、幸福の中の不幸、
不幸の中の幸福を
極少の無限の地上で
探し求めるべきなのだ。

連続的確率変数の世界では、
如何なる一瞬の中にも
あらゆる楽園が存在し、
それを天使達は
感情の無い目で見つめる。

おお、ガリラヤの海よ!!
濁った灰緑色の海よ!!

私は見る事になった。
キリストを十字架に架ける人々を。
その人々の幸福と苦しみを!!

農夫肺(プルモン・デル・グランヘイロ)の
蝕まれた臓物の悲惨と、
死の絶対的な救済・・
破傷風の緊張した筋肉の嘆きと、
全能のコメディ・・
物語の幸福な終止を認識しながら、
現実的に殺される魂(アルマ)・・

切れ目のない無限の内部(オルガン)の連続性と、
有限性の数字の漁・・

ああ!!ホサナ!!
キリストは数式的に逝き、
数式的に我々を救ったが、
その救いは低地では脆い。
我々は認識を求めて彷徨ったままだ。

「わたしを見たから信じたのか?
見ないのに信じる者は幸いである」
QUIA VIDISTI ME, CREDIDISTI.
BEATI, QUI NON VIDERUNT ET CREDIDERUNT!

彼は、世界を微笑みながら許し、
一方で全く感情を宿していない
本当の優しさを
地上に散りばめてくれたではないか・・

相変わらずそれに気づく事が出来ない、
我々の肉(カルネ)は、
絶望的な世界の痛みに嘆きながら、
微胞子虫(マイクロスポリジウム)を目に宿し、
手足を縛られ、
生きたまま棺桶に埋葬される有限的な苦しみを
日々創造しては自分を殺し、
聖性の道を見失った天使の様に
さめざめと涙を流している。




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