我々はいつかは[死]を[敗北]を[喪失]を笑わなければならない
こんにちは。
葬送のオーケストラ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
の作曲家です♪
私、いつも考えるのですが、
貧しいからって、
趣味まで無理に
貧しさに合わせたもの
にする必要はないので、
割と小さい頃から
好きに自由に
贅沢な趣味を持つといいと思うんですよね
(何を以て贅沢か?
は人によって違いますが)
例えば
虫が好きだったら、
大学に行くお金がなかろうと、
独学で生涯、
虫の研究をしていけばいいんです。
そうすると、困窮して
趣味活できない時期なんて
山程ある事になるのですが
「私に合うのは金色の王冠」
みたいな精神は、
人生の中で色褪せないので
[生きる誇り]
というのが消える事はない。
意外と人生って
[生きる気高さ]
みたいなものこそが全てで、
それがないのにお金だけあっても、
よく見る
[卑しくて下らない政治家や実業家]
みたいになってしまう。
社会の言う通りに生きたけれど、
資産的には成功したけれど、
どこかに
強烈な劣等感
を常に抱えた連中・・。
人間って[物質]である以上、
人生の中で散々
[肉体的に敗北する事]
ってあるのですよ
(例えば病気、権力、財産)。
でも実は、
我々は常に脳で世界を見て、
脳の幻想で全てを判断しているので、
[敗北]なんて本当は本質ではなくて、
大事なのは
[魂の気高さ]
なんですよね。
敗北すらどうでもいいと笑える[気高さ]。
むしろ摩耗したり、
喪失したり、
汚れたりするのは
物質に依存する細胞である以上、
当たり前なので、
そこに執着しても無駄。
我々はいつかは
[死]を
[敗北]を
[喪失]を
笑わなければならない。
[魂の気高さ]を持った上で・・。
そして結局
[卑しい者達]というのは、
本質的にはそういう
[気高さ]を恐れているのですよ。
我々は、どんなに真面目に
神に誠意を持って生きていたって、
ナチスに銃口を向けられて、
路上で撃ち殺される事はある。
人生とは、それを知った上で
何を悟り、楽しむかが全て。
恐れて恐れて
身を要塞に閉じ込めた所で、
本質的な意味では
[何からも]逃れる事はできないと
私は思って生きています。
さてさて、
今日も私が日々思っている事の
一つを語ってみました♪
そんな私が作品を制作していく
オーケストラ
墓場(LA TUMBA)と、博物誌の
「墓の魚」を
これからも
よろしくお願いいたします~。
【1000視聴突破ありがとうございます♪】
「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した
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