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詩「ファド・ポトミーダ・リトラリスの詩 序論INTRODUCCIÓN(テキスト)」

「ファド・ポトミーダ・リトラリスの詩
序論INTRODUCCIÓN(テキスト)」
黒実 音子

ある子供が濁った川
(大人達が泥水と言うような川だが)
のポトミーダ・リトラリスを捕まえる為、
薄暗い藪の丘を登っていく。

マダニの多い不吉な灌木地も、
大昔に自然を嫌悪する
したたかな開拓者達が
上っ面だけ仕立てた牧草地も、
雨上がりには湿って、
死体の様に水気の服を誇る。

その下では
土壌のバチルス菌達が
悍ましい貪食の歌を
歌うのだろう。

◆◆ここで役者達により
バチルス菌の歌が合唱される◆◆


【ああ、
腐なるかな(CARROÑA)、
腐なるかな(CARROÑA)、
腐なるかな(CARROÑA)、

私達は小さな棒で、
忙しなく、忙しなく、
地上で肉を擦り減らす。

有る時点で時間に晒され、
ひたすら打ちひしがれる。
罪深い故に求め、常に飢え、
この世の野心の残骸を分解する。

作法も無く、蘊蓄も無く、
決して贅沢は言いませんが、
私達はいつも腹ぺこで、
散りばめられます。

しかし、私達は絶望しない肉なので、
地上が暴虐的な火に覆われても、
冷酷なツンドラに襲われても、
全く異なる栄光により蘇るのです】

◇◇

その時、子供は
茂みの中に何かの肉塊が
転がっているのを見つける。
穴熊(テショゴ)の死骸だ!!
巨大なカタツムリや蠅が
飛び回りる死体を見て、
子供は本能的に嫌悪し、
恐れおののく。
こういった山地で見る死は、
子供の母が
[悪霊達の晩餐(ジャンタアル・ド・デモーニョ)]と呼ぶ類のものだ。

「不吉だ。不吉だ。」
カタツムリが呟く。
「今すぐ家路に就くべきでは?」

子供は叫ぶ。
「そんな事ない!!
これは正常だ。
世界は、死や不吉な湿地を内包して、
常に正常なんだ!!」

川に行きたいという好奇心が
子供に勇気を与える。
子供は言う。
「死なんて怖くない!!
そうした営みすら、
土壌の蚯蚓(ミニョーカ)達の餌となり、
死は受容され、
イエス様は
世界の留まる循環も、
果ての遷移も愛して下さる。」

そうして子供は
林の奥に突き進む。
決して引き返さない。
雨上がりで増水した川に
ポトミーダ・リトラリスを探しに行く。

数日後にようやく
子供の水死体が
農夫達によって引き上げられる。

浅瀬の草むらに
打ち上げられた所を発見され、
陸にあった死体には、
何匹かの黒い湿地ダニが這い回り、
最早吸う事の出来ない
凝固した血を惜しんでいた。

◆◆ここで役者達により
湿地ダニの歌が合唱される◆◆

◆◆指揮者:指揮棒を
突き刺す様に振り回し、
ダニを演じる◆◆

【私達は美しい斑模様のダニ。
下品な赤ダニや、
犬ダニとは違います。
私達には節度と気品があり、
キリストがパンを分け与える様に
私達は死病を分け与えるのです。

草原にライオンが潜む様に、
湿地の草むらには
私達が潜みます。
清水に二枚貝(ポトミーダ)が暮らす
当然の美しさの中に、
当然の様に私達死は存在するのです。

神の一枚の絵画の中に
二律背反の如く、
平然と救いと悲惨が居座るのです。

不運なるかな(DUQUELAS)、泥の奴隷、
不運なるかな(DUQUELAS)、悪霊達の王子、
ああ!!アクロカリマ・メディカギニス!!
根腐病によって腐った根、
朽ち果てた門よ。】
◇◇
間に合わせの木の板に乗せられ、
白いシーツに隠され、
子供は丘を降りる事になる。

子供が丘を登る途中で見た光景は
永遠に語られる事のない
神の秘密となった。

村の大人達は嘆き、
両親は、その死体が
自分の子ではない事を願い、祈った
(その祈りは生涯、
続けられる事になるだろう)。

その後、亡骸は
村の小さな教会に運ばれ、
司祭を始め、多くの者が
祈りを捧げた。

すると突然、
子供の骸が起き上がり言った。
「これは正常だ。
世界は、死や不吉な湿地を内包して、
常に正常なんだ!!
そうした営みすら、
土壌の蚯蚓達の餌となり、
死は受容され、
イエス様は
世界の留まる循環も、
果ての遷移も愛して下さる。」

そう言うと、
骸は崩れ落ち、
それ以降、二度と動く事も、
物を言う事もなかった。

後に、人々は
その出来事について
何度も語り合った。

ある者は
「あの子は、
雨上がりの湿度のある山に入り、
悪霊に取り憑かれたのだ」
と言った。
「あの灌木地には
悪霊が彷徨うのだ」と。

また、ある者は
「あれは神の言葉であり、
神の起こした奇跡に違いない」
と言った。

だが、様々な事を言う者達はいたが、
いずれにしても
誰にも真相はわからなかった。

ただ、この世には
死というものが確かに留まり続け、
どんなに祈りを捧げても、
善人によって営まれても、
美しい木々が茂っていても、
それらは存在し続ける。
故に、悪霊というものが、
如何に呪われた所業を行ったとしても、
悍ましい死肉が
地上に置かれていたとしても、
キリストは
愛としてそれらを人に与え、
何処かで帳尻合わせをして下さるのだろう・・
と人々は語った。





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