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詩「ファド・ポトミーダ・リトラリスの詩 序論INTRODUCCIÓN(テキスト)Ⅱ」

「ファド・ポトミーダ・リトラリスの詩
序論INTRODUCCIÓN(テキスト)Ⅱ」
黒実 音子

ああ、
雨で増水した
川の濁流の中に立ち、
まるで
卑しいものを聖台に引き上げる様に
(EXALTAVIT HUMILES!!)、
己の罪(ペカトゥム)が
洗い流される事を祈りながら、
低き泥の中を掻き回し、
土中の貝(ポトミーダ・リトラリス)を探す。

その黒い二枚貝は、
老朽化したものも、
黄色いものもいるが、
いずれも神に身を委ね
(COMMENDATIO ANIMAEと叫びながら!!)
苦悩し、
粘稠の中で耐え忍ぶ石だ!!

貝を漁るその仄暗いミサは
ファドに似ている。

打ちひしがれながら、
未来も過去も無い
時間の死んだ小屋(カーサ)で、
(あるいは悲惨の中で!!)
我々は高き救済(サウドジズモ)に焦がれながら
それを歌うのだから。

ギターラは、
決まった思考、
決まった日常を
繰り返す我々の
人生の定旋律(カントゥス・フィルムス)を
毎夜毎夜、提示する。

それは時に
テノールとして引き延ばされ、
あらゆる歌の中に潜むのだ。

泥中の貝を採り、
冷えた身体で
アヴェ・ヴェルム・コルプスを歌いながら、
貝の中にキリストの卑賤を探す我々は
地上の苦しみの漁師だ。

聖なる卑賤は
俗的で可能性が限定化された地上の中に・・
忌わしい罪人の嗚咽の中に・・
あるいは
老いた物乞いの空虚な缶の中に
常に見出される
(ああ、神はいつも我々の隣に!!)

信仰とは・・
ファドとは・・
美しい聖歌や石(ビアンコ・カラーラ)の事ではない。
それは膿んだ傷口や、
血管の血管(ヴァサ・ヴァソルム)の歌なのだ。

病・・
老い・・
無慈悲な淘汰・・
顔の無い他者(アルテリタス)・・

ああ、
雨で増水した
川の濁流の中に立ち、
それでも土中の貝(ポトミーダ・リトラリス)を探せ!!

十字架に祈りながら、
それでも
何度も神を売ってしまう我々の愚かさも・・

生きる為に血を流し、
他者の命の基質(スビストラート)や、
哀れな内臓(ロプトリー)を破壊しながら、
それでも美しいギターラの音を
死骨に捧げるファドの悲しみも・・

全ては低く暗い泥の中にある。

高みとは常に低さの中にある・・




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