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詩「憂鬱にロブスターの外殻を砕き・・」

「憂鬱にロブスターの外殻を砕き・・」
黒実 音子




私は海を浮かび、漂っている・・

ふと思う。
家も、話し相手も無い
孤独な夜行性の魚(ガロウパ)にとっては、
昼も夜も同じであろう・・

ああ、私は今夜、
見知らぬ他人の葬儀が
行われている横で
逆さまの額縁を眺め、
佇んでいる。

酒場の路地裏に
大量に捨てられた
カニャディーリャ貝の殻の入った木箱の上を
ファドの音色が通り過ぎるのを
音の無い空気を纏わりつかせ、
地上に生まれてしまった
哀しい肉体で聴いているのだ。

まるで
ギターラの奏でる六度の音の様に、
湿度の高い夜だ。
食卓に置かれたロブスターに聴かせる
リズボア・ナオ・セジャス・フランセーザの様に
どうにも懐疑的で・・

そう思った時、
突如、路地裏のその景色を、
黒い波が・・
勢いよく通り過ぎる。

あらゆる街灯の色は溶け、
私は、底の見えない恐ろしい沖波に
自分が身体を
浮かべている事に気づく。

見覚えのあるカシュカイシュの海の
揺らぐ黒い水面に
既に命の無い木片や、
溺死した甲虫(ベゾウル)の死骸や、
ちぎれた褐藻の破片が
浮かんでは沈みながら、
私と共に、
遠方に見える離岸堤に
吸い寄せられていく。

その離岸堤は、
陸を遠く拒絶し、
孤立無援に、
何も無い海上に、
その漆黒の堤防を見せつける。
ああ、それはまさに
ベックリンの死の島だ!!

私は思った。
足下の海面の下には
命の藻場があるのかもしれない・・
だが、無機質な死の闇が
それらの吐息を全て隠し、
殺してしまって、
何もわからない。

腐敗して浮かぶ
海亀の死骸の周囲を、
波の回折(ジフラサァオ)が通り過ぎ、
過去の時間の葬儀を
厳粛に執り行っている。

その時、私は思い出す・・
一晩中教会で歌われていた
ミゼレーレの歌声。
台所で作られた
焼き菓子(パォンデロー)の匂い。
ああ、生きる事の無意味さよ!!
ああ、悔しさに泣いた論争の吐息さえ、
今となっては何の色も持たない!!

私は気づいた・・
労働の兄妹達よ!!
人生は全身全霊で
歌わされるファドなのだ!!
夜の街の灯に引き寄せられた
蛾の様な私達は、
そこから逃れる術を持たなかった。

身体が荒波により引き寄せられる。
私はただ一人、
荒れた海に浮かび、漂っている。

見上げると
離岸堤はもう目の前にある。
その壁に無慈悲に波が叩きつけられ、
激しい音を立てて崩壊する。
水飛沫達は、
残酷な海のしがらみから逃れようと
法肩から月を仰ぐが、
決して空には行けぬ。
条理は水の霊を逃がす事はない。

その時、
私の肉体が離岸堤の防壁に
激しく叩きつけられる。
そして、私は全てを思い出す。
ああ、そうだ!!
私は死者だ!!
死んだのだ!!
そして黒い波間を漂っている・・

私の体が粉々に砕け散る。
それは魂の記憶が、
個体への固執、
執着を捨て去る音に似ている。

堤防の天端に誰かが立っているが、
それが誰であるか
もう私にはわからない・・
しかし、
常に人生の片端に
誰かが立っていたではないか?
誰かに見張られ、
自分もまた、誰かを見張り、
羨望し、嫉妬し、
囚われていた・・

ファド歌手は、
常時、他者を認識していた・・
どんなにその歌が
純粋に研ぎ澄まされたとしても!!

ああ、我が人生よ!!
そういう事だ・・
全てが幻になっていく・・

政治闘争も・・
嫉妬も・・
友情も・・
傷口の痛みも・・
そういう事だ・・
全てがどうでもいい
夢になっていくのだ。

それはきっと
人生最後の救いだ。
幸福ではなく、救いなのだ。

遠くの対岸に街の灯が見える。
その橙色の灯が波に溶け、
滲んでゆく・・

その色に私は再び
あるファドを思い出す・・
人生という名のファド。
全身全霊で歌い、
憂鬱にロブスターの外殻を砕き、
フィナーレを迎える。

客席には誰がいたのだろうか?
最早、思い出せない。
結局の所、波に叩きつけられ、
黒い離岸堤の壁に砕かれ、
散り散りになる事。
ファド歌手はそれを知らないが、
その最後の瞬間の為に
我々は歌っていたのだ。

ああ・・
その片隅にいた見知らぬ他者にも、
私という無意味な歌い手にも、
どうか祝福を。
虚しいカーニバルの灯に乾杯を!!
醜さも、気高さも、
そして恐らく陰湿さにすら!
肩を組み歌う場所があった。

海亀の死骸は
回折(ジフラサァオ)に包まれた光の中で言う。

その壮大な街の灯に照らされた
夢の様な出生と、
それを一瞬にして打ち消し砕く、
無感情な防波堤の波の反出生が、
まさにこの世界の歌なのだ・・と。




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