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MST
2021年4月24日 09:18
前回は本当の被害者をめぐる闘争や加害者を必要以上に叩くゲームによってエネルギーが浪費され、長期的なシステム変革にエネルギーが費やされていないのではないか、ということを述べました。今回はそれに対する処方箋を考えてみたいと思います。つまり、自分こそが被害者であるという「被害者の代弁」や加害者を探して必要以上に叩く「犯人探し」ではなく、集団無責任体制の中で顔の見えない加害者が大量の被害者を生産す
2021年4月10日 15:53
前回までで設計者なきシステムが無限の被害者を生み出していく仕組みについて書いてきました。今回は無限に生産されていく被害者と顔なき加害者が作る時代の空気を書きたいと思います。被害者をめぐる闘争自分は1997年に生まれました。生まれた時にはすでにバブルが崩壊し、ちょうど97年をピークに会社員の手取りは下がり続け、銀行にお金を預けてもほぼゼロ金利で、中国に抜かれることはほぼ自明で、少子高齢化で自
2021年2月7日 11:50
前回は自分の立場が曖昧な中で他者と関係を作るという厄介な問題の解決を外在化することで気楽に生きる代わりに問題の解決は先に後回しにされてしまうという点まで記載しました。今回は、少し遠回りします。伝承館を訪れて先日一人で東日本大震災・原子力災害伝承館に行ってきました。地図で見ると事故が起きた第一原発のすぐそばに建てられ、震災の記憶を保存する役割を果たすものと考えられます。(2時間くらい展示を見
2021年2月6日 18:57
前回は犠牲と成長のシステムによって被害と加害の間の葛藤は長きにわたってお付き合いしていく感情ではないか?というところまで記載しました。今回は誰もが語りづらいがために問題の解決が先送り・他人任せになるという点まで記載して終わろうと考えています。前向きな忘却戦後哲学史では(主にハンナアーレント)忘却ということに対して多くの蓄積があります。それは主にナチスへの反省を継承し二度とあのような事件は起
2021年2月6日 10:44
前回まで何か問題があった時に自分も被害者でもあるし、加害者でもあるような気がしてしまうこと、そしてその葛藤は今後ずっと付き合ってはいかなくてはいけないものなのでは?という問題提起まで行いました。今回は「今後もずっと付き合っていく」という性質を中心に書きます。犠牲のシステムここで補助線として高橋哲哉さんの「犠牲のシステム福島・沖縄」という本の内容を少し記載します。この本では福島の原発や沖縄
2021年2月6日 10:40
しばらく書いていませんでしたが復活します。今、福島県南相馬市にいます。東日本大震災で甚大な被害を負った地域です。そこで今考えているのが自分が被害者なのか、加害者なのか、明確に決められない問題が起こった時にそれについて人はどうやって語り得るのか?ということです。そして、そのことから大きな問題ほど風化して先送りになるという問題へと繋げていきたいと考えています。(もしかするとその先までダラダラと行