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コンプレックスと生きている

「なんとなく学歴コンプレックスがあるんだよね」
ある日、友だちが別れ際10分程前に言った言葉が耳に残った。彼が身を置いている世界では学歴は重視されていないけれど、『○○さんは△△の出身で』みたいな話題の時などにふとよぎるのだろう。実際この時もそうだった。だからと言って、そのコンプレックスを抱くことに特に意味がないとも言っていた。
その数時間前まで、彼を含めて楽しく素晴らしい時間を過ごし、とてもいい気分が身体中を包んでいたけれど、帰りの電車の中で頭を占拠したのは、彼のつぶやきのような一言だった。

かくいうわたしにもコンプレックスはある。むしろ、コンプレックスが服を着て歩いているようにも思うくらい、劣等感の固まりとすら思う。

コンプレックス=劣等感というのが一般的に浸透しているけれど、英語のcomplexは主に「複合」などを表す語だ。戦後アメリカより流入したアドラー心理学の流布により、その理論の中心概念であった「複合劣等」が一般となった。「複合劣等」は「複合コンプレックス」のことだが、コンプレックスの中でも複合コンプレックスが特に流布し、「コンプレックス=複合劣等」を指すような日常の用語法が誕生。日本では今なお、暗に「コンプレックス=複合コンプレックス」を指す傾向が高い。また精神用語の世界を離れ、「コンプレックス」を「劣等感」の同義語として用いるような誤用が生まれた。本文中の「コンプレックス」も、「劣等感」と同義語として用いている。

わたしは、産まれてきたことにコンプレックスがある。かといって、死にたいわけでもないし、産まれて現在生存していることに意味や意義を見いだせないわけでもない。けれど、コンプレックスを抱いている。

子どものころ、記憶が鮮明なのは8歳くらいの頃だろうか。親と喧嘩したり叱られたとき、決まり文句のように言っていたのが、「わたしなんか産まれてこなければよかった」だ。なぜこのフレーズだったのか、自分でも未だに謎だ。こういってやろうと思って考えたわけでもなく、するりと口から出てきた言葉だ。昭和のテレビドラマみたく、両親に「あんたなんか産まれてこなきゃよかったのよ」みたいなことを言われたわけでもない。ただ、わたしがその言葉を言うと、毎回母が泣いて終わった。

15歳、高校受験真っただ中に、両親の別居と離婚についての話が突如降りかかった。16歳の途中で別居開始、17歳の夏に離婚が成立する。
わたしにとっては両親の離婚は寝耳に水だった。特に夫婦仲が悪いわけでもなかったので、思い当たる節がなく、突如降りかかったこの問題を理解するのに時間を要した。同時に、「(長女である)わたしさえ産まれてこなければ、母は苦しまず、もっと早く離婚することが可能だったのではないか」という思いすら芽生えた。

母から離婚に至った理由などを聞いていくうちに、我が家の日常は一般的な家庭のそれとかけ離れていたことがいくつもあることを知る。むしろ、何の疑問も持たず成長した自分が、素直な人間ではなく愚かにすら感じた。
心のどこかで、みんなと違うことがあるなとは気づいていたけど、それ以上のことを考えないようにしていたのかもしれない。
幼少期の一部の記憶が小学校低学年の時すでにすっぽり抜け落ちていたり、思い返せば、幼いながらに家庭内の出来事を封印していたのかもしれない形跡がいくつかあった。その結晶が、「産まれてこなければよかった」という言葉にも思えてならない。そして、とても小さな世界で生きていた自分に対し、コンプレックスを抱くようになった。

幼少期からイジメに遭っていたこと。
家族という小さな世界の中で、何の疑問も持たず生きていたこと。
自分の容姿や声がすきになれないこと。
車の免許は取ったものの、運転が不向きと気づいたこと。
聴覚が良すぎて、聞こえなくていいことまで聞き取れてしまうこと。
公立大卒だがフリーター歴が長かったことを指摘されること。
場所見知りがあり、行きたい場所にひとりで行けないことがあること。
直感力が強く、場所や人の気に当てられてしまうこと。
英語がそこまでのレベルではないのに、外資系企業で働いていること。

自分がコンプレックスを抱いていることは枚挙にいとまがない。
けれども、これらを常にコンプレックスだと認識して生活しているわけではない。冒頭の友だちの話ではないけれど、ふとした瞬間に、不安に襲われるかのように浮かび上がって、わたしを引きずり下ろす。

かわいいと評判の妹。
何でも器用にできる母。
それに比べ、女の子らしい振る舞いができないわたし。
結果が良くても悪くても、褒めてもらえず、いつも何か言われていた。
そのたびに傷つき、劣等感に苛まれてきた。
こころを病んで休職したとき。
身体が動くことを拒み、布団から起き上がることすらままならない自分を、受け入れたふりをした人と暮らしていたとき。
成長するにつれ、傷に塩を塗るように、コンプレックスは増えるばかり。

去年、最果タヒさんの『コンプレックス・プリズム』に出会った。
「はじめに」の中に、こんな文章がある。

劣っていると繰り返し自分を傷付ける割に、私は私をそのままでどうにか愛そうともしており、それを許してくれない世界を憎むことだってあった。劣等感という言葉にするたび、コンプレックスという言葉にするたび、必要以上に傷つくものが私にはあったよ、本当は、そんな言葉を捨てたほうがありのままだったかもしれない。コンプレックス・プリズム、わざわざ傷をつけて、不透明にした自分のあちことを、持ち上げて光に当ててみる。

この本に、救われたというと多少の語弊があるかもしれないけど、コンプレックスの捉え方が変わったというか、解釈が変わったというか。

コンプレックスがあってもいいじゃない、もはや個性の一つくらいに思って、そんな自分を自分くらいすきでいてあげたらいいじゃないか。
コンプレックスのおかげで、見える世界や気づくこと、できることも、きっとあるに違いない。だから、無理に克服しなくてもいいのではないか。
増えたり減ったりするのはきっと、わたしが生きているからこそで、その時の自分が纏うコンプレックスが変わったりするだけではないか。克服や昇華せず、共存してもいいのではないかと。抱えていることで、誰かに迷惑かけたり傷付けたりするわけでないのなら、そのままでいいのではないか。

そう思えたら、気づけたら、ずいぶんと楽になった。そして、今までの自分を否定しなくていいと思えたし、ちゃんと肯定できる気がした。
ずっと自分を卑下してきたけれど、そんな風に思っていたことがバカバカしくなった。いいじゃん、コンプレックス上等だよ、ないほうがいいかもしれないけれど、あっても別にいいじゃないか。劣等感を持つって、何かと比較したりされたりすることで認識すると思うのだけど、それだけいろんなことを普段見聞きして、触れて、考えているからこそのもの。その過程で出来上がったものの一つがコンプレックスなだけだと思ったら、悪くないでしょ?

幼少期から持ち続けている「産まれてこなければよかったコンプレックス」のおかげ?で、今までの人生で行ったいくつかの選択に対して後悔せずに済んできたなと、つい最近気がついた。
だから、コンプレックスって、悪いことばかりじゃないよ、きっと。

きっとこの先、こんなにコンプレックスについて考えることも、書くこともない気がしたので、ちゃんとまとめてみた。
時折、友だちとの会話やメディアで見知ったことが頭から離れず、こうしていろいろ考えてしまうことがあって、今回はそれを書きたいと思ったので。書いたからなんだというわけではないし、自己満足に過ぎないことなんて解っているけれど、書かずにいられないのがわたしなのです。

                            おしまい

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