新・人間革命30巻、聖教新聞、2024/05/25
キューバは、この一九九六年(平成八年)ごろ、経済的にも、政治的にも、厳しい試練の渦中にあった。東西冷戦が終わり、ソ連・東欧の社会主義政権が崩壊したことによって、社会主義国キューバは、ソ連という強力な後ろ盾を失い、孤立を深めていた。さらに、この年の二月、キューバ軍によるアメリカの民間小型機撃墜事件が起こり、それを契機に、アメリカでは、同国への経済制裁強化法(ヘルムズ・バートン法)が成立するなど、緊張した状況が続いていたのである。
“だからこそ、世界の平和を願う一人として、キューバへ行かねばならない。そこに、人間がいるのだから……。この国とも、教育、文化の次元で、さらに交流の道を開いていこう!”
キューバ行きを一週間後に控えた十七日、山本伸一はアメリカの元国務長官ヘンリー・A・キッシンジャー博士と、ニューヨーク市内で再会し、旧交を温めた。博士は、アメリカとキューバの関係改善について、自らの思いを語った。伸一は訴えた。
「一時の風評や利害ではなく、未来のための断固とした信念と先見で行動し、二十一世紀に平和の橋を架設すべきであるというのが私の信条です」
二人は、率直に話し合った。
十九日、伸一は、ニューヨークからマイアミへ移動し、フロリダ自然文化センターを初訪問。世界五十二カ国・地域の代表が集っての第二十一回SGI総会に出席した。
二十四日午後、彼は、カリブ海の七百の島々からなるバハマを初訪問した。このころ、アメリカからキューバへの直行便はなく、第三国を経由しなければ出入国はできなかった。バハマは、伸一にとって、海外訪問五十二カ国・地域目となった。この国でも、男女二人のメンバーが彼を待っていた。
四時間余りの滞在であったが、この二人を全力で励まし、記念に一文を認めて贈った。
「ここにも SGI ありにけり
バハマ創価学会 万才」
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