記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画『ゴッドファーザー 最終章』 観続けた者だけが流せる涙(ネタバレ感想文 )

監督:フランシス・F・コッポラ/1990年 米(再編集版2020年製作)

かつて『ゴッドファーザーPARTⅢ』と呼ばれていた1990年製作の作品を、30周年の2020年にコッポラ監督自ら再編集したバージョン。
正式名称は『ゴッドファーザー<最終章>:マイケル・コルレオーネの最期』 <4Kリマスター版>
原題は『The Godfather, Coda:The Death of Michael Corleone』
タイトルに偽りありな気もするけどね。

私が『ゴッドファーザー』シリーズで公開時にリアルタイムで観られたのは、この『PARTⅢ』だけです。
第1作が1972年。『PARTⅡ』が1974年。そして本作は、16年後も経った1990年に製作されました。

何かで読んだ気がしますが、70年代当時の映画界で、シリーズ物というのはあったけれど、「続編」というのは案外少なかったそうです。
(『続エマニエル夫人』(75年)とかあったけどな)
ましてや『PARTⅡ』なんてタイトルに付けるのは斬新で、もしかすると日本人にとって「パート ツー」という単語を初めて見聞きした作品かもしれません。次に目にするのは、山口百恵「プレイバック part 2」(78年)。あるいはデュエットソング「もしかして PARTII」(84年)。

何が言いたいかというと、16年間も放置してたんだから、元々続編なんか作る気なかったんでしょ?って話です。
今となっては『PARTⅡ』すら作る気もなかったとコッポラは告白しているようですしね。パラマウントから続編を持ち掛けられたけど監督したくなかったからマーティン・スコセッシを推挙したら会社から却下された、という本当か嘘か分からない話もありますし。

それで、1990年(日本公開は91年)の公開当時。
第1・2作ともアカデミー賞作品賞ですから、「史上初のシリーズ全作品アカデミー受獲得なるか!」と煽りに煽った宣伝だった記憶があります。

そしてアメリカで公開されるやいなや酷評の嵐。
後にコッポラが「彼らが銃を向けたのは私だが、娘が弾丸を受けた」と劇中のマイケルを模した言葉を残していますが、ソフィアが下手だブスだデブだ親父の映画を台無しにしただのこんな娘を重要な役に据えたコッポラは親バカだのと「全米がけなした!」くらいの酷い言われよう。果ては「ファミリーの中のフレド=期待に応えられなかった息子」と評されるに至りました。SNS時代の今だったら一般人にも飛び火してコッポラ一族一家心中してたかもしれないぞ。

実際私も、既に書いた通り(当時から)前2作が泣くほど好きでしたから、公開時に観た『PARTⅢ』は残念な印象しか残りませんでした。

それにコッポラは『地獄の黙示録』(79年)でナパーム弾と共にその才能も焼き尽くしちゃった人だからさ。
あと、マーロン・ブランドとかアル・パチーノとかロバート・デニーロとか、製作当時ではなく私が観た時点で、彼らはビッグスター(マーロン・ブランドに至ってはレジェンド)だったわけですよ。
それがアンディ・ガルシアだぁ?ずいぶん小物になったな、と思ったりしたもんです。
今となってはアンディ・ガルシアもアル・パチーノも『オーシャンズ』に騙されるんですけどね。

こうした「ファミリーのフレド」印象の結果、前2作は再編集サーガだとかリマスターだとかやたら何度も観てるのに、『PartⅢ』を再鑑賞したのは、公開から20年後の2010年にBS放送でのみ。
ただ、その時に思ったんです。

「あれ?こんなに面白かったっけ?」

今回あらためて観てもメチャクチャ面白かった。
(再編集でどこがどう変わったか――ラストの字幕以外は――分かりませんでしたけどね)

感想が爆上がりしたポイントは、自分が年齢を経たことと一挙見の2つだと思うんです。

「あんな小さかった子がこんなに大きくなって」みたいな親戚のおじさん的な感慨もあります。
息子が「愛のテーマ」を歌い、父マイケルが涙を流すんですよ。一緒に泣いちゃうよね。俺知ってる、お前の想い出知ってる。先週観た。

「本音を表に出すな」とマイケルが甥ビンセントに言うわけですよ。
これは第1作で父ヴィトー・コルレオーネが長男ソニーに言った言葉です。本音を漏らしたことでファミリーに危機が訪れる。その同じ言葉をソニーの息子に言う。因果です。いろんな因果が巡り巡っていることが一挙見で鮮明になります。

例えば、ドン・トマシーノ。
いろんなドンが出てくるのでどのドンなのか分からないかと思いますが、シチリアの車イスに乗った老ドンです。
今回初めて気づいたのですが、ドン・トマシーノ皆勤賞。
第1作で逃亡中の若きマイケルを匿っていたのが彼です。この時既に車イスでした。
PartⅡでは、回想シーン、若きヴィトーのシチリアでの復讐劇に立ち会っています。この時に敵に足を撃たれ、ヴィトーを駅で見送る際に既に車イスになっています。

そして、このドン・トマシーノの死に際してマイケルがつぶやくのです。
「彼は皆に愛されたが、私は恐れられた」と。

マイケルが恐れられた理由は「強さ」です。
「家族」を守るために「強さ」を得たが、「強さ」の代償として恐れられ「家族」を失っていった。
文字通り「神の父ゴッドファーザー」であった偉大な父を目指し、超えようともがく「孤高の男」の姿が3作通じて描かれてきたのです。

この映画のファーストショットは「教会」です。
これは教会を巡る話であることと、神との対話の物語であることを象徴しています。

まさしく神の領域である教会の庭で懺悔する美しいシーン。
息子を理解し、娘に理解される。そして元妻との和解。
オペラを鑑賞するマイケルの顔はゴッドファーザーのそれではなく、一人の父親の顔を覗かせます。
こんなに笑顔のマイケルをかつて見たことがあったでしょうか。
懺悔したことで解放され、彼の罪が赦されたかのように見えます。
一方、殺し屋が彼を狙います。
この対比で(改題したタイトルも含めて)観客を大きくミスリードします。
そして「因果応報」の物語へと帰着するのです。

正直、出来すぎ感&無理矢理感もないわけじゃありませんが、全作観続けた者だけが流せる涙もあるのです。
まあ、そういう意味では、単体としては成立していない映画ですけどね。

余談
バチカンの不正とかやり過ぎだよ、嘘臭いよと思っていたのですが、
ヨハネ・パウロ一世は本当にバチカン銀行の改革などに取り組み、本当に一ヶ月程度で謎の急死して、本当に暗殺説があるんだそうです。
実話の裏に関わってたんですね。「ゴルゴ13」かよ。

(2023.01.13 Morc阿佐ヶ谷にて鑑賞 ★★★★★)

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?