記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画『ゴッドファーザー PartⅡ』 好きすぎて号泣するPartⅡ(ネタバレ感想文 )

監督:フランシス・F・コッポラ/1974年 米

好きすぎて泣いちゃうんですよ。
最初の号泣ポイントは、移民船の面々が自由の女神を見上げるシーン。高らかに鳴るニーノ・ロータの音楽は泣く。
変わっていくマイケルに困惑しながらも忠義を尽くすロバート・デュヴァル演じるトム・ヘイゲンに泣く。
若き父ヴィトーの回想シーンの暖色との対比として、終盤の孤立したマイケルの冬の冷たい青色の画面。ゴードン・ウィリスの撮影に泣く。
そして、デ・ニーロのシーンは全部泣く。
肺炎にかかった息子フレドを見つめるヴィトー。その小さな命を心配する親心を思うと、後の顛末を知ってるだけに号泣する。

映画とは直接関係ないけど、フレド役のジョン・カザールがこの映画の4年後には大女優メリル・ストリープと婚約するも肺癌で死去したことを知っているから(彼は闘病中に出演した『ディア・ハンター』(1978年)の公開を見ずに亡くなっている)、その情けない一挙手一投足に泣く。

ファーストカットがアル・パチーノのアップから始まることで、前作と異なり、明確に「この映画はマイケルの物語です」宣言をします。
そして次のショット(タイトルバックですが)は誰も座っていない椅子が映し出されます。
つまりこの映画は、マイケルの物語であると同時に、この椅子に座るべき人物=ゴッドファーザーの「器」の物語でもあることを冒頭で宣言しているのです。

デ・ニーロ演じる若き日のヴィトーがナントカいう街のボスを殺害する、リトルイタリーの「お祭り」。
この事件をきっかけに彼が「Godfather」への道を踏み出したポイント。
あれは正に、ヴィトーに神が降臨した瞬間だったのです。
自由の女神を羨望の眼差しで見上げていた少年が、自ら自由を手にして神へ上り詰めた瞬間、祭りの花火はあたかも祝砲の如く鳴り響く。
偉大なる「父」はまさしく「神」だったのです。

「我々はお前の父親も思い付かなかったような事をするのだ」(<劇中ロスの台詞のウロ覚え)
つまりマイケルは「父=神」を超えようとしたのです。
神の領域へ近づこうとした「バベルの塔」。
天まで届く塔を持つ街を建設することで人々が一つになれると信じていた。
しかし……
「父親のつもり!」とコニーは反発する。
「分かってない。あなたは何も分かってない」そう言ってケイはかぶりを振る。
やがて人々はコミュニケーション能力を失い、バベルの街は崩壊していく。
実の兄フレドの顔を鷲掴みにしてマイケルは叫ぶ。「残念だ!」

つまりこれは、悲しい「バベルの塔」の物語なのです。

ヴィトーの回想シーンで入管シーンがありますよね。
多くの人々が船上から自由の女神を見上げることで、いかに大勢が「自由」を求めてこの地に辿り着いたかを物語る見事なシーン。
その後、凄いセットを組んで凄い数のエキストラを使った入管シーン。引きの撮影はもちろんのこと、カメラはワンカット長回しで横移動します。
そんなに「金かけました」自慢しなくてもいいだろうにと思っていたんですが、やっぱり意味があるんですよ。
これはアメリカの歴史。移民で産まれ移民で発展したアメリカという国の象徴なのです。
この部分をクローズアップしたのが『地獄の黙示録』(79年)ではないかと私は思っているのですが、ここでは置いておきましょう。
そして、序盤にゴチャゴチャ多くの人が画面に写っている印象を観客に与えることで、最後の一人のマイケルが際立つのです。

あと思うんですが、「面構え」って大切よね。
今回、人種が多くなったせいもあって特に感じるんです。
マイアミのロスのザ・ユダヤ人顔とか、上院議員のザ・共和党的ヤンキー顔とか、そういう細部が全体を支えている。

「ママが生きているうちはフレドは無事だ」
これねえ、一度言ってみたい台詞なんですよね(<どんな日常で?)

(2023.01.07 Morc阿佐ヶ谷にて再鑑賞 ★★★★★)


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?