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「ガラスの海を渡る舟」を読んで


★はじめに

本屋さんで偶然に手に取った一冊。どうも私の家の近所のガラス工房が舞台の本のようだ。土地勘もあるし、そのモデルとなったガラス工房もなんとなく場所がわかる。リアルな本屋さんならではの出会い。ここから先は多少ネタバレがありますので、読書予定の方はご遠慮ください。

★羽衣子について

ガラス工房をやっている妹。兄である道は診断はついていないものの、発達障害がある。道の考えていることがわからず、いつもやきもきさせられている。祖父の「何者にでもなれる」という言葉を信じ、いろいろなことにトライするもなかなか成果が出ない。ガラスの器の出来栄えも道にはかなわないと思っている。ガラスでできた骨壺を作ると道が言いだし、最初は気持ち悪く反対する羽衣子だが、依頼者の話を聞いたり、様々な人たちと出会い、失恋や新しい恋愛などを通し、再度自分を、道を、そして自分の家族の在り方を見直しながら成長していく過程が描かれている。

★道について

幼い頃から「人と違う」「ほかの子はできるのにこの子にはできない」と言われながら育つ。物事の予定が狂ったり、直前の変更が苦手。また、あいまいな表現が苦手で具体的に数字などで話してもらわないと理解できない特性を持つ。ガラス工房の仕事は集中することが多いので道の得意分野だが、教室や営業といった人と接する仕事ができない。自分には向き、不向きがあることをきちんと理解しているので、情緒的には安定している。人の気持ちを汲んだりするのが苦手だが、寄り添う姿勢は持ち合わせる。そりが合わなかった羽衣子とも終盤気持ちを通わせることができるようになる。人生を達観しているという意味では卓越した視座の持ち主でもある。

★骨壺をめぐるストーリー

娘を亡くした女性、ペットの犬を亡くした元ひきこもりの男性などがガラス製の骨壺の依頼人として登場する。道、羽衣子の祖父も、ガラス製の骨壺に入れられる。この物語の中では人の死を受け入れる一つのツールがガラス製の骨壺となっている。主人公二人を含め、依頼人たちは骨壺を作ってもらう過程で故人の話をする。なかなか前を向けない依頼人たちに周りはいらだっているかもしれないが、その必要性は決してないというメッセージを感じる。人によって「死」の受け止め方、供養の仕方、故人の偲び方は様々で、自分が気が済むまで悲しんだり、途方に暮れてもいいのだと背中を押される気持ちになれる。これから私たちが生きていく社会はまぎれもない多死社会だ。そんな中でこの本はどうやって「人の死」と向き合えばいいのか、様々な選択肢を提示していると思う。また、人が「人の死」について語るとき、聞く側はひたすらその人の心情に寄り添い、耳を傾けることがいかに大切な時間であるかということも示唆している。

★最後に

実は関西弁のセリフがバンバン飛び交う本やドラマは私は好きではない。関西人ゆえ、関西弁の持つ微妙なニュアンスが理解できてしまうので、時に間違われて使われていたり、過剰なまでの言い回しに胸やけを起こすことが多いからだ。だがこの小説だけはそうはならなかった。羽衣子、道、彼らの親族たちの使う言葉はとても自然で耳に馴染みがよかった。最初にも書いたように、小説の舞台があの辺りだと特定できるので、街の雰囲気や景色なども容易に想像ができ、登場人物たちは今回、私の頭の中で、実に生き生きと動き回っていた。羽衣子と道がだんだんと不器用ながらも、お互いを理解し、思いやり、心を通わせるようになるまでの過程がとても丁寧にみずみずしい文体で綴られていて、最後のページを閉じた瞬間に胸の底がジーンと熱くなるような余韻が残った。また、ガラスの制作過程で、どこまでどうやっても、計算したような色合いにできないというくだりがあったが、それは実は私たちの生きる人生そのもののようで、実に美しいメタファーだと感じた。制作過程の何色になるか定かではないガラス達はそのまま羽衣子であり、道であり、実は私たち自身なのだと気づかせてくれた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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