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インドのひとたちと私。(165)ー小さな居候、おチビ。

 バルコニー上に取り付けてあるエアコン室外機の陰に、『インドハッカ』が巣を作った。『インドハッカ』はデリーではハトの次によく見る鳥だ。黄色い嘴と黒っぽい身体をしていて、ムクドリの仲間らしい。大きさも日本のムクドリくらいだ。いつもカップルで行動していて、割と甲高い大きな声を出すので、近くにいるとすぐにわかる。

インドハッカ

 ある朝、それまでに聞いたことのないような激しい声、というかもう金切声で手すりにとまった二羽が叫んでいたので何事かと思って覗いてみると、なんと、生まれたばかりのヒナが巣から床に落下していたのだった。まだ産毛もまともに生えていないようなこのヒナを助けることは残念ながらできなかったが、1週間後くらいにまた別のヒナが落ちてきた。今度はそこそこ黒っぽい毛も生えて来ている。固いバルコニーの床に落ちても割と平気みたいで、自分で起き上がってなんとか動こうとしているところだった。


 ヒナ鳥の扱いなんてまるで知らない。困ったなと思いつつ、どうにか助けられないかと考えて、手近にある空き箱でヒナがちょうど入るくらいの『巣』をこしらえ、ティッシュを敷いた。スズメくらいの大きさのヒナに、キッチンペーパーをかぶせてそっとつかむと、危険を察知してそれはもう、あり得ないような甲高い声で鳴いて暴れ出した。「ギ―ッ、ギエエエエッ」と泣き叫ぶと、頭に比して口が異様なほど大きく開く。近くで見ると結構、怖いよ。もし今、親鳥が近くにいたら私は絶対に攻撃されたと思う。成鳥の、あの嘴で背中でもつつかれたらすごく痛そうだ。
 親鳥の影にひやひやしながら、ヒナを握りつぶしてしまわないよう、慎重に持ち上げた。柔くてちっちゃい。目もまだ半開きくらいの感じだ。
 「だーいじょうぶ、助けるかーら」と、わかるわけもないのに話しかけて、空き箱の『巣』の中になんとか座らせた。箱を床に置いたのでは、低すぎて親鳥が気づかないだろうし、バルコニーの柵がガラス板なので、助けようと突進してきた親鳥が激突するかもしれない。そこで手すりの上にセロテープで『巣』を留め、直射日光やカラスの攻撃から守るために屋根もかけた。うん、なかなか具合がよさそうだ。少し落ち着いたようでじっと中でうずくまっている。が、なんだか顔は怒っているようにしか見えない。

怒っているのは間違いない


 バルコニーに面したキッチンの窓から観察していたが、この日、親鳥たちはやって来なかった。ヒナがいないことに気づいてあちこち探し回っているのだろうか。
 様子を見に行くと、気配を察してさっと身を縮めて奥のほうへ引っ込む。身を守る術はなんとなくわかっているらしい。
 夜、夕食の残りのツナのかけらをスプーンの先に載せて、そっと近づけてみると、お腹が空いていたのだろう、大きな口をさらに大きく「あーん」と開けてきたので、小さいかけらを二つ三つ口の中へ落としてやった。水も数滴飲ませてみた。私にできるのはこのくらいだ。

 翌日からは親鳥がヒナの存在に気が付いて、朝夕、こまめに餌を与えにやってきた。親鳥がいない昼間は、箱の縁にちょこんと頭を載せたり、首を伸ばして周囲を見回したりしている。好奇心でいっぱいなのだ。親鳥が来たからもうこれでだいじょうぶ、見守るだけでいいだろう。と、思っていた矢先、3日目くらいか、バルコニーへのドアをそっと開けると、おチビがまた床に落ちている。
 あららら、自分から乗り出して落ちちゃったんだ。心なしか、最初に見たときよりも脚なんか立派になって育っている感じはする。とはいえ、このままにしておいてはおチビも行くところがない。飛べるのはまだずっと先のようだし。
 よたよたとバルコニーを走り回るおチビとまた追いかけっこになる。最初に拾ったときより脚でけり出す力が強い。なだめすかしてなんとか巣の中に押し込んだ。
 やれやれと思ってキッチンに戻り、様子を見ていると、人の気配がなくなったとたん、また首を突き出してキョロキョロし始めた。中で立ち上がろうとしている。あーまた落ちるわ、と言っている間におチビが視界から消えた。

 また落ちた。

 慌てて回収に行き、再度、巣箱に戻そうとするも、頑として抵抗されたので、とうとう諦めてバルコニーにいさせることにした。前よりはしっかりした足どりで、行ったり来たり、周囲を検分している。まだ羽の長さが足りないが翼もそれらしい形状になってきた。

 外では親鳥がすぐ近くまで来て甲高い声で鳴いているのに、おチビと来たら押し黙って返事をしない。それでは親に見つけられないよ。
 親が気づかないので仕方がない。またしても餌をやることにする。「あなたのことを親だと思うよ」と家人が笑っている。うん、アヒルのヒナが人間になつく動画とか見かけるもんね。
 調べたらインドハッカは雑食性とあったので、今度はパン粉を水で練ったものをスプーンで差し出してみた。そうしたらお気に召さない。「イヤーッ、イラナーイッ」とばかりに翼を両手のように振り回して、払いのけられた。蹴りも入れられた。なかなか人をムカつかせる所作である。それだけ元気ならだいじょうぶでしょ。
 とりあえず水の入った皿と、人間用に買った甘く熟した梨を半切にしてバルコニーの隅に置いておいた。が、これも口をつける様子がない。すぐそばに来ても、じっと蹲ったままである。インドハッカはかなり育っても親から給餌される期間が長いらしい。これまで、口を開けたところに親の嘴から餌が差し入れられるという食べ方しかしていないので、目の前の果物をつついたり、水を飲んだりするやり方を知らないのだ。
 気になるので、何度もバルコニーに様子を見に行き、果物やパン粉をスプーンで差し出してみるが相変わらずの拒否反応である。いったい、なんの意地を張っているのだ。

 なにか食べた形跡がないまま数日が過ぎた。

プンプン

 毎朝、バルコニーを覗いてみると。私のことを認識しているとはとても思えないし、鳥って真正面がどのくらい見えるのかもよく知らないが、おチビがドアの前で待っていたり、少し離れたところに立ちすくんでじっとこちらを見つめていたりする。
 掃除のためにバルコニーにある水道からバケツに水を溜めていると、わざわざこちらにやって来て、バケツの陰に入り込んでじっとしている。少し慣れてきたのかもしれない。

 そしてとうとう、食事ができた。

 昼食に作った人間用のポテトサラダをちょっとだけ食べたのだ。パン粉はイヤでポテトサラダはOKなんだ。口が肥えているのか。あるいは相当、体力が落ちてきたのか。とにかく食べてくれたのはよかった。
 身体が小さいから、いちどに食べられる量も少ないのだろうと察して、ひと呼吸、ふた呼吸置いてからまた、スプーンを差し出す。ちょうど口を開けたときにすかさず、爪の先ほどのポテサラを落としてやる。ついには自分の嘴でスプーンに載ったポテトをつつき出した。自分から食べる方法を学習しているのかもしれない。
 その後も割にしっかりした足どりで歩き回っていた。ときどき、翼をばたつかせて、飛ぶふりなのか練習なのかをやっている。それでもまだ、バルコニー柵の足台15センチの高さまでは飛び上がれない。

 そんな風に見守っているうちに、おチビは、ある日突然、いなくなった。

 2時間ほど前までは確かにそこにいた。それが跡形もなく、いなくなっている。
 日本で言う5階にあたるここまで上がってくるようなネコなどはいない。さっきカラスを見たが、もしカラスにやられたのならそれなりに抵抗して羽毛などが散っていそうだが、その形跡もない。
 もしや自分で身を乗り出してバルコニーから落ちたのか?
  慌てて下の駐車場まで行ってみたが、いない。路上駐車の車やバイクの下、近所の植え込みの陰まで見て回った。通りかかった近所のひとが、「なにごと?手伝おうか?」と声をかけてくれる。

 さんざん探したがおチビは姿を見せず、私はうなだれて部屋に戻った。

 飛ぶ練習をしていたのは見ているので、希望的観測としては、自力で飛んで行ったと思いたい。飛べなければさすがに5階から落下したら助からないと思うが、その形跡がないのだから。
 もし生き延びていても、おチビは私のことなどすぐに忘れてしまう。鶏も三歩歩けば忘れるというではないか。
 デリーは意外と緑が多く、州政府も緑化と維持に熱心なので、生きていく環境としては悪くないと思う。二度と会うことはないにしても、なんとか元気で育って欲しいし、小さい生きものを慈しむ喜びを教えたくれたこの何日間かは、おチビがもたらしてくれたものだ。そのことには感謝しかない。

 ひょっとしてふらっと帰ってくるのではないかと、毎日バルコニーを覗いてはみている。

-デリーの森林地帯は21%から23%に増加( The Times, 11th Jul. 2022 )

( Photos : In Delhi, 2022 )

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