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平和学習の機会を意識的に作り出したいのです。

昨日の記事に関連して、フォロワーさんのシェアされている記事を読む機会があったので、せっかくだから考えたことを書こうと思う。

昨今のロシア・ウクライナ情勢を見て、確かに戦争は現実社会において起こり得る、ということが我々世代にも実感として迫っている。

我々若い世代のみならず、もう70歳近い人たちでもほとんど戦後生まれの世代の人間が大多数になったこの日本社会において、戦争の恐ろしさと悲惨さ、平和な日々の大切さを、我々が腹の底から理解しなければ、いつか再びその惨禍は引き起こされるだろう。

紹介した記事は、著者が乳幼児だったときのエピソードについて、のちに家族や関係者から聞き取った内容を元に構成された、大変生々しいものだ。

当時の人々の状況や心象を、我々は想像することしかできない。

もしこのとき、自分が著者の父親の立場だったらどうしていただろうか。
家族のために何かと本当に闘えるだろうか。

自分が長男の立場だったらどうしていただろうか。
父親に代わって家族を守らなければならないという使命感で動けるだろうか。

その輸送船の中にいたとしたらどうしていただろうか。
正気ではいられず、冷静な判断などとてもできないだろう。

急激に身の安全を脅かされるようなことは起きないであろう今現在がどれだけ恵まれた環境であるか、骨身に染みてわかっていなければならない、と思う。

こうした貴重な体験談や資料に触れる機会は、今後ますます少なくなっていくだろう。

しかし、その状況をそのまま放置し、こうした平和学習への機会を何とかして意識的に作り出すことができなければ、平和な社会から一歩ずつ遠ざかっていくことは避けられない。

昨日も書いたように、平和な社会を実現するためには、その社会を構成する我々がその重要性を理解し、反芻しながら地道に「平和でない何か」を取り除いていくしかないのである。

皆さんも、冒頭の紹介記事をぜひお読みください。


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