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ユーティリティプレイヤーに憧れませんか?

ふと思い出して、私が小学生の頃に見た忘れられない野球の試合の動画を久しぶりに見た。2009年9月4日のジャイアンツvsヤクルト戦で、ジャイアンツの木村拓也選手がチームの危機を救った場面だ。

これについては、私がこのブログを始めてから数日後に書いたこともある。

私はこういう活躍の仕方に憧れる。

日頃は目立たないユーティリティプレイヤーだが、チームにピンチが訪れたときにその真価を発揮する。

あれからもう13年が経とうとしているが、この試合における彼の姿は今でも私の脳裏に焼き付いている。

この試合の翌年、木村拓也選手は当時37歳の若さで亡くなった。コーチとしてグラウンド上で選手向けにシートノックを打っている最中に、くも膜下出血に倒れたのだ。このような素晴らしい選手のあまりにも早い死に、多くの人々が悲しみと追悼の意を寄せた。

こうして考えてみて気づいたのだが、私が今目標にしていたり、ロールモデルだと思っている人たちは、30代後半から40代前半の人たちであることが多い。それは、今の私が20代後半であり、ここからの10年間をいかに過ごしたらよいか、という指針を暗黙の裡に求めていたからだろうと思う。

そういう人たちのようになりたいと考えたり、そういう人たちと同じような考え方を身に付けたり、彼らにまだまだ全然追いつけていないなぁと思ったときにどうすれば良いか?

憧れの人と自分を比べるときには、今の自分と直接比較するのではなく、将来自分がその人の年齢になったときを想定した上で比較しろ、というのが研究室の准教授の教えであった。

そう考えると、正直複雑な気持ちになる。

自分の今の頑張りのままでは到底彼らには追い付けないし努力が足りない、とも思う一方で、もし今現在の自分がその憧れの人がその年齢で考えているフェーズと同じところにいるとしたら、10年後の自分はその憧れの人を凌駕する存在になれる可能性があるとも思う。

そして、その複雑な気持ちにどこか甘えているような、そんな気持ちがしてしまっている。私は、もう行くところまで行ってしまったような、本来は30代後半から40代前半にかけて理解するであろう感覚を得たような気になってしまっている。

そう考えると、今の私と同年代の人たちに比べて、圧倒的に成熟した人間になっているような気もしてきて、自己肯定感は少々上がる一方で、何だか先に行き過ぎてしまっている気もする。

生き急いでいるというか、悟ってしまっているというか。

本当は20代はまだがむしゃらに何かに取り組んでもよい時期であるにも関わらず、そういう物事への取り組み方ができないところに弱さを感じる。

これまでの私は、目の前に立ちはだかる壁について、その原因や、乗り越える方法、避ける方法などをある程度考えた上で、ほとんどの場合、壁を避けて歩いてきたと思う。

そうやって生きてきたら、「本気を出す」「がむしゃらにやる」という感覚がいまいちわからない人間になってしまった。

あぁこれは良くないことなのではないか。

とはいえ、そういう感覚が全て錯覚で、実際には何もわかっていない若造のただの戯言(たわごと)である可能性もある。本当は何の経験やスキルも持っていない、頭でっかち野郎になっている可能性もある。

私は、そういうことに自分で気がつけていないことに恐怖を感じる。

冒頭の木村拓也選手の活躍は、圧倒的な練習量に裏打ちされた技術と、ピッチャー以外の全てのポジションでのプレー経験の賜物であり、そういう経験があるからこそできた活躍ぶりであった。

今の自分には、その努力と経験、両方が足りていない。
彼のような人間に近づくための道のりは、まだまだ遠い。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。