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社会の上部構造であれば変えられる可能性があるのです。

以前、「社会は変えるべきものなのか?」「社会は確かに変えられるのか?」という問いについて考えたことがある。

その際、「間違っても社会を変えようと思ってはいけない」という立場と、「いや、確かに社会は変えられる」という立場、どちらも取ることができる。

前者の根拠としては、例えば、「コロナ禍というとんでもなく破壊的な状況が生まれたにもかかわらず、日本の下降する経済状況を生み出す社会構造は何も変わらなかった」、という点を挙げることができる。

一方で、後者の根拠としてはどちらかというと理念寄りだが、「社会というのは人間が作ったものだから、きっと人間によって作り替えることができる」と考えられる点を挙げることができる。

では実際のところ、時代の移り変わりとは、どのような順番で起きるのだろうか?

それについてヒントを与えてくれる記事に出会った。

この内容を私なりに整理すると、以下のようになる。

まず、テクノロジーの発展によって、社会の下部構造(人間の活動や生産様式などの産業の在り方)が変わる。その変化を受けて、社会の上部構造(倫理・宗教・法・哲学・文化などの精神の在り方)が規定される。

つまり、まず先にテクノロジーの発展があって、その後に社会風土が規定される、という順番で時代は移り変わっていくのだ。

また、現代のテクノロジーに慣れている、それが普通だと思っている世代において、共通して存在する「社会的性格」というものがある。下部構造がある社会的性格を作り出し、そこから理念が作り出される一方で、一旦理念が作り出されると、それが今度は社会的性格に影響を及ぼし、間接的に経済的基礎にも影響を及ぼすのである。

この話は、確かに納得できる。

これまでも、そしてこれからも、テクノロジーに関する破壊的イノベーションが起きたとき、それが逆行することは絶対に無いだろう(不可逆性)。遅かれ早かれ、人間は便利な方向に流れる生物である。

だから、ひとたび新たなテクノロジーが生まれたら、そこから新しい社会風土が形成され、その社会風土がまたテクノロジーにも影響を与える、というサイクルを生み、それは決して逆行することは無い。

そのように考えると、今「社会を変えたい」という言葉で意図されているのが、社会の下部構造の話なのか、上部構造の話なのかを区別する必要があるだろう。

冒頭の前者の意見というのは、まさに「テクノロジーについては」というのが前提にあるのかもしれない。テクノロジーに関しては、過去のテクノロジーを凌駕する利便性の高いものが生まれた瞬間に、前時代のものは破壊されると思って良いから、それを逆行させるような社会の変え方はできない。

一方で、社会の上部構造ならば、理念の力で意図的に良い方向に向かう可能性もある。出現した破壊的イノベーションを、権益者が意図的に支配的に使うか、適切に良心的に使うかどうかは、そこにいる人間次第だからである。

したがって、冒頭の問いについて再度整理すると、「テクノロジーの進化(社会の下部構造)は止めることができない(変えられない)が、それを使う人間社会の倫理観や文化(社会の上部構造)などについては適切な制御ができる(変えられる)可能性がある」ということになるだろうか。

以前書いたところから、また少しだけ解像度を上げることができた。


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