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7/24日:親不孝息子には放っておく子育てを。

昨日の祖父母との会話の中で、断片的ではあるが、「祖父母の両親」や「祖父母の祖父母」のことがいろいろと明らかになった。

例えば、祖母は三味線をはじめ音楽の才能があったというが、祖母の祖母が厳しかったからそういう習い事をあまりさせてもらえなかった、とか。

祖母の兄は静岡内トップレベルの高校を一番の成績で卒業し、東京大学を目指せるほどに優秀だったにも関わらず、兄弟がたくさんいたことから、これまた祖母の祖母に学費の面で反対されて大阪に出ることになった、とか。

話を聞いていて、自分の両親や祖父母についてこのように話ができるかどうかが気になって、これをきっかけにして私の両親についても少し考えてみた。

前にも書いたように、私は相変わらず親のありがたみなど全く実感することもなく親不孝息子を続けている。

彼らは私を一体どのように育ててきたのか。本当のところはいずれ彼らに聞いてみなければわからないが、自分の主観としてはどのように感じていたか、一度整理しておこうと思ったのだ。

そうして少し考えてみて、恐ろしいことがわかった。
私は、彼らのことをほとんど何も知らない。

父親が一体どういう人間なのか。
母親が一体どういう人間なのか。

どのように出会い、いつどのようなタイミングときっかけで結婚し、3つ上の姉をどのように育て、その後で生まれた私をどのように育てたのか。彼らがどのように生きてきたのか、またその根元の人間性について、一番近くで見てきたはずであるにも関わらず、具体的に思い浮かぶことがほとんど無いのだ。

それはなぜなのか、と問われれば、理由は簡単だ。
興味が無かったからだ。

自分にとってすごくポジティブに言い換えると、それ以外に興味のあることがたくさんあって、両親や両親との関係性などについて考える時間がもったいなかったのだと思う。

これを両親が聞いたら悲しむだろうか。
悲しむだろうな、と思いつつ、気にせず先に進む。

私はある時期を境にして両親とコミュニケーションを取る回数が圧倒的に減った。それは確か中学生頃からだったと思う。きっかけの1つについては過去にも書いたことがある。

しかし、今振り返って思えば、シンプルにただ両親と話すことに全く興味が向かなかったということも思うし、特別言葉で言い返すような反抗をすることは無かった私にとっての、私なりの反抗期だったのかもしれないとも思う。

こちらから話しかけることはほとんどないから、向こうも多少気をつかってくれたのか、話しかけられることも少なくなった。それ以降、両親とは必要な連絡以外はほとんど会話をしなくなった。

そこから10年以上の時が流れて現在に至る。

こうした過去を振り返っていろいろと考えを巡らせてみたところ、私の両親が意識的にか無意識的にか取ってきた行動のすごかったところが徐々に見えてきた。

それは、特に何の相談もせずに博士課程への進学という訳のわからない進路を取った私を、平気で放っておけるところだろう、と思った。

まぁもしかしたら平気ではないかもしれない。
心配していないわけではないだろうとは思う。

しかしそれでも、あいつが今何をやっているのかよくわからないとしても、まぁあいつなら勝手にうまくやるだろうとか、悪いことはしないだろうとか、人のためになることをやろうとしているだろうとか思って、干渉せずに放っておけたところがすごかったのだろうと思う。

普通の親だったら、ああしろこうしろ、もしくはあれをするなこれはやるな、と色々言ってきそうなものであるが、必要な連絡や礼儀や態度に関わること以外にそういうことをされた記憶ほとんど無い。

これは一見すると放置しているとか、愛情が足りないとか言われそうなことではあるのだが、一方である意味では、親から子への信頼の証なのではなかろうか。

こうして、26年間生きてきて私がやっとわかった「親のありがたみ」というのは、「放っておいてくれることへのありがたみ」だったのである。

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