土日を楽しみにし出したらおしまいなのです。
最近、平日が終わって土日になるのがちょっと楽しみになっている自分がいる。
基本的には予定が埋まっているか、予定が埋まっていなくてもこうしてブログを書いたり読書をしたりと、何かしらの作業をしているかなのだが、そういう時間は比較的心地よい。
しかし私は、そういう自分に対して危機感を持っている。
土日になるのが楽しみになっているということは、相対的に平日の生活が自分にとってつまらないものになっている、ということだ。
これは大変由々しき事態だ。
より正確に言えば、日中の研究室にいる時間だ。裁量労働制だから、本当は自分の時間を何に使うかは自由に設定することができて、成果さえ出せば、別にいつ来ていつ帰っても怒られるわけではないのだが、それに対してどこかで謎の罪悪感を感じている自分がいる。
そういう状況の中で過ごしていると、徐々にこの生活を送っていることに対しての自信も失われてきて、本当にこれでいいのだろうか、と思わざるを得ない。
いずれにしろ、土日が休みだ、土日が楽しみだ、と考えだしたら終わりだ。このサラリードマンマインドから卒業しなければ、この状況が変わることはないし、これから自分の可能性を広げていくこともできない。
と書くと、サラリードマン批判に見えなくもないが、これは人生におけるフェーズの話だと私は考えている。
20代や30代のうちは、そうした給与を受け取るタイプの収入の得方で生活するということはあり得る。
しかし、徐々にそういうところから卒業して、自分でお金を作れるようにならなければ、少なくとも今後の日本で生活する前提では、豊かな生活を送ることはできないだろう。
なんだかいつもこうして悲観的な考え方をして、それが反映された思考が文章化されている気がするが、これも私の性質として受け入れていかねばならない。
しかしどこかでは、この「悲観的であること」を悲観する必要は無いはずだ、と信じる気持ちも持っていることは確かなのである。
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