決断しないことは時として間違った行動よりタチが悪い
タイトルの言葉はアメリカ随一の大富豪で総資産1,990憶ドルの自動車会社フォード・モーター創業者ヘンリー・フォードのものです。
今回は、決断をしないことは間違った行動よりタチが悪いというフォードの人生について紹介したいと思います。
ヘンリー・フォードはどんな人?
アメリカ合衆国の企業家、自動車会社フォード・モーターの創設者であり、アメリカの多くの中流の人々が購入できる初の自動車を開発・生産し自動車の育ての親と呼ばれた人物です。
農家の仕事を継ぐことを拒否した決断
デトロイト近郊で産まれたフォードは、実家の農場の仕事を継ぐことを拒否しました。
15歳の頃、友人や近所の人たちの時計を修理するのが上手く、手先の器用さが評判になっていました。
その後、16歳で学校を中退してエジソン・デトロイト電灯会社に技師として働き始めわずか4年足らずでチーフエンジニアに昇格しました。
一方で、自宅の納屋でエンジンの試作を重ねて、原動機付き四輪車の発明にこぎつけました。
工場長への出世を打診される
フォードはチーフエンジニアからさらに昇格して工場長への出世を打診されましたがその際にある条件を出されました。
会社側が提示した条件はフォードの夢である自動車作りをやめる事でした。
このときのフォードは37歳でした。
すでに養う家族がいたので彼は10日間ほとんど眠らずに悩みました。
フォードが悩んだ末に出した決断は会社を辞める事でした。
夢を諦められなかったのです。
無職になるが夢を諦めなかった
その後、フォードは転職しましたが、転職先の自動車会社もまもなく倒産して無職になりました。
一度は挫折して田舎に帰りましたが、夢を諦められなかったフォードは再び奮起して1903年フォード・モーター社を設立し、世界で初めて大衆向けに作られた「T型フォード」が全世界でヒットを飛ばしました。
フォードに関連する有名人
トーマス・エジソン
フォードはパーティ会場で尊敬する16歳年上のトーマス・エジソンに初めて会い自分の自動車への夢を熱く語り合いました。
ルドルフ・ヒトラー
ヒトラーはフォードを尊敬しており、T型フォードをモデルとしてフォルクスワーゲンを作らせたほどです。
左から1番目がフォードで2番目がエジソンだそうです。
※左から3番目の人物は6代目のアメリカ大統領です。
私はフォードとエジソンが同じ時代を生きていて、しかも知り合いだったことに驚きました。
最後に
フォードは経営者としても発明家としても優秀で、アメリカでは161の特許を取得していました。
1932年にはフォード・モーターは全世界の自動車生産の3分の1を占めていましたので『カール・ベンツが自動車の産みの親であるなら、自動車の育ての親はヘンリー・フォードとなる。』とまで言われています。
フォードは独断が多く、周囲との軋轢も多かったが、彼なりの夢を諦めないという決意と失敗を恐れずに決断して行動したことが成功に繋がったのだと思います。
80歳まで生きるとすると、人生の残り日数は3万日です。 40歳だと1万5千日、仕事・睡眠・プライベートの3つで分けると5,000日 プライベートタイムを家事・風呂食事・趣味の3つで分けると1,666日しかありません。 そんな貴重な時間を使って読んで頂き嬉しいです!