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オスマン帝国史 / クリミア・ハン国史 / トルコ軍事史 / オスマン語 元大学院生の…

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オスマン帝国史 / クリミア・ハン国史 / トルコ軍事史 / オスマン語 元大学院生の社会人。昔取った杵柄で翻訳したりしています。

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  • オスマン軍制史の翻訳雑感

    マフムト・シェヴケト・パシャ著『オスマン帝国の軍制と軍装』の翻訳をめぐる雑感を綴った記事です。

  • クリミア・ハン国史

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一応匿名で活動している(見る人が見たらバレバレ)のですが、翻訳の出版を目指しているので最低限の自己紹介をします。 やりたいこと オスマン帝国の軍人マフムト・シェヴケト・パシャが1909年に出版した『オスマン帝国の軍制と軍装』という書籍を刊本の第1〜2巻(オスマン帝国の創設からアブデュルハミト2世の治世(1890年代)まで)と未公刊写本の第3巻(本書執筆時の軍制と軍装)を出版しようと翻訳を進めています。 本書は多数の図版を含んでおり、前近代から20世紀初頭までのオスマン帝国

    • 「鎧師軍団」と呼ばれた兵士たち

      前回の記事で触れたとおり、オスマン帝国の君主直属の常備軍をカプクル軍団といい、これを構成するひとつひとつの兵科を軍団と言いました。その代表にして最も数が多い者たちが歩兵であるイェニチェリ軍団です。 今回取り上げる「ジェベジ」もオスマン帝国の常備軍を構成する軍団のひとつです。彼らは主にイェニチェリの兵士が使う弓、矢、刀剣、鎧、小銃、弾薬などの武器や軍需物資の製造、修理、保管、運搬、支給を担当した補助的な兵科であったとされます。 ジェベジ軍団は、常備軍の中でもイェニチェリや砲

      • 『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』第5章 オスマンとロシアのはざまで

        1683年、ポーランドとの戦争でポドリア、ロシアとの戦争でウクライナの南西部を併合し、オスマン帝国の最大版図を実現した大宰相カラ・ムスタファ・パシャは、満を持して第2次ウィーン包囲を敢行した。3月にエディルネを進発したオスマン帝国軍は、ムラト・ギライ率いるクリミア・ハン国軍と合流し、7月にウィーンを取り囲んだ。しかし、要塞化されたウィーンを落としあぐね、9月12日にオスマン軍背後のカレンベルクの丘から襲いかかったポーランド国王ヤン・ソビエスキ率いるポーランドとドイツ諸侯の連合

        • 『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』第4章 クリミア・ハン国の国家と社会

          クリミア・ハン国は、モンゴル帝国から引き継いだ中央ユーラシアと、オスマン帝国から影響を受けた中東イスラム社会の二つの政治的伝統に拠って立つ国家であった。その政治的な権力と権威、支配する領域と領民の範囲は、君主であるハンが名乗った称号に端的に表明されている。 1682年、クリミア・ハン国が政治的に対等、理念においては格下の相手とみなしていたロシアのツァーリに宛てた書簡における名乗りは次のようなものであった。 クリミア・ハン国において、ハンは実態としてはオスマン帝国の支配下

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        • オスマン軍制史の翻訳雑感
          5本
        • クリミア・ハン国史
          6本

        記事

          『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』第3章 黒海北岸の支配者として

          1551年に即位したデヴレト・ギライの治世は、クリミアにとっての強敵に成長したモスクワ・ロシアの雷帝イヴァン4世との対決の時代であった。1530年生まれのイヴァン4世は、3歳のとき父ヴァシーリー3世の後を継いでモスクワ大公に即位し、1547年に初めて「全ロシアのツァーリ」を称した。サーヒブ・ギライの失脚とデヴレト・ギライの即位は、親政を開始したイヴァンが、サファー・ギライ死後のカザン・ハン国に介入し傘下に収めようとしていた時の出来事であった。 1552年、イヴァン4世はカザ

          『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』第3章 黒海北岸の支配者として

          『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』第2章 オスマン支配下における自立と拡大

          1466年、ハジ・ギライが没すると、2人の息子、ヌール・デヴレトとメングリ・ギライの間でハン位をめぐる内訌が勃発した。はじめハン位を確保したのは兄のヌール・デヴレトで、敗れたメングリ・ギライはジェノヴァの植民都市であった半島南部のカッファに逃げ込んだ。 メングリ・ギライは、シリン部族の有力者エミネクとジェノヴァ人の支援を取り付けて再起し、1468年にハン位を兄から奪い取った。ジェノヴァ人は、今度はヌール・デヴレトをかくまってメングリ・ギライに圧力をかけ、オスマン帝国の脅威に

          『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』第2章 オスマン支配下における自立と拡大

          『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』第1章 クリミア・ハン国の成立

          地図を広げ、クリミア半島を探すと、目を引かれるのはその特異な位置関係である。確かに、2014年のウクライナ危機に直面したロシアの指導者たちが、国際社会から白眼視されるリスクを冒してでも、この面積2万5000平方キロメートルほどの小さな半島を、自国の勢力圏になんとしてでも確保せねばならないと画策した理由が察せられるように思える。 遠くモンゴルからカザフスタンを越え、南ロシアを経てウクライナに達するステップ地帯は、黒海の北岸でその幅わずか8キロメートルのペレコープ地峡を抜けると

          『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』第1章 クリミア・ハン国の成立

          『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』まえがきに代えて

          2024年3月18日、ロシアによるクリミア半島の「併合」から10年が過ぎました。この10年間にクリミア半島とその周辺で起こってきたことを考えると暗澹たる気持ちしか浮かびません。国際社会の平和と安定、地域住民の幸福に少しでもつながる未来があることを祈るのみです。 10年前、クリミア情勢をめぐってクリミア・ハン国とクリミア・タタールという存在が日本語の言説空間で認知される中で、かつて無謀にもクリミア・ハン国史を専攻しようとした大学院生であった私は、日本語でクリミア・ハン国につい

          『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』まえがきに代えて

          不思議な不思議なイェニチェリ 部隊名は『左利き』で部隊長は『スープ鍋番』

          オスマン帝国の軍隊といえばイェニチェリ。これは論を俟たないでしょう。 改めて説明すると、イェニチェリは14世紀にアナトリア北西部の辺境に興ったオスマン帝国がバルカン半島へと版図を広げていく過程でキリスト教徒の子弟から徴集した改宗イスラム教徒からなる君主(スルタン)直属の精鋭歩兵たちです。16世紀には小銃で武装した常備歩兵軍団として発展してオスマン帝国の軍事的な絶頂期を支えますが、17世紀以降は人員の肥大化や規律の弛緩が生じ、やがて改宗者のリクルートも行われなくなって縁故主義

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          ケトヒュダー、其は何をする人ぞ

          そんなことだろうと自分では思っていましたが、毎週更新を1回サボったらあっという間に1か月開けてしまいました。次回10月更新にご期待ください。 今回はオスマン帝国のあちこちに出てくるケトヒュダーという官職をどう訳そうかという話です。 語源をさぐる ケトヒュダーはペルシア語からの借用語で、家(kad)と主(khudā)の複合語となります(現代ペルシア語ではキャドホダー)。もともとはサーサーン朝時代の中世ペルシア語に遡る言葉だそうで、アラブ征服期にイスラム化せずに残っていたダ

          ケトヒュダー、其は何をする人ぞ

          近代オスマン陸軍の階級

          近代軍隊の歴史の翻訳に取り組む際にもっとも厄介なもののひとつ、それは階級です。 欧米では階級は封建軍から近代軍へと変化していく過程で、軍隊の単位(軍、師団、旅団、連隊、大隊、中隊、小隊)の指揮官の呼称からおおまかにできあがっていったものなので、各国で似たり寄ったりだと思います。将官の呼称がまちまちだったり、下士官がてんでバラバラだったりしますが、現代ではNATO階級符号を用いて対応関係が示されています。 日本などの東アジア諸国では欧米でできあがった階級を移植しつつ、漢字文

          近代オスマン陸軍の階級

          カプタン・パシャはなんと訳すか

          noteにアカウントを作ったので、オスマン語の軍事史や衣装に関する文献を日本語訳するときにどういうふうに頭を悩ませているかという話を書いていこうと思います。怠惰が取り柄なので三日坊主になったらすいません。 第1回は「カプタン・パシャはどう日本語訳しよう?」という悩みです。 カプタン・パシャは何をしていた役職かカプタン・パシャ(Kaptan Paşa)はオスマン帝国の艦隊司令官の役職名です。オスマン語ではカプダーン・パシャ(Kapudân Paşa)と綴られ、別名カプダーヌ

          カプタン・パシャはなんと訳すか