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ケトヒュダー、其は何をする人ぞ

そんなことだろうと自分では思っていましたが、毎週更新を1回サボったらあっという間に1か月開けてしまいました。次回10月更新にご期待ください。

今回はオスマン帝国のあちこちに出てくるケトヒュダーという官職をどう訳そうかという話です。

語源をさぐる

ケトヒュダーはペルシア語からの借用語で、家(kad)と主(khudā)の複合語となります(現代ペルシア語ではキャドホダー)。もともとはサーサーン朝時代の中世ペルシア語に遡る言葉だそうで、アラブ征服期にイスラム化せずに残っていたダイラム地方(イラン北部、カスピ海南岸の山岳地帯)の支配者がキャドホダーと呼ばれていた事例があります。

イスラム化以後の近世ペルシア語の用例は辞書には次のように書いてあります。

کتخدا kat-ḵẖudā (for kad-ḵẖudā, "master of the house"), A lord-lieutenant, a viceroy, vicegerent, vicar, locum tenens, deputy; a rich or great man, the chief inhabitant of a place; (astrologically) the lord of the ascendant, the predominant star at a person's birth.

F.J. Steingass, A Comprehensive Persian-English Dictionary

つまり、特定の領域を支配する官職として、地方長官、代官、果ては地主の代理人などに用いられました。さらに転じて現代イランでは「村長」という意味になります。

オスマン語の辞書では

本来の意味は文字どおり「家の主人」であって、イランではその語義の延長線上で用いられていたわけですが、オスマン帝国では突然話が変わります。

James W. Redhouseのオスマン語辞書を引くと、次のように書いてあります。

‎کتخدا ket-khudā, vulg. kyāhya, kyāya (from P. ‎کتخدا ), s. 1. A steward in a greatman's household, also a manager of a farm or estate. 2. A warden of a guild. 3. A bailiff of a village or ward. 4. An officious meddler.

James W. Redhouse, A Turkish and English Lexicon

Redhouseの辞書にあるようにオスマン帝国ではケトヒュダーはさらに転訛してキャフヤーとも言い、ペルシア語に近い用例から高官の補佐官やギルドの長などにまで意味が広がっています。

さらに現在市販されている一般的なトルコ語-英語辞典ではこうなります。

kethüda, hist. chief steward, majordomo

Türkçe-İngilizce Redhouse Sözlüğü

なんということでしょう。古代イランの村々を支配した地方領主が、お金持ちの家の召使いになってしまったではありませんか。

大宰相府公用人ー代表的なケトヒュダー

冒頭で触れたように、ケトヒュダーという肩書きを持った人はオスマン帝国のあちこちに出てきます。

最もメジャーなのは「大宰相府のケトヒュダーサダーレト・ケトヒュダースゥ」でしょうか。通説によると、大宰相府のケトヒュダーは、大宰相の私的な家政用人ケトヒュダーが、大宰相の公邸が宮廷から独立した官衙として発展していく過程で18世紀前半に大宰相府に勤務する実務官僚の筆頭として公的な官職に転換し、内政の中枢機構になったものとされ、文書の余白に書き込まれる大宰相の命令ブユルルドゥを代筆する権限を有するなど、大宰相府における大宰相の職務遂行を補佐する役割になったものとされており、鈴木董先生によって「大宰相公用人」の訳語が充てられています。

これに対して鈴木先生の弟子筋である高松洋一先生が「梗概(hulāsa)考:18世紀後半のオスマン朝の文書行政」(『東洋学報』81巻2号, 1999.9.)という論文において、大宰相府のケトヒュダーが帝国の各地方から送られてくる上奏書を接受していたこと、その配下と思しき「ケトヒュダー局ケトヒュダー・オダスゥ」という書記官僚組織が上奏書に対する中央政府の政策を決定するために用いられる「梗概フラーサ」という様式の文書を作成していたことを指摘し、大宰相府のケトヒュダーが「大宰相府長官」とも言うべき文書行政上の重要な任務を果たしていたことを明らかにしています。
そうなると、大宰相府のケトヒュダーに大宰相公用人という訳語が適切なのかどうか、再考が必要になってきます。高松先生も論文では「大宰相のケトヒュダー」という用語を用いており、あえて概念を日本語に翻訳していません。

さまざまなケトヒュダー

実は、大宰相府のケトヒュダーがそうであるように、オスマン帝国のケトヒュダーは、辞書の記述に反して、必ずしも私的な家政用人であったとは言いがたいように思われます。

まず、15世紀後半頃にアナトリアとルメリの州総督ベイレルベイの部下にケトヒュダーが登場します。彼ら「州のケトヒュダーヴィラーイェト・ケトヒュダースゥ」は、州総督を補佐し、徴税などを行っていたとされます。州によってはケトヒュダーが複数人いて担当地域の治安維持を担っていたり、騎兵の指揮をしたりしていました。もはや「地方領主」とも「用人」ともほど遠い存在です。

時代が降ってくると地方官のケトヒュダーと別に市のケトヒュダーという役職ができてきて、地元の有力者などから選出されて、中央政府から任命される地方官とは別に住民代表として市政を担うようになります。

また、総督たちはイスタンブルに邸宅のケトヒュダーカプ・ケトヒュダースゥを置いていて、中央における窓口にしていました。属国であるクリミア・ハン国のハンや、ワラキア・モルダヴィア公国のヴォイヴォダもカプ・ケトヒュダースゥをイスタンブルに置いていました。

それから常備軍カプクルにもケトヒュダーがいます。
イェニチェリ軍団には長官イェニチェリ・アースゥ御犬番頭セクバン・バシュ(セクバンというのもややこしいのですが書き始めると長引くので割愛)に次ぐナンバー3として下僕のケトヒュダークル・ケトヒュダースゥまたはイェニチェリのケトヒュダーイェニチェリ・ケトヒュダースゥがいました。君主側近の内廷小姓から登用されることの多い長官やセクバン・バシュに対して、ケトヒュダーは必ずイェニチェリ兵士からの叩き上げでなければならないとされ、軍団の慣習に通じた者として尊重される重要なポストでした。
また、常備軍のほかの軍団、砲兵トプチュなどにもケトヒュダーがいました。

ざっと事典に載っているケトヒュダーの例を書き出していますが、これで全部ではなくはしょっています。民間でもギルドの長がケトヒュダーと呼ばれていたことは上述のとおりです。

ではケトヒュダーをなんと訳すか

ここまでお読みいただければお分かりでしょう。ケトヒュダーという肩書きは「ある役職を補佐し、与えられた分野を管理監督する者」というようなざっくりとした意味合いであるらしく、日本語としては一律の訳語を充てようがないと言わざるを得ません。

辞書を引くと定訳である「公用人」という訳語を充てたくなりますが、とてもじゃないですがそんな簡単なものではない。場合によってはそのまま「ケトヒュダー」とカタカナ表記するしかないかもしれません。