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映画の歴史~先史時代から19世紀の映画、映画産業が大衆化するまで~

誰もが初めて映画館に行った時の思い出や人生で最初に観た映画の記憶が残っているのではないだろうか?

私も子供の頃、「トイストーリー」を初めて見た時の感動やワクワクした時のことを鮮明に覚えている。

さて、今回は映画好きな私が映画の歴史を特定の期間とポイントに絞って解説していきたいと思っている。

今回は映画が何故、始まったのか?
そもそも、何故映画が世界中へ広がっていったのか?

映画が始まった先史時代からおさえていきたいと思う


影絵や映像装置

今ではYoutubeで動画を視聴する人も多くいらっしゃるだろうが、動画の歴史は驚くほど古いことを頭に入れておかなくてはならない。

絵で物語を伝えるという目的で初めて光が使われたのは、古代東アジアの「影絵」だった。

影絵は紙や木で作られた人形、動物などに見立てた手など体の一部を後方から光を当てることで、スクリーンに映し出す。

17世紀は光学に関する新たな好奇心に溢れていた時代で、望遠鏡や顕微鏡の発明に繋がった。

1659年にはオランダの数学者クリスティアン・ホイヘンスがのちの映写機に繋がる「幻灯機」を生み出した。

幻灯機は、学校の授業で物語を伝える時に利用され、操作をする人が素早くスライドを取り替えることによって絵が動いているように見せることが出来た。

1800年代に台頭するゾエトロープ

産業革命で科学が大きく発展するこの時代、開拓精神に溢れた探検家や西欧諸国が世界の国々を繋ぎ、かつてないほどのスピードと技術が共有される時代となった。

イギリスは植民地戦争に勝利すると世界の覇権を握っていく。

アメリカ・ヨーロッパ・アフリカを繋ぐ三角貿易を通じて、海外から大量の物資・情報が流入する。

ここで誕生したのが「フィルム」という概念だった。

そのフィルムを使って動きの錯覚を作り出す装置が発明される。

それが「ゾエトロープ」だった。

ゾエトロープは内側に描かれた連続するイメージを回転させる円筒形の器具で、すき間を覗くと映し出されるフィルムがまるで動いているかのように見える。

キネトスコープの登場


その後、トーマス・エジソンが装置の小さな穴を覗くと、光源の上を移動する細長いフィルムが動いているように見えるキネトスコープを発明し、フランス人のレオン・ボウリーが世界初の複合映写機シネマトグラフを開発する。

ボウリーはそのシネマトグラフの特許をリュミエール兄弟に売る。
(リュミエールがそのシネマトグラフを応用し、映画を上映した経緯についてはのちほど解説する。)

一般大衆が映画に触れる環境が徐々に構築された。

最初のスクリーン上映

初めて一般の人たちに向けて映画を上映したのは“映画の父”ことフランスのリミュエール兄弟と言われている。

リミュエール兄弟は「工場の出口」(1895年)や「ラ・シオタ駅への列車の到着」(1895年)などを上映し、ボウリーから特許買ったシネマトグラフを活用した映画上映事業を確立した。

約50秒という技術的制限の下、構図やアングル、演出など彼らは純真無垢に映画を撮っていたという。

兄弟によって製作された映画は全部で1,422本。

彼らの映画は工場から人が出てくる様子や、列車が駅に到着するだけだったり、リミュエール兄弟の映画は日常をありのままに撮影したものが多かった。

しかし、当時はそれがまだ誰も成し遂げたことのない偉業で感動を呼んだ。

ヨーロッパ、中東、アジア、そして日本、世界各国で撮影された風景が当時の観客を魅了し、まだ観たことのない映像に人々は興奮した。

撮影技術、撮影機材など純粋に世の中に届けたいという一心で彼らは作品を作り続けた。

彼らこそ発明家であり、映画監督であり、脚本家であると思う。

映画産業の原点はここにあり、″映画の父”と呼ばれる彼らの功績であることは紛れもない事実だろう。

だからこそ、そんな彼らの偉業と功績に感謝したい。


リュミエール兄弟の人生を切り取った作品はこちら!
『リュミエール!』(2016年公開)



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