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「NOTHINGという腫れもの」

昨夜は地元の書店で「ライフ・オブ・パイ」の原作「パイの物語」を書いたヤン・マーテルのトーク&サイン会に行ってきました。マーテル氏はスペイン生まれですがカナダ人。でも父親が外交官だったため世界中で生活したことがあるそうです。

「パイの物語」は世界中で超がつくほどの大ベストセラーになり、映画化も去れ、映画のほうは監督賞始めアカデミー賞もいくつか受賞しています。私もこの本、映画ともに大好きです。

新刊のHigh Mountain of Portgual という小説のPRでツアーをしているようですが、200人以上の人が集まり、やはりPi効果はすごいなと思いました。

この新刊、私はまだ読み終えてないのですが、タイトルの通りポルトガルを舞台にした小説で、3部に分かれています。

普通、こういった新刊PRのツアーでは作家が作品の一部を朗読することが多いのですが、昨夜はそれがなく、新刊について20分程マーテル氏が話をし、あとはQ&Aというかなりカジュアルな形式。「新刊のことだけじゃなくて、『パイの物語』のことも聞いて良いですよ。 I don't mind 」と言っていて、かなりトークに慣れていて気さくな印象でした。超ベストセラーを一度書いてしまうと、その後その本の話しかされないと結構苦痛じゃないのかな、と思いますが彼は(あくまで表面上は)構わないですよ、と言っていて好印象でした。

お話を聞いてみて思ったのが、話が面白い!知的!ということ。変にスレているのではなく純粋に話が興味深く、トークも上手。ベストセラー作家だからすでにいろんなところで話をしているからだろう、とも言えますが、純粋に良い人という感じでした。話がくどくない若い大学の先生みたい。

いろんな話をされたのでまとめるのは難しいですが、新作の本は聖書のゴスペルからヒントを得ていること。彼自身は宗教とは全く関係なく生きてきているけど「パイの物語」同様、新刊もFaith、信仰とか信じるものについて書かれていること、アガサクリスティーの話−彼女って世界中で売り上げナンバーワンの作家なんだそうですがそれは何故か。クリスティーとジーザス(イエス)のストーリーテリングの類似点、何故カナダの中でも僻地(失礼)のサスカチュワン州に住んでいるのか(モントリオールに10年住んで、都会は小さくまとまっていて自然と全く無関係に生きられることに飽きたから)、映画版「ライフ・オブ・パイ」の感想(ストーリーテリングが弱い)、本の結末は書く時からわかっているということ、リサーチをものすごくすること(メモの量が半端ないらしい)等々、あっというまの1時間でした。

ベストセラー作家と自分を比べてどうするんだよ、とも思いますが、作家の卵でさえもない私と彼の差の大きさにちょっと呆然としましたね。私はずっと、小説を書きたいのか、書けるのか悩んでいて(書いたことすらないんですが)、フィクション作家になりたくないのならなんでこんなに作家のことが気になるんだろう?とか、いろいろモヤモヤしてます。例えば、音楽の分野で成功している人をみても、すごいなーと思うだけで「私もこの人にようになれるのだろうか」とモヤモヤは全然しないわけです。でも、小説家だとモヤモヤする。一般のノンフィクションのライターさんやエッセイストという方をみてもそこまでモヤモヤしないのに。何故???

まだ日本に住んでいた頃に買った山田詠美のエッセイ集、「メイク・ミー・シック」、今でも年に一回くらい読み返します。かれこれ20年くらい読んでるんですよね。もうカバーなくして、ボロボロになってるけど。ちょっとググってみたら、たけしままりなさんもnoteに書かれています。

私が特に好きなのが「NOTHINGという腫れもの」という章。

英語では、よくI was nothing. という言い方をする。私は、何者でもなかったって意味。今は、成功したけれども、そのころは、何も手にしていなかったということだ。何かを創り出して、自分を表現したいと決意する時、このnothingである自分に劣等感を持つことになる。その瞬間から、人は、常に自分の心に腫れものを抱えて、自意識とプライドの板挟みになる運命を背負うのだ。世の中がイージーになって来たって、こればかりは絶対に変わらないよ、言っとくけど。

20年以上前の言葉ですが、真実なのがすごい。本当に、こればかりは絶対に変わらない。そして、すごく好きなのが下の逸話。

六本木のクラブで働いていた時、ある俳優がやってきた。有名人に興味のないエイミーは更衣室でタバコをすってサボっていたら、ひとりの女の子が顔を真っ赤にして駆け込んできた。

どうしたの?具合でも悪いの!?と聞くとその子は「ちがうのよ!!」

「私、駄目なの。ああいうふうに、第一線で活躍している俳優を見ると、自意識過剰になっちゃって、いたたまれないの。私、どうして、こんな所で、お酒のお酌しなくちゃならないのって、思って、恥ずかしいの、こんな自分が。今に対等になってやるって思い始めて、手が震えてきちゃうんだ」
私は、彼女を抱きしめてあげたい気分だった。彼女が、役者志望で、学校に通っていることは、誰もが知っていた。だから、誰も、彼女をとがめなかったのだろう。私は、ただ、がんばってねと声をかけて更衣室を出た。
あの時、来た客が、もし作家だったら、どうだったろうと、私は、今、考える。多分、同じような思いを味わったかもしれない。そして今の私を見て、あの時の彼女のように震える作家志望の女の子も、絶対に存在する筈なのである。私には、やはり、がんばってね、と声をかけることしか出来ない。

昨夜私が経験したモヤモヤというか、畏敬の念はこの自意識過剰ってやつですよね。そしてモヤモヤする自分に「私はまだ何者でもない」という恥ずかしさが加わる。でも、本当に自分が小説を書きたいのかどうかもわからないんですけどね、今の時点では。

どちらにしても、素敵なトークが聞けたこと、素晴らしい才能を目にすることが出来たこと、自分の「腫れもの」に気づけたという意味で、有意義な夜でした。

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