「結果」ありきの批判は「ただの自己満」。
先日とある新聞を読んでいたら、
勝負の3週間※の「失敗」について書かれた記事を目にした。
※勝負の3週間
2020年11月25日に西村経済再生担当大臣が
「この3週間が勝負だ」として、
コロナの感染対策を短期集中で行うと呼びかけた期間のこと。
そこには、
「官僚も医療界も対応が後手に回っていたと言わざるを得ない。今後、大いに反省が必要だろう」といった主旨の内容が書かれていた。
書かれている批判は、その通りだと思うところも一部あったし、記事を書くためには必要だとも思ったけど、
僕自身はこのような「結果」ありきの批判はしないようにしてる。
理由は、その批判が的を得ていないからというよりも、自己満で終わってしまい自分の成長の妨げになると思うから。
今回は、そういう種類の批判について書くことにした。
○「後医は名医」
という医療界で有名な言葉がある。
簡単に言うと、
「初診の医者(=前医)より、紹介医(=後医)の方が名医に見える」現象のこと。
これは前医より後医の方が診断がつきやすい、という事実に基づくものだけど、
後医が名医というのは必ずしも正しくない。
皆さんの中にこんな経験のある人はいないだろうか。
熱と喉が痛くて、近くの病院に行ったところ、「風邪ですね」と言われ、風邪薬を処方してもらった。
しかし、薬は全く効かず、熱も喉の痛みも治らない。
前の医者が信用できなくなり、数日後に新しい医者を訪ねてみると、
喉を診察されるなり、「これは溶連菌※ですね。」と言われ、抗生剤が処方され、あっという間に治ってしまった。
※溶連菌感染症
喉の奥にある扁桃腺に炎症が起こる感染症で、抗生剤を使わないと重症化することもある。
この経験をした人は、
「近くの医者はダメだな。最初から後の医者の方に診てもらえばよかった。」
と思う人もいるんじゃないかと思う。
このように後医の方が診断がつきやすいのは、
情報の優位性あるからだと言われる。
その中でも今回は「時間」と「治療反応」についての優位性を紹介する。
まず「時間」について。
症状は「時間」経過とともに徐々に現れることがある。
今回の例でいうと、
1人目の医者にかかったときの症状は「熱と喉の痛み」だけだったかもしれないけど、
2人目のときには、「時間」が経過してるので、さらに「喉の奥にある扁桃腺が真っ赤に腫れ上がっていた」のかもしれない。
そうなると2人目の方が、
溶連菌に特徴的な症状が現れているので、
より診断しやすくなる。
次に「治療反応」について。
2人目の医者が診るときには、
「風邪薬を処方されたが、効かなかった」という情報が新たに追加されている。
このように、
ある治療に対して患者がどういう反応を示したかを「治療反応」という。
この情報により、
2人目の医者は「風邪も考えられるけど、風邪薬が効いてないなら今回は違うかも」と考えることができる。
つまり「風邪薬の効果」を知っていることで、
より風邪以外の病気を疑いやすくなる。
というように、
後医は前医よりも、情報の優位性を持ってるのが分かる。
まあこうやって言われると当たり前と思うかもしれないけど、
実際には医者も患者も「後医が名医」と判断してしまうことがよくある。
(実際、後医が本当に優秀なパターンももちろんあるけど、それ以上に多く。)
ここから生まれやすいのが「前医への批判」。
後医目線で言うと、
「自分は適切に診療し、前医は間違っていた、もしくは知識不足だった。」と結論づける。
前医が診断に至ってない以上、確かに落ち度や失敗はあったかもしれない。
ただそれを批判したいなら、せめて後医としての「優位性」を外した上で考えたい。
具体的には、
自分が「前医と同じタイミング、同じ状況で」診察したとして、適切に診断できていたか。
そう考えないことには、鋭い指摘はできても、自分が次に活かせる学びにはならない。
○コロナの国策への批判
ここから僕が一番伝えたいことになる。
コロナに対する「まん防」や「緊急事態宣言」、その他諸々の国策に対して、
ネットやSNS上で、最初にあったような
「勝負の3週間も失敗に終わった」
「今の政府は結局何もしていない」
と言った、結果ありきの抽象的かつ極端な意見をよく目にする。
彼らの言いたいことはわかる。
飲食店を始めとしたこれだけ多くの施設に休業や時短を要請し、人々の移動制限をしておきながら、感染は依然として抑え込めてはいない。
でもこれは言ってみれば「後医」目線の批判だと思う。
国は「感染を抑え込もうとして」国策を出す。
それを叩く多くの人は「国策を出しても感染が抑え込めなかった結果を見て」批判する。
これは明らかに時制がずれている。
後出しジャンケンみたいなものだ。
批判の内容や妥当性はさておき、これはフェアじゃない。
これが厄介なところは、
叩く方は「結果」や「時間」を味方につけているにも関わらずその自覚がないため、
「自分の方が物事を理解できている」「政府はただのバカだ」という勘違いを生みやすい。
冷静に考えれば、
「国について考える」ことを仕事している優秀な人たちが、
全く別のことを仕事にしている国民に大きく遅れを取るはずはない。
もちろん至らない点はあれど、
少なくとも「ただのバカ」ではない。
このように、
「結果」ありきの批判は
鋭い指摘になりえるけど、自分が有能だと勘違いした挙句に、自分は反省しないという悲劇にも繋がる。
もちろん「結果」を加味した鋭い指摘は、反省点を炙り出す上で必要不可欠ではある。
ただそこで傲慢にならないようにしたいとよく思う。
そう頭で分かっていても、自分もついやってしまうことがあるので、今回自戒も込めて書いてみた。
最後までありがとう。
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