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毒親育ちと、自己肯定感と、結婚式と。

 私は結婚式を挙げていない。

 結婚式を挙げる気になれなかった理由は、そもそも「私の結婚」が、他者から祝福されるイベントだと思っていなかったからだ。

私のドレス姿なんか、誰がわざわざお金払って見に来るの?

誰が私の人生の進捗なんか興味あるの?

当時は本気でこう思っていた。「自分の結婚に価値があると思ってるの?ナルシストの幸せ自慢乙。思い上がりも甚だしい、ほんと恥ずかしい人」。これは、完全に内なる自分さんの声ですね。そんな風に自分で自分をいじめるばかりで、自分、ひいては自分の人生のことを全く大切なものだと思えていなかった。

 加えて当時フェミニズムを少し齧っていたこともあり、私にとって「結婚」とは、あくまで男女が子供を育てていくにあたって、国の支援を受ける権利の公的証明でしかなかった。公的支援のメリット以外は、ただただ忌まわしい家父長制の名残としか感じておらず、子供ができたからやむなく結婚する、それだけだった。それを、ドレスで着飾ってお祝いする?蔓延る女性蔑視に対する皮肉か何か?笑えなかった。

 そもそも、本当に好きな相手なら、自分の欲望で相手を束縛するべきではないと思っていた。例えば、私より夫を幸せにしてくれる女性が現れるなら、夫は無理して私といる必要はないし、彼女と夫の幸せを、私は制限してはいけないと思っていた。しかし、結婚したら不倫は犯罪だ。それは、相手を縛ることじゃないのか。夫にとって、私なんかが一生の相手でいいのか。自分に価値を見出せていなかったから、自分と結婚することで、大好きな夫の一生を台無しにしてしまうような不安と恐怖があった。

 …そう、病んでいた。
 自分に全く存在価値を感じていなかったし、現に大切にしていなかった。雑巾みたいに思っていた。人に良いように使われて、汚れてボロボロになって、いつか何の感情もなくぽいと捨てられる。
 ちなみに、内心はこんなでも、私は毎日人様から「いつも楽しそうで良いね!」「悩みなさそうで羨ましい!」と言われ、フルタイムで仕事をして、週末は家族と出掛けて、彼氏も友人もいたのだ。鬱は本当に表面上分からないものである。

 さて、こんな私も、とことん自分と向き合ったおかげで、今は随分前向きな人間になった。精神が回復してきたおかげだろう、

若くてピチピチな間に、ドレス着てみたかったな…

一生に一度のチャンスだったのに、もったいなかったかな…

と、挙式をしなかったことについてほんのり後悔の念を抱くようになった。自分の人生の節目をもっと大切にすればよかったなぁと。そう思えるのはとても良い傾向である。

が。


 先日知人の結婚式に参列し、「やっぱりワイにはこれは無理や」と、腹の底の底から思った。

 あまりにも温かい生い立ち紹介のムービー。感動に満ちた、それぞれの両親への手紙。
 そんな温かい思い出も、両親への感謝も、今の私の胸中にはひとつもない。いや、ムービーも手紙も、それらしいものを作ろうと思えば作れる。そのためには、ひたすら自分の気持ちに嘘をつくことになるけれども…。考えただけで息が止まりそうな苦しさだった。

 そもそも私の結婚は、ある意味親と決別するための決断の産物なのだ。父母から濃厚に受け継いだ一族の呪い的サムシングによる「もう死にたい」が限界突破して、逃げ出した先でやっと掴んだ私の新しい人生。
 それを、「産んでくれてありがとう」?「育ててくれてありがとう」?両親への感謝に還元しろって?…口が裂けてもそんなこと言えない。解釈違いも甚だしい。

 結婚しました、はい結婚式を挙げよう!と素直に思える人は、健康な精神と幸福な人生の持ち主だと思う。妖精か天使みたいに美しい知人の花嫁姿を見ながら、彼女の幸福が本当に嬉しく、そしてとても羨ましいなと思った。私も、叶うならそちら側の人間でありかった。

 まあ、ないものがないって泣いていても仕方がない。私も随分、持って生まれたものに諦めがつくようになってきた。結婚式を挙げない人生も、クールでアバンギャルドで最高じゃないか。だってアタシ、普通の女の子とは違うのよん、なんちって。「結婚式すら挙げられない、普通なら皆持ってる幸せを持ってない私」と嘆くより、ずーーーっと良い!

 しかし、今後もきっと結婚式は挙げないけれど、ドレスを着てみたいのは事実。人生を大切にしてこなかったので、結婚式のみならず、成人式など、一般ガールズが着飾って写真を撮る人生イベントをことごとくスルーしてきてしまっている。30の誕生日に、ドカンとドレス写真、撮ってもらって見ちゃおうかしら、?!

おしまい。

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