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お焚き上げ「お前、可愛い枠じゃないからな」

 「お前、可愛い枠じゃないからな」

 男性の先輩から、嘲笑混じりに言われた一言だった。仕事終わりの飲みの席だった。経緯は覚えていないが、確か、その男性の普段掛けている眼鏡を、おふざけでかけさせてもらっていた時のことだったと記憶している。

 その時の私は、ほとんど化粧をしてない上に、アイロンも通していない長い髪を、ただただストンと下ろしていた。蒼井優さんに憧れていて、顔も体も蒼井優さんじゃないのに、蒼井優さんだからしていい手抜きを、そして多分蒼井優さんですら実際はしていないであろう手抜きを、白昼堂々、職場の人の前でしていたのだ。
 先輩の眼鏡を悪戯っぽくかけてみたのも、こじらせ自称蒼井優だった私なりの、小悪魔モテ仕草であった。

 今でこそ、当時の自分の度の過ぎた自意識過剰に、穴があったら入りたい、いや、むしろ埋めて欲しいような思いであるが、当時は純粋にショックを受けたのを覚えている。正に、頭を鈍器で殴られたような、という表現がぴったりと当てはまる衝撃、心の痛み。その席にいらっしゃった他の方々は、気まずそうな、気の毒そうな色をほんの僅かに顔に浮かべはしたものの、品よく彼の発言自体を黙殺してくださった。しかし、いくら皆さんが聞こえぬふりをしてくれたとはいえ、いや、だからこその、耐え難い羞恥。
 こちらの羞恥心には、顔から火を吹く、と言う表現がぴったりと当てはまった。ただでさえ肌荒れして赤い顔が、その時は茹蛸のようだったに違いない。

 眼鏡先輩が無神経な悪人なのではない。私の振る舞いが、彼が思わずそう口にせずにはいられない、見ていられないほど痛々しいものだったのだろう。事実、今から思い返すと自分でも「なぜあのようなイタすぎるキャピムーブを…?」と慄くぶりっ子ぶりだったと思う。

 話が変わるが、最近私の母親は、なぜか私の夫と話す時ぶりっ子する。ぶりっ子っていうのかな、必要以上に目を見開き、大袈裟な挙動で相槌を打つ。今時女子中学生でも相当レアキャラなんじゃない…?と思うようなキャピキャピぶり。あれ?ママって他人様への応対の時、こんな感じだったっけ?と思いつつ、実父へのあまりにそっけない対応とのコントラストに、スッと血の気が引く思いがする。
 実母のそんなキャピキャピ姿は、はっきり言ってみっともないというか、見ていられないと思ってしまう。「いや、考えすぎなのかな、そんな風に見える私の性格が悪いのかな?」と自分のことがつくづく嫌になる側面もあるが、何より「もしかして、自分も他人から見たらこんな風なのかな…?」と思うと、胸がギュッと締め付けられて苦しくなる。
 んで、ハッと気づいた。。

もしかしてじゃくて、多分こうだったんだわ、ワイも………(絶句)

 子供は一番近くにいる他人、ー多くの場合母親ーの価値観や振る舞いをコピーするところから社会生活を始めるので、幼少の私が、母の言動を無意識的に自分の中に取り込んでいた可能性は非常に高い。
ちなみに実家にいた頃は思いもしなかったのだが、自立してからというもの、ちょくちょく母のプリンセスムーブを見ては、
「ママって大して美人じゃないのに、なんでいつも『私こそがこの場のヒロイン、主人公よ〜〜〜!!』って感じなんだろう…?」
と疑問を感じていた(※ルッキズム全開でほんとすいません)。当の私も、おそらく他人から見たらこの状態だった…はずだ………グハッ、い、痛すぎる。(瀕死)
 さらに根が深いのは、この「大して美人じゃないのに主人公オーラ出してくる技」、母親の母親、つまり祖母も使う大技なのである。

代々受け継がれし秘伝の必殺技になっとるやんけwwwwww

 祖母も母も、本格的に社会人として大勢の組織に従属したことはない。家庭という圧倒的に比較対象のいない小さなコミュニティにおいては、確かにこの技は有効だったはずだ。女は愛嬌、というやつである。事実、家庭におけるヒロインは自分ただ一人なのだ。気が済むまでラブリームーブしたら良い。

 しかし、私が今生きてるのは過酷な現代社会。自分が紅一点というシチュエーションではなく、周りにはゴロゴロ多種多様な美女がひしめく混沌の世界である。そこでこの技を使うと、おそらくその威力が自分にが返ってきてしまう仕組みなのだ!!

 …いや〜、我ながら、今日の考察はなかなか鋭いんじゃなかろうか。この技の危険性を教えてくれた職場の先輩には感謝しかない。耳が痛いことを率直に言ってくださる他人の存在は本当に貴重である。今後はまず、自分自身が技を封印する努力をしつつ、母の技も生暖かい目でスルーできるようがんばります。

 おしまい。

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