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人生は美しく愛おしいイーサン・ホーク初監督「シーモアさんと、大人のための人生入門」

大人になるにつれて、こんなはずじゃなかったなあ。

なりたかった自分ってこんなだっけ。

なんて自分に疑問を持ちなんとなく息苦しい感じ、頭の片隅にもちあわせていたりしませんか。

大人になった今だからこそ考え直してみてほしい、"より良く"生きるためのヒントを教えてくれる映画を紹介します。

今作はイーサン・ホークファン必見作品です。

なぜなら彼が初監督を務め制作されたドキュメンタリー映画だからです。

ビフォアシリーズで完全にイーサンの虜になってしまっているわたしにはとても贅沢な1時間ちょっとの啓発になりました。

こちらは、U-NEXTで鑑賞できます。


「シーモアさんと、大人のための人生入門」(2014)

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時間/ 129分 監督/イーサン・ホーク キャスト/ シーモア・バーンスタイン、イーサン・ホーク 他


《あらすじ》 人生の折り返し地点。一人の人間、大人として人生に行き詰まりを感じていたイーサン・ホークは、ある夕食会でピアノ教師であるシーモア・バーンスタインと出会う。彼に魅了されたイーサンはドキュメンタリー映画を撮ろうと決める。決して平坦ではなかった人生を、シーモアは美しいピアノとともに語る。彼の温もりのある言葉は、私たちの人生に足りなかったものをシンプルに捉え、教えてくれる。


🎷イーサン・ホーク初監督作


本作は、イーサン・ホーク初監督作品にして

🎖第36回 トロント国際映画祭 観客賞ドキュメンタリー部門3位
🎖第50回 全米映画評論家協会賞 ノンフィクション映画賞3位

ニューヨーク映画祭にも出典されるなど、注目を浴びた作品だと言えます。

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イーサン・ホークは大人になるにつれて自分が俳優をやってる理由がわからなくなっていた。

表面的な評価は得られるが何か本質的なものを見失っているような。

オーセンティックな理由を忘れかけていた。

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大人になるって、

小さい頃のわたしははやく大人になりたいと願っていました。
なにもかも自由で満たされていて、好きなことを好きなだけ、それが子供ながらにいつも憧れていました。

でもいま、大人になった自分が思う"大人"とは一体なんだろう。

世間と、社会と触れ合うほどに自分が搾取されていくような、ただ集団社会の一員として生きているような。

思い描いていた"大人"とはずいぶんとかけ離れていて心だけがいつの間にか取り残されていってしまい、無力感と自分からの疎外感を感じていました。


🎷イーサン・ホークとシーモアの出会い

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イーサンは友人宅に招かれた夜、たまたま居合わせたシーモア・バーンスタインに出会いました。

シーモア・バーンスタインは「ピアノの覇者」「心をとらえて話さぬ演技」「絵画のような描写力」として賞賛されていた有名ピアニスト。50歳の時に現役を引退し以後教える立場にまわり当時84歳にしてピアノ教師として活躍されています。

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大らかな優しい語り方と口調、シーモアの優しさは人々の内側の感情的な反応を引き出させてくれます。

イーサンはたちまち安心感に包まれ悩みを打ち明けることにしました。

それは、俳優として最も恥じていた舞台恐怖症に悩んでいたこと。

たった一度の食事で他のどの同業者の言葉よりも、イーサンに励ましの言葉をくれました。

「舞台にもっとあがりなさい。」

一度その才能が体に染みついたら人はみんな、緊張するものなのです。


🎷人格の源は才能の中にある


"人格をつくる源はどんな才能であれその人が持つ才能の中にある"


ピアノの練習をしてとびきりうまく弾けた日にはなんて人生は調和したものなのだろうと喜び、うまくいかない日には家族や友人に強く当たってしまい、最悪な人生だと嘆く。


音楽家としての自分と、普段の生活をしている自分

その2人を自分の奥深くのところで一致させることではじめて本当の喜びや人生を謳歌できると。


わたしには最初ぴんとこない言葉でした。わたしは音楽家でもなければ才能もない。

でも、きっとシーモアさんの言いたいことは本当の意味で自分を知り、受け入れることが人生を豊かにしてくれるということなんじゃないかしらと思います。

自己受容とは、別に自分に対して高い評価を課すものでもなければ妥協するものでもない。ありのままのいまの自分を受け入れること。

そうすれば自然と周りの声が聞こえてくるようになって自分では気がつながった他人とは違う自分つまり才能に気がついていく。

好きな人に見せる自分の姿と、本当の自分がだんだんと一致していっていつしか理想の自分に近づいていくんじゃないかと、そんな風に思います。

どちらか片っぽが無能と思い込んでしまったらもうどちらとも無能になってしまいます。

真剣に向き合うのです。

才能を本当の意味で開花させるには、自分を境地に立たせて戦うことです。


映画ではバッググラウンドで常にピアノの音が心地よく流れていて、そかにメロディーが加わるようにシーモアさんの言葉が聞こえてくるのです。


🎷感情の表現


ピアノにはヴェートーベンのような"力強いまさに男性らしい"とされていた表現があるようにまさに男性がフェミニンな表現をすることは恥ずかしいこととされ、避けられてきました。

繊細なヴェートーベンは自分の女性性を押さえようとしていました。

シーモアさんがピアニストとしての朝鮮戦争従軍中にピアニストとして各地の前線で戦う兵士達のために演奏して回っていた時のことです。

死体袋がすぐ隣にある状況で生き生きと輝く青年たちは、彼の強く、しなやかな演奏をみな聴き入り、中には涙する者もいたそうです。


人の内側にある感情を引き出させることは、音楽に深みをもたせる他、人生においてもとっても重要なことです。


シーモアさんは現役引退を迎えるその日まで自分の演奏に心から満足できなかった。

本当に伝えたいことを舞台で表現できるようになったのはそれだけの時間を要したからです。

ナーバスな気持ちになることは人生つきものです。

でもだからといって、人生という舞台から降りるのはいけません。舞台に上がることを諦めてしまうとその他のさまざまな局面に対処できなくなってしまします。

何年何十年と時間がかかろうと本当に思うこと、創作を続けるのです。

他人からの称賛は演奏の前と最中に感じる恐怖を和らげる助けにはなりません。

音楽とは何か、それを明確に定義することはできませんが音楽が感情の言語であることは誰もが認めてくれる。


🎷独りの時間を向き合う


人間誰しも孤独を嫌います。

もちろんひとりになる時間は大切ですが、孤独という意味での独りとはどこか虚しくて切ないものを連想させます。

でも人は誰だって生まれてくる時は独りぼっちです。たった独りでポンっと飛び出してきて強く生きているといわんばかりに泣き叫びます。

独りとは、哀しいものではなく生きる強さだと思います。


シーモアさんは何十年と同じアパートで生活し、独りの時間と向き合い創作します。

生きていると理不尽なことがたくさん起こります。

ある日突然信頼していた人に関係を崩すようなことを言われるときがくるかもしれません。

音楽とは、知的な分析なしにでも心に響きますよね。

子供は音楽の構造的なことや背景を知らずとも音楽を理解できます。

そういった無知に、大人は学ぶことがある。

人生とは、時にして過剰な分析を避けるべきかもしれませんね。


人は消費や成功、名誉などの外の世界に目を向けさせられやすい生き物ですから。

そういった表面的な盾に惑わされずに独りになって、自分自身と戦ってみる。

音楽とはもっとも神聖な力があるように救いの神は我々の中にあります。

心の奥にある愛情や思いやり、そして本当の自分の姿を気づかせてくれます。

自分の中の音に愛をもって耳を澄ましてきくことです。


🎷音楽とは人生そのもの

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古代ギリシャ人は
"算術、幾何、音楽、天文学"

この4つの学問なしに人間の成長はありえないと提唱しています。

音楽は純粋な歓喜をもたらすものです。

その喜びを経験するとお金や成功といった代替え品では満足できなくなります。

音楽をすべての中心に据えれば、なにが本物かがわかる。

音楽は姿のない神のような存在です。

見えなくて触れないものだから人は魅了され、心に染み入る。

究極の美。

人生には衝突も喜びもハーモニーも、不協和音もあります。

それが人生です。

避けては通れません。

解決の素晴らしさを知るには不協和音がなくてならないのです。

不協和音がなければ和解の意味を知ることもなの。

人生とは音楽であり、定義のできないでも確かにさまざまなハーモニーがある。シーモア・バーンスタインが音楽を通して本当の豊かさを教えてくれます。


Filmarks @mmko1220






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