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夢見る猫は、しっぽで笑う。(結・前篇)




ドラゴンは、ばさりばさりと羽を鳴らし、城の前に降り立った。城の石の扉は、冷たくて重そうで、電柱ぐらい高い。私とドリちゃんは、ドラゴンの背の上から、扉を見上げる。

ドラゴンは、背中の私達をちらりと見てから、顎を地面につけて、私達が降りやすいように階段みたいにしてくれた。私達が降りると、ぶりゅるると鼻息を吐く。ドリちゃんが、よおしよしよしよしよしよしって、喉のところを掻いてあげると、くしゃみをしそうな顔になるのが可笑しくて、私はたくさん笑った。ドリちゃんがドラゴンの胸をぽんぽんと叩くと、黒い曇り空の中にばさりばさと飛んで行った。

「これってみんなに自慢できるよね!ドラゴンに乗ったよって!!」

「そうね。どこで?って訊かれるだろうから、夢の中で!って答えたらどんな反応するのか、ちゃあんと想像してから、自慢するといいかもね。」

「むむむむ、ドリちゃん感じ悪い!んもう!」

「本当のこと言ってるだけじゃない。ったく。」

私とドリちゃんは、せえのっ!で、大きな石の扉を開く。
がたん
ずどっどどどどっ
ばたーーん!って、すごい音。
指挟んだら死んじゃうんじゃないかってぐらいの音がした。
扉の先には、長い石畳の廊下。ずっと奥に小さく黒色の扉が見える。

「すみませぇん。ふたりなんですけどぉ。」

中を覗きながら恐る恐る私が言うと、ドリちゃんが私のお尻をぴしぃんって叩く。その音が、廊下に響いた。

「痛ったぁあ!」

「ここサイゼリヤじゃないんだけど!」

「痛いよぉ!もう!叩かなくてもいいと思うんだけど!あ、え!っていうかドリちゃんサイゼリヤ知ってるの??」

「そりゃね。ドリーマーですから。
ドリーマーは生まれてからずっと情報記憶媒体にコネクトして、さまざまな情報を学ぶの。適合者の記憶にできるだけ添えるようにね。それよりさ、ドリーマーに、ツッコミさせたの、多分アンタが初めてだと思うんだけど。」

「へぇ!サイゼリヤ知ってるんだ!お母さんとよく行ってた!あ!じゃあミニフィセル食べたことある??オリーブオイルかけて食べると美味しいだよぉ!」

「……ないよ。」

ドリちゃんはため息をついてそう言って、少し俯いて廊下を歩いていく。私は小走りでドリちゃんに追いついて、ドリちゃんの両肩を掴む。

「え!じゃあさ!好きな食べものとかないの?どんなの食べてるの?」

「…点滴。いままでなにかを食べたことない。嗅覚も味覚も聴覚もほとんどない。あるのは少しの視力だけ。飼育室から出たことない。歩けないし。」

「え!なにも食べられないの???なにそれかわいそう!え!じゃあ、何か楽しいことはあるの?」

ドリちゃんは、それには答えず、黒い扉に手をかけ、口元に人差し指を立てた。

中に入ると、扉は勝手に閉まり、あたりは暗闇になった。慌ててふたり背中合わせになり、周囲を伺う。ドリちゃんの背中から早い鼓動、浅い呼吸を感じる。

壁はなく、窓もなく、明かりも、月もひとつの星もない。匂いや風も、音も、なにもない場所。
真っ暗なオペラハウスのようでもあり、窓のない牢屋のようでもあり、星のない宇宙みたいだった。

けれど、先程食べた金平糖のおかげなのか、わたしたちの体はホタルのようにほんのり光って、あたりを照らす。

「ねぇ、ドリちゃん、なんか怖いよ。離れないでよ?」

私はうしろ手にそっと、ドリちゃんの柔らかい肉球を、むにんって握る。ドリちゃんも、私の手を握り返す。

このまま進もう、とドリちゃんが言うから、そのままの姿勢でゆっくり進む。背中合わせに歩を進めるたび、貝殻や硬いビスケットを潰すような、乾いた音がする。
下を見ると、赤ちゃんのおしゃぶりや小さな靴やおむつ、そしてたくさんの玩具やベビー用の食器が、白くなって散らばり、砕けている。まるで骨みたいだった。

「なんでこんなに赤ちゃんのものばっかり散らばってるの。なんか怖いんだけど。」

「多分ここは、忘却領域。脳が、もう価値がないと決定した記憶を捨てる場所だと思う。」

白くなった様々なもの。それを見てもなにも思い出せない。そうか、それが忘れるってことなのか、と私は思いながら歩いた。
遠くを見ると、暗闇に、白い大きな椅子があった。骨でできたような悪趣味な椅子。よく見ると、椅子は私の記憶の白い欠片で作られている。

そこに、誰かが座っている。

教会の偉い人みたいな服や帽子を身に着けて、服は紫色、金色の刺繍。すごく太っていて、手足も大きく、指はたくさんあって、うねうねしてる。そして顔は、

「むむむむかで???!!なにあのむかで!なんかすごい笑ってこっち見てる気がするんだけど!ドリちゃん知り合い?!」

「なわけないでしょ。あれが魔王なんじゃないの?違うの?」

「うん、たたぶんなんかまま魔王っぽぽぽいよ、多分、夢道なんだと思うむばばばば。」

「なにあんた、どうしたの?ちゃんと立ちなさいよ、あとむばばばって何よいったい。」

「ちいさいとときにむかでに噛まれてすすごく腫れてむむむかで見るだけで血の気がこう、」

「ちょちょちょっと!夢の中で血の気とかないから!しっかりしてよ!
ったくもう!私がひきつけるから、とどめはあんたがやって!いい?」

「うん。ね、ねぇ!ああいつ倒したらもも元の世界に戻る?」

「そのようね。」

「その、あいつ倒したら、目覚めちゃうの?」

「その!よう!ねっ!」


そう言ってドリちゃんは一足飛びに魔王のところへ飛ぶ。
着地する前に右手の爪で魔王の首元を引き裂き、つづけざまに両手足の爪で、膝や肘の関節も裂く。魔王がドリちゃんを両手で捕まえようとすると、ドリちゃんは魔王の胸を蹴って後ろに飛び退り、バッグから取り出したストローで画鋲を両足に、ぱすぱすんっと撃った。
魔王は唖然とするが、直後その首はだらんと前に垂れ、膝から崩れ落ちる。手で体を支えようとしたけれど、肘もダメージを受けていて、体を支えることができず、うつ伏せに地面に崩れ落ちる。
たぶん4秒くらいの出来事だった。
ドリちゃんは、振り返って
「菜花!叩いて!」と、叫んだ。

「うん!わわかった!」

魔王が動けないならなんとか戦えるかもしれない。むばばばしないように頑張れるかもしれない。
私も、魔王のところに一足飛びにジャンプした。
ハンマーヘッドが、もにもにと脈打ち、ばうんっっ!と私の体よりも大きく膨らむ。
体を後ろにしならせ、そして一気に体を丸めるようにしてハンマーを魔王に打ち下ろす。

「いなく、なれえええええ!!!!」

うつ伏せの魔王に、ハンマーを振り下ろす。
すぱあああああああんって音がして、魔王のまわりが青く光る。

倒した!!!!!!!

の?

ハンマーに手応えはない。
魔王に当たったはずなのに、地面に着地するはずなのに、いつまでたっても着地できない。そしてなぜかその青い光から、風が私に吹いてくる。なんだろう。青い光に眼をこらす。

「あんた!!なにしたのっ!!?私達、落ちてるんだけどっ?!!」
ドリちゃんがジタバタしながら叫ぶ。
「え、落ちてる?!なななんで?!」
下を見ると、雲がある。雲がどんどん下から上に通り過ぎる。はるか下には私達がたった今いた城が見える。
「え?!!なななんで!?なんで私達空を飛んでるの?!」
「飛んでない!ただ落ちてるだけ!!!!このままだとやばい!」
「あ!でもドリちゃん!私達この靴を履いてるから大丈夫じゃない???さっきジャンプしたじゃん!」
「無理!放物線落下ならまだしも、垂直落下には耐えられない!ああもう!めんどくさいっ!!!菜花気をつけて!とりあえずあの魔王を捕縛する!」

見ると、魔王は服を脱いで、太ったむかでの姿を露わにしていた。全長は5メートルぐらいの赤いむかで。体をうねり、私の方を向く。首もちぎれかけてて、手足もぶらぶらしているのに何事もないかのようにこちらへ向かって来る。きききもちわるい!とととりはだがすごい!

どりゅりゅりりゅりゅりゅりゅっりゅ
ぎちがちぎちがちぎちがちぎちがち

鎧の皮膚がぶつかり合い、蛇のようにうねり、こちらへ向かってくる。

ドリちゃんがストローを何本も咥えて、画鋲をマシンガンみたいに、魔王にいくつも撃ち込む。

ずぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱ

次々に画鋲が残像を残しながら撃ち出される。
けど、風がすごすぎて、画鋲はすべて上に飛ばされていく。

私は落ちながらハンマーを振り回す。
でも、くるくるひとりで回転してしまうだけで、大した威力にならないのが自分でわかる。
でも、どりゅりゅりゅりゅりゅりゅぎちがちぎちがちって来てるもん!
体中に鳥肌が立って寒気がするし!
何か振り回してないと、気持ち悪くてしょうがないし!
私はただ暴れるようにハンマーを振り回して、くるくる回っている。

ドリちゃんは赤い毛糸を輪っかにしたものをお尻のポケットから取り出した。すぐに手元で、ごにごにちまちま、やりはじめた。
え、なにあれ、えっと、え? あ、あやとり??!!!
あれ授業中にやってたら絶対先生に怒られるやつ!
そして!!!!絶対に今すべきことじゃないと思うっ!!!!!

「ドリちゃん!なんで今あやとりなんかしてるの!??どゆこと!?ぜんっぜんわかんないんだけど!ドリーマーは現実逃避であやとりするの?!え!?」
「いま話しかけないで!あんたこそ、この状況をどうにかする方法を考えなさいよっ!飛べるものとかなんか出しなさいよ!」
「んもうっ!落ちてる時に、しかも、むかで来てるのに!しかもなんかドリちゃんはあやとりしてるし!冷静にそんなこと、考えられるわけないじゃん!」
「じゃあ落ちればいいじゃない!落ちるのが嫌なら自分で考える!そっちはそっちで頑張って!……よしできたっ!」
ドリちゃんはもにもにごにょごにょやってた手元から、とても大きな東京タワーのあやとりを編み出した。それを両腕いっぱいに広げる。
そして体を傾けて、魔王の方へ突進する。ドリちゃんはすごい速さで魔王の方へ飛ぶ。

そして魔王とすれ違う瞬間、それを魔王に投げつけた。毛糸の東京タワーは魔王をぐるぐるぐるんと巻き付けて、魔王は真冬のマトリョーシカみたいになった。ほんの少しだけ可愛い。ほんの少しだけ。あとの要素はすべてキモい。
「よしっ!菜花!急げ!なにか考えて!」
地面がどんどん迫ってくる。

「わわ分かってる!ええとええと、あえ、ええと、」

私は飛ぶものを考えて、紙ヒコーキを出したり、スズメをたくさんイメージしたり、風船をたくさん生み出したりする。

「紙ヒコーキ!紙ヒコーキ!か紙ヒコーキ!スズメ!スズメ!スズメスズメスズメたくさんのスズメ!あ、風船も!風船たくさん風船たくさん!!」

でも、紙ヒコーキは遠くへ飛んでいくだけだし、スズメは群れをなして楽しそうに鳴きながら飛んでいっちゃうし、風船はするする指の間から紐がすり抜けていって全部持てないし、なにかイメージしても次から次に全部手元からなくなってしまう。どどうしよう。地面は、どんどん迫ってくる。

「菜花!もういい!飛ぶものじゃなくていい!私達が下に落ちても大丈夫なもの!クッションになるようなものを下に敷き詰めて!」

ドリちゃんはまた手元でなにかごにょごにょしながら私に叫ぶ。それ絶対全校集会で校長先生に注意されるやつ!手遊びしない!って言わいやそんなことより、敷き詰めるもの!それならわかる!やわらかいもの!!

「うさぎ!!大きなうさぎ!大きなしろくま!おおきなマシュマロ!しろくま!大きなはんぺん!うさぎ!あとパンケーキ!大きなパンケーキ!ゼリー!雪見だいふく!おじいちゃんちのおふとん!八ツ橋!違う!生の八つ橋の方!おふとんたくさん!こんにゃく!ゼリー!グミ!綿菓子たくさん!割り箸刺さってない綿菓子たくさん!ふわふわのスカートたくさん!!ホイップクリーム!」

私が言葉にするたび、すべてのものが巨大化しながら出現した。城の石の扉の前の広場に、考えられるだけのやわらかそうなものが敷き詰まる。和洋折衷どこじゃなくて、おでんとかスイーツとか動物とかいろいろ混ざってる。和洋折衷衣食住菓子に動物これでもか!!って感じ!

ドリちゃんは、なにあれ、って呆れながら、まあいいんじゃない?って顔してる。
私はプールぐらいの大きさのいちごゼリーのとこに着地するのがいいかなって思って体の向きを調整する。ドリちゃんはどうやら、しろくまのふわふわの背中に落ちるつもりらしい。あれ、でもなんかまだ手元でごにょごにょしてる。ドリちゃんずっと手遊びしてる!!?なんで今!?

紫色の光がドリちゃんの向こうで輝いた。マトリョーシカだ。いや、魔王だ。
魔王はニヤリと嗤って紫色の目玉から、紫色のレーザーみたいなのを出す。その光は、しろくまやうさぎやグミやゼリーに当たる。
するとしろくま達は、白い石になり、固まった。もう柔らかそうじゃない!硬そう!

「うわあああああああ!魔王ひどい!!せっかくやわらかいもの集めたのに!!!!?これじゃ全部激硬じゃん!頭打ったら痛いよね!?」

「菜花!落ち着いて!私もう少しで、できる!あとちょっとだから!こっちにきて!できたっ!菜花!!!!つかまって!!!!」

ドリちゃんが差し伸ばした手に、私も手を伸ばす。私達は徐々に近づく。そしてどんどん地面も近づいてくる。手が届かない。もう少しなのに。耳元を風がすごい勢いで通り過ぎてごおおおおおおおおってなって、地面がずばあああああって迫ってくる。もう届かない。無理かもしれない。ドリちゃんが私を見ている。

すると時が止まったようにドリちゃんが水色の眼で笑って頷いた信じろって顔をした私は体を思いっきり縮めてドリちゃんの方へ飛んだ手のひらがドリちゃんの肉球に触れて全身の力を込めて私はドリちゃんの手を握る。


世界中のたくさんの壷が一斉に地面に叩きつけられるような音。

白い砂煙が大きく上がり、白い欠片が散らばる。わたしが創ったものは、一瞬で全て粉々になった。

その中心で、ちぎれた赤い毛糸にからまった魔王が息絶えている。

「やったぁ!魔王倒したよ!ドリちゃん!」

手を繋いだドリちゃんを見上げる。

ドリちゃんの上に四角い影がみえる。
ドリちゃんがパラシュートにぶら下がってる!よく見ると、虹色の四角いビニールのシートの四隅に、赤い毛糸が蝶結びで結ばれている。レジャーシートみたい。

「なんとか間に合ったぁ、やばかったぁ。」

ドリちゃんはパラシュートの紐を片手で操作しながら、ゆっくりと地面に着地させた。

「あ!私たち浮いてる!ドリちゃんすごい!よくパラシュートあったね!」
「作ったのよ、上で。レジャーシートで。」
「え!さらに凄い!惚れちゃう!すごい!レジャーシートなんて持ってたんだ?」
「あ、うん、まあ。うん。まあね。」
「でもなんで?」
「え?まあ、なんか、要るかなって思って。」
「え、なんで?」
「はあ?関係ないでしょ。」
「え!あるよ!ありありだよ!関係しかないよ!なんでなんで?」

「んもう!しつこい!…もう……なんか、一度くらい…ピクニック、してみたかったから。なんか文句ある?」



私は黙り込んだ。





「ええええ!ドリちゃん可愛いっ!ドリちゃんの口からピクニックだなんて!!ピクニック!
ピぃクニックぅ?そんなぁ子供じみたもおん、なんの意味があるのぅ?!
って言いそうなドリちゃんが、ピクニック、してみたかったからよ、って!かわいすぎる!まあとりあえず肉球の匂い嗅がせてみなさいよ!まあまあ!」

「んもう、うるさい、しかも肉球関係ないっ!変態菜花っ。」

ドリちゃんは腕を組んで下を向き、恥ずかしそうな顔をして、欠片石を足で転がしてる。かわいすぎる。かわいいが過ぎる。

「ドリちゃん!こっちに来て!」
私は手を差し出す。
「なによ、匂いなんて嗅がせないわよ。」
「いいから手を出して。」
私はドリちゃんの手を握って、城のそばにある岩の丘の上にジャンプした。
この岩はお城よりも高い場所にあって、この世界が見渡せる。
どんよりした黒い曇り空。黒い岩に囲まれた山。様々な色の森も、滝の噴水も、きのこの森も、トンネルも、雲海も、湖も、砂漠、全部見える。

「ねえドリちゃん、眼つむってて。」
「なんで。」
「いいから。」
「やだ。」
「じゃあこうするっ」

私はドリちゃんのまわりに金色の蝶々をたくさん出現させた。ドリちゃんが右往左往しても、やめなさいよバカ菜花、って言っても蝶々はドリちゃんにまとわりついて、きんきらきらりんと飛ぶ。
その隙に、私は眼をつむって、地面に両手のひらを当てる。


よしっ。


私は眼を開いて、ドリちゃんの後ろへ行き、ドリちゃんのお尻をぱぁんって叩いた。
それを合図に、蝶々は草原に飛び去っていく。
「痛った!ちょっと菜花!どういういやがら」
ドリちゃんは私を睨んで文句を言おうとして、やめた。



さっきまで、黒い雲だけの空だった。その空は、今は蒼く、白い雲がゆっくりと流れている。
美しく薄く透き通る草原に、色とりどりの半透明のガラスみたいな花が咲く。
風に草花が揺れ、金色の蝶々たちが舞い、
エメラルド色や桃色やチェリー色のミツバチたちが花畑を飛び回る。
ぴかぴかの銅の色のひばりが光りながら鳴いて、月みたいにほんのり光るクリーム色のつばめが空を滑るように宙返りする。

草原の向こうには、蒼い海がゼリーのように透き通っていて、泳いでいる魚たちすべてが見えた。海面が輝き、金色の魚たちが群れで跳ねる。


そして足元に、虹色のレジャーシート。
その上には、藤のバスケット。
中にはサンドイッチと、唐揚げと、タコさんウインナーと、カルピスと、可愛いお皿がたくさん入ってる。
水色の花瓶を真ん中に置いて、緑の花と黄色の花を一輪ずつ挿した。


「ピクニック。」
ドリちゃんはつぶやく。
私は、うん、って言う。
「これが、ピクニック。」
ドリちゃんは、自分に言い聞かせるみたいにつぶやく。
私は、うん、って言う。
ドリちゃんは、ゆっくりと歩いて、レジャーシートの前に立つ。私はそれを後ろから見守る。ドリちゃんは、レジャーシートをくまなく見つめて、その先の景色をゆっくりと見渡した。肩が大きく上下した。大きく息を吸って、吐いたんだと思う。そしてそのあと、ドリちゃんは右手の甲で顔を拭って言った。

「ピクニックって、どうやるのよ、早く…教えなさいよ。」

「はいはい。まずはそこにお座りください。」
「座るって、どうやって。」
「決まりはないよ。楽に座れば大丈夫。」
するとドリちゃんはレジャーシートに正座をした。
「ど、ドリちゃん、運動会のおばあちゃんじゃないだから!」
「はぁ?わ、わかんないんだから仕方ないでしょ!」
「好きに座っていいの。楽に。あ、じゃあ、私の真似して!」
私は正座を崩して、お姉さん座りをする。ドリちゃんもお姉ちゃん座りする。
ドリちゃんお姉さん座り、ぜんっぜん似合ってない。そしてドリちゃんの顔は嬉しさを隠すようにむすくれてる。かわいいが過ぎる。私は笑いを堪えながら、赤いプラスチックのカップをドリちゃんに渡して、カルピスを注ぐ。
「これ、カルピス。夢の中だけど、味するかなぁ?」
「うん。菜花の味覚記憶をもとにここでは情報が再生される。菜花が感じていたものを私は感じることになる。」
「すごい!じゃあ、私の脳内の味、さあ召し上がって!」
「言い方が気持ち悪い。」


ドリちゃんは赤いカップを口元に運び、匂いを少し嗅ぐ。眼を大きく見開いて、カルピスを一口、含む。そしてすごい勢いで私の方を向いて、

「なんて言えばいいのっ!!すごいっ!カルピスって凄いっ!なに!なんて言えばいいの!!すごいすごい!」
ドリちゃんはジャンプしながらカルピスの感想を言った。
「甘いとか、爽やかとか、すっきりとか、いろいろあるけどさ、カルピスの場合は、くぅぅぅっ!でいいと思うよ。」
私が言うと、ドリちゃんは頷いて、もう一口飲んで、くぅぅぅっ!って空に叫んだ。
「たしかに、カルピスにぴったりなのは、くぅぅぅっ!ね。良いこと言うじゃん、菜花。」

ドリちゃんはものすごく納得した顔をして、次はサンドイッチに眼が釘付けになってる。
サンドイッチを食べ、唐揚げも食べ、タコさんウインナーも食べ、そのたびにドリちゃんは興奮して飛んだり跳ねたり転がったり、走り回ったりした。私がタコさんウインナーの顔の真似をしたら、ドリちゃんはお腹を抱えて大笑いした。

「もうお腹いっぱい?もう少し何かつくろうか?」
しばらくして私は言う。
ドリちゃんは海の方に足を投げ出して、座って、満足そうな顔をしている。

風が気持ちよくて、鳥の声も心地良い。私もドリちゃんも、眼をつむって風の匂いを嗅いだり、深呼吸したりしている。とってもゆったりした時間だった。


「モンサンミッシェルのオムレツ。」

ドリちゃんは突然言った。

「ん?あ!オムレツ!!オムライスなら作れるよ!ケチャップでハートも描ける!」

「ううん。違うの、フランスのモンサンミッシェルのオムレツなの。」

「うーんと。わかんない。フランスもよくわかんないし、そのモンさんって人も知らないし、その料理を見たこともないし。ごめん。」

「そっかぁ。ううん、いいんだ。私、一度でいいから、モンサンミッシェルのオムレツが食べてみたかったの。あ、モンサンミッシェルって場所があるの。人じゃないよ。ま、って言っても、ドリーマーは飼育室から出られるのは患者さんとコネクトする時だけだし、無菌室以外は生きていけないから、到底無理な話なんだけど。」


そう言ってドリちゃんは立ち上がり、両手で私の顔を挟んだ。私が唖然としていると、私の顔をってむにむにむにむにむにってしながら、「菜花!ありがとう!」ってすっごい笑顔で言った。そして私をぎううううって抱きしめた。

ふたりでまた歩き始める。

城の石の扉を通り、石畳の廊下を歩く。魔王がいた忘却記憶の部屋の先に、この世界から抜け出す扉があるはずだと、ドリちゃんは言う。

「ねぇねぇドリちゃん、ドリちゃんは一番古い記憶ってなんなの?」私は訊く。

「うーん。飼育室のプラスチックの白い天井。狭い飼育室にいて、もうすでに情報記憶媒体にコネクトされてた。」

「兄弟とか、姉妹は?そこにはいた?」

「いないって言うのが正しいのかも。もしいたとしてもお互いわかんないし。わかんないなら、他人と一緒でしょ。」

「そっか。じゃあ私と一緒だね。ひとりっ子。どんなことして過ごしてきたの?音楽とかテレビとかあるの?」

「コネクトしてる機械は、パソコンでインターネットするように、世界中の情報にアクセスできるの。たぶん、菜花で言ったら、散歩をするみたいな感じで私たちは情報のなかを散歩する。」

「だからそんなに物知りなんだね、難しい言葉とか知ってるし。」

「まあそれしかすることないからね。でもさ、情報の海のなかでもさ、なぜかものすごく気を惹かれるものがあるんだって気づいたの。さっきのオムレツもそうだし、あ!泊まってみたいところもある!モルディブのね、水上コテージ!海の上のホテルなの!そこにね、お酒を飲むバーってところがあって、そこをイルカがよく通るんだって!あとね、バイクにも乗ってみたい。バイクに乗って、海沿いを走ってみたい。ひとめぼれしたバイクもあってね、ハーレーのファットボーイ ロゥってやつなんだけど。一度でいいから乗ってみたいなぁ。あとは、家族で、誕生日会とかも憧れる。誰かが私の誕生を祝って、笑顔でいてくれるって素敵じゃない?」

「私たちって少し似てるかも。私もね、ひとりでごはん食べること多いから、大勢でのごはんって、けっこう憧れなんだ。」

忘却記憶の暗闇の場所をしばらく歩くと、また真っ黒な扉が現れた。ドリちゃんは私にうなずいて、私はそのドアを開ける。

真っ白な眩しい光がドアから漏れる。

どこを見ても真っ白でほんのり眩しい部屋。
さっきの部屋では地面にいろいろ落ちていて、足音がしたけれど、この部屋では音もしない。でも、声はとてもよく響く。

「私さ、しょっちゅう病気になってたんだけど、そのたびにね、一人の男性が話しかけてくれるの。ドリーマーの管理の人だと想うんだけどさ。あったかい手で包んでくれたり、なにかお話を読んでくれたりするの。ほとんど耳は聞こえないから、耳元で大きく言ってくれればなんとなく判るんだけど、ほとんどはわからなかった。でも、あとで自分で気になったのは調べたりした。目もあんまり見えないからどんな人なのかわからないんだけどさ、ちょっと変わった人でさ、和歌の本とか、モールス信号の本とかさ、バイクの本とか、旅行の本とか、なんかそういう変わった本を読んでくれたりしたんだよね。でね、その人は私が苦しんでる時に、名前を読んでくれるの。番号じゃなくて、名前で。」

「え!ドリちゃんって0300みたいな番号で名乗ってたよね?」

「ドリーマー0388ね。」

「どんな名前だったの?気になる!聞かないと眠れない!」

「今あんた絶賛睡眠中なんだけど。その人はね、私のこと、ハチって呼んでくれてた。たぶん、0388の末尾から、ハチ。」

「犬みたいじゃんっ!」

「だよね。でも、嬉しかったの。名前呼ばれるってことは、私がその人のなかにいるってことでしょ?だから、嬉しかった。」

「…そっか。名前呼ばれるなんて、…普通のことだと思ってた。本当は、そういうことなんだね。ドリちゃんってなんか、ロマンチストだなぁ。」

「あとね、その人が読んでくれた和歌で、すごくびっくりした和歌があるの。あ、和歌っていうのは、昔の日本の人の詩みたいなやつのことを言うのよ。平安時代の和泉式部って人の和歌なんだけどさ、

かくばかり風は吹けども板の間のあはぬは月の影さへぞ洩る」

「ドリ先生、日本語でお願いします。」

「こんなにすきま風が酷くて、粗末な家、だからこそ、月の光もこんなに綺麗に部屋に差し込んでくる。って歌だとわたしは思ってる。この歌を初めて聴いたとき、なんか、私だなって、思った。動けなくて、ずっと病気で、辛い時間の方が長かったけど、でもそんな風に名前を呼んでくれて、暖かい手で包んでくれて、こっちが聞こえてるかどうかわかんないのに、本を読んでくれる。月の光がある。あ、なんか私だなって思ったの。」

私は、ドリちゃんになにか言いたかった。でも、言葉が思い浮かばなかった。よかったね、でもないし、辛かったね、でもないような気がする。私はドリちゃんに抱きついて、ぎううううううってした。


遠くに桃色の扉のようなものが見えた。

「あれだよね?」

「うん。あれだね。菜花、鍵はちゃんとあるわよね。」

「もちろん。鍵っ子をなめないでよ。」

私は、胸のポケットに仕舞った鍵をドリちゃんに見せる。そして、ふたりで扉の方へゆっくりとならんで歩いていく。



扉のそばに、白いブラウスを着た、黒髪ロングの女の子が俯いて立っていた。
へぇ!この世界にも女の子がいるんだ!
「どうも!はじめまして!」
私がその子に駆け寄ろうとすると、ドリちゃんが私の手を強く握って止めた。

「あんた、誰?」ドリちゃんはその子に質問する。
「ドリちゃん、大丈夫だよ!道案内の子かも!」
「答えなさい!!あんた誰!!!」
ドリちゃんはわたしの言葉を遮り、私の前に立って、女の子に強い口調で言う。

女の子は、ゆっくりと顔を上げて、片頬で笑って言った。

「そんなことよりさぁ、菜花との同期率かなり下がってるみたいだけど大丈夫?ドリちゃん。」



















結 後篇につづく

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