「つくね小隊、応答せよ、」(43)
路面電車が通りを走り、大八車や屋台や行商の人々が街を闊歩する。渡邉道雄が生まれ育った街だ。
明治維新の頃、この街を治めていた藩主は、新政府側についた。
維新後は、新政府の推し進める近代化政策にいち早く取り組み、城内にあった藩校を、子どもたちの学校として開放する。
さしたる資源のないこの地域では、モノではなく、ヒトを財産とするべきだ、と教育に力を入れたのだ。
維新から十年ほどすると、よその地域か人々が町づくりの視察に訪れるようになり、当時はまだ導入されていなかった技術や産業