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「つくね小隊、応答せよ、」(44)

1934年。昭和9年。
16歳の甚が広島へ旅立つ日。
人々が見送りに集まった。

町のシンボルである路面電車のタラップに立つ甚。
運転士が気を利かせ、いつもより長い時間停車させる。
海軍兵学校の、錨の印の入った白い帽子と白い制服。
甚は、海軍式の腕を垂直に近く立てる敬礼をして、見送りのひとりひとりを見つめ、笑顔で何度も頷いた。

「わたくしを育て賜い、わたくしにご教授くださり、わたくしをお叱りくださり、わたくしと共に学び、そして今日の日に見送りに集まってくださる皆様。明後日から、晴れてわたくしは、海軍兵学校の学生となります」

見送りのものたちが拍手をする。
拍手が止むと、甚はまた口を開く。甚は道雄を探したが、どこにも道雄はいない。

「この町を離れるのは寂しいことではありますが、わたくしがこの町を離れ、海軍に入ることは、この町を守ることになるのだと、そう信じています。帰郷のおりには、どうかまた皆様の朗らかな笑顔に相まみえることを、楽しみにしております。
わたくし、花石甚は、滅私奉公、お国のため、この町のみなさまのため、学業も訓練も邁進する所存であります。
どうか、また会う日まで、みなさま、お元気で。
それでは、さようなら」

拍手が響き、路面電車の鐘がなり、甚は見送りの人々に大きく帽子を振った。

街を進む路面電車が、道雄の食堂の前を通りすぎる。
店の前で、道雄の祖母のユキが笑顔で手を振っている。甚は大きな笑顔で帽子を振った。しかし、やはりそこにも道雄はいなかった。

路面電車は数十分ほどで、国鉄の駅に到着した。
父から贈られた鈍い真鍮色の懐中時計を見ると汽車の出発まで、残り10分ほど。甚は汽車の座席に座り、駅からの景色を眺めた。

本当は、国鉄の駅まで皆が見送りに来たいとそう言ったが、甚はそれを断った。自分の街のシンボルである、いつもの路面電車なら慣れているから、見送られても泣かずに済むだろうという思いがあった。誰にも、涙など見せたくなかった。

「おい」

窓の外に誰かが立っている。
肩で息をする、学生服の道雄だ。
甚は目元をすぐさま拭い、笑顔で窓を開けた。

「どこにも顔を見せんから、冷たいやつだなと思ってたんだが」

道雄は、鼻で笑い、甚の肩を殴る。

「願いを聞き入れてもらえなかった者の、せめてもの抵抗だ」

「許嫁みたいなことを言うな。気持ち悪い」

甚も、道雄の肩を殴る。
そしてお互いに、鼻で小さく笑う。

「おい、甚。東京からは寝台列車だろ」

道雄が手渡す包みを、甚は受け取る。どうやら弁当のようだ。

「お、食堂屋の倅は、さすが気が利くな。中身はなんだ」

「お楽しみだ」

「わざわざすまんな、道雄」

道雄は頷き、それきりふたりは黙った。
駅弁売りの口上や、見送りの人々の話し声で、騒がしい駅。
たくさん話すことはあったはずなのに、何も言葉が出てこない。

やがて道雄が顔をあげて話そうとすると、甚も何かを話し始めた。

「俺はおま」
「道雄、おま」

「おい…拍子が悪いな、甚」

「それはお前だ、道雄」

照れ隠しの笑みを浮かべ、甚が帽子を脱いで頭を掻く。

「伝えたいことがあったが…えらく調子が狂っちまった。また今度にする」

「ああ…俺もそうする」

そうやって二人は、すこしだけ笑った。
突然、笛の音が鳴り響く。

ぴゅういーーーーーーっぴ!

「出発信号ぉぉぉよしっ!進おぉぉ行ぅ!」

汽車の後ろで車掌が声を上げ、汽車の前の方で、

ぷわうおおおおおおおん!

と、汽笛が耳をつんざく。
ぐんっ と一度車体が揺れ、列車はゆっくりと進み出す。

がつこん
がっこん
がっ  がっ  がっ
かっ かっ かっ かっ
ぷしゅー かっかっかっ

徐々に速度を増す列車。
なんとも言えない寂しそうな顔をした道雄に、甚が手を差し出す。道雄はその手を握り、列車に並走する。
立ち上がり、窓から体を乗り出す甚。

「お前だけだ。俺を金持ちの息子と特別扱いしなかったやつは」

甚は笑いながらそう言った。
道雄も笑いながら言い返す。

「お前だけだ。俺を妾の子と馬鹿にしなかったやつは」

汽車は速度を増し、人の足ではもう追いつけない。手は離れた。

海軍兵学校の帽子を脱ぎ、窓から大きく振る甚。学生帽を脱ぎ、立ち止まり、それを振る道雄。

ぱしゅー!
しゅこんっ!
ぱんっ!

ぱしゅーっ!
しゅこんっ!
ぱんっ!

ぱしゅーっ!
しゅこっ!
ぱんっ!

米軍の夜間哨戒機から、照明弾が打ち上げられた。いくつかの照明弾が水色の閃光を発しながら、ゆっくりと上空から地上に落ちてゆき、あたりは昼のように明るくなる。

音と、その閃光で三人は目を覚ますと、水の中に何かが飛び込む音がした。
三人は慌てて銃を構え、滝壺を覗き込んだが、人影らしきものは見当たらない。
ワニの子どもたちが光や音に驚いて水中に消えたのかもしれない。

それよりも、米軍が照明弾を放ったということは、次に何らかの行動があるはずだ。
突然起こされた三人は、わけもわからないまま周囲を見渡す。

どどどどどどどんっ!

しゅきゅるるるるるるるるぅ

どどどっだだだだだだだん!!

艦砲射撃が放たれ、着弾する。しかし、着弾したのは、ここよりも東側。

この島は大小の島がふたつ繋がっているような形をしている。
いま3人がいるのは、西側の大きな島の北側の、東の小さな島につながっている部分。そして艦砲射撃が着弾したのは、東側の小さな島だった。

「起き抜けにこれは心臓にわるいっ!アメ公ども、俺が心臓発作で死んだらどうしてくれんだよっ!…」

仲村が汗だくで、いらいらしながらつぶやく。

「やっぱり、日本軍を東側の島に追い詰めて一気に艦砲射撃で皆殺しっていう戦術で来たみたいだな」

清水が眼鏡をあげながら、眩しそうに閃光弾を見上げている。
花火だと思えば、長い間きれいに輝いていて、実に見ごたえがある。しかし、この照明弾は日本人の居場所をあぶり出すための、死の明かりだった。

次々に艦砲射撃が東側の島に放たれ、そして、船舶からの機関銃の音が聞こえる。接岸はできないが、すぐ近くまで来ていて、森を襲撃しているようだ。
かすかに、人の呻き声や、雄叫びのようなものが聞こえた。恐らく日本人のものだろう。渡邉がうつむいて苦しそうな顔をしながら言った。

「夜にまでこんなことをしてくるんなら、相手もかなりの本気だ。それほど、夜襲や反撃を恐れてるんだろう。これは、俺たち日本人の痕跡がなくなるまで続くのかもしれん」

「どんな痕跡だよ?」

「恐らく、周辺の船舶には昼夜問わず見張りがいる。島全体を船が包囲しているから、昼は煙、夜は火の明かりで、簡単にみつかっちまう。今日からは穴を掘り、そのなかで火を焚く。少しの煙でももう気づかれちまうだろうから、昼間は火を焚くのをやめよう」

仲村が身を乗り出す。
「じゃあ昼間は飯が食えねえの?」

渡邉があきれたように言う。
「そもそも飯なんてもうとっくにないだろ。昼間は食料調達と友軍調査。夜は調理。夜に調理した残りを翌日の昼に食う」

清水が、言いにくそうに渡邉に訊く。
「眠る前に、蚊帳の中の蚊を叩いてまわるみたいな感じなのかなやつら。もし、兵隊たちが追撃しに来たら…おれたち…もう逃げ場がないぞ…」

渡邉は少し考えて答える。
「まあ、どっちにせよ、やるべきことはやって、できるだけの手は尽くす。それだけだ。今のおれたちには、できることが少ない。だからこそ、その少ない事を命がけでやるしかない」

渡邉はそう言って横になった。
「明日は周辺探索し、潜伏場所を探す。朝いちで行動開始だ」

清水と仲村は、ただ無言で頷いた。納得したわけではない。けれど、反論できるほどの計画があるわけでもないし、渡邉の言う通り、3人にはできることが少なすぎた。

生き残りの日本軍と連絡をとることもできないし、食料を探さないと毎日の食事もままならない。
そしてなにより潜伏できるような場所がなければ、生きていくことが難しいだろう。
渡邉が言ったことだけが、三人が生きていくための唯一の道だった。

早太郎は茂みのなかで、一息ついてつぶやいた。

「どうやら、うまいこと回避できたみたいだな。こんな状況の中じゃ、森の奴らも日を改めるだろ」

そして狐の方を見たが、狐は考え込んでいる。

「どうしたんだ?怪我でもしたのか?」
早太郎が気遣ったが、狐は考えた顔つきのまま、首を振る。

「いえ。お陰様で怪我などはないです。でも…」

「なんだよ」

「なにかが引っかかってるんです…」

「なんだ?金長のことか?まあ、あいつは大丈夫だろう。あの犬とコウモリたちは、金長に怯んでやがったし」

「はい。そうなんですけど、なんだか、なにかを、忘れているような…」

「だからなんだよ」

「この森の者たちは、今日の彼らだけでしたっけ…?」

狐が早太郎を見上げる。
早太郎も考える仕草をする。

「他に…いたっけ…か……あ」
「あ」

二匹は目を合わせる。

「そういや、もう一種類いたよな…たしか」

「馬の種族の、ティグバラン!!!」

「それだ!金長があぶねえかもしれん!どうする!?」

二匹で金長の援軍に行けば、ここの3人にもしものことがあった時に守れない。
けれども、いくら金長と言えど、複数匹いる3種族を同時に相手にするのは難しいだろう。

二匹で援軍に行くか、
一匹だけ援軍に行くか、
もしくは援軍に向かわないか。
数秒の間に、二匹は見つめ合いながらさまざまに逡巡した。

やがて、二匹同時に言う。

「わたしが残ります」
「俺が行く」

二匹同時に頷いて、早太郎が駆け出すと、互いに声をかけた。

「お願いします!」
「頼んだ!」

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