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「つくね小隊、応答せよ、」(40)

「敵襲うううう!敵襲うううう!五時の方向!艦砲射撃!!」

斜面の岩陰から声が聞こえた。
渡邉はとっさに声の方に銃を構え、仲村と清水は五時の方向を振り返った。
渡邉の銃の照準の先には、軍服を着た士官が見える。敵の士官ではなく、日本人だ。士官は紺色の軍服を着て、古風なサーベルを抜き、五時の方向を刃先で指し示していた。


「渡邉!沼の樹上から煙が出てる!やべえ!」

振り返った仲村が叫ぶと、渡邉も煙を視認した。
なぜだか樹上から、真っ黒な煙が立ち上っている。この雨のなかでも確実に敵に気づかれてしまう濃さの煙だった。

「できるだけ離れるぞ!」

渡邉は叫び、士官のたたずむ岩の方へ駆け出した。


どどんどどどん

遠くの海で爆発音が鳴り響く。
空気を切り裂いて、黒いゴマ粒のようなものが数発飛んできた。

ぴしゅううううううううううううう
ぴしゅうううううううううう
ぴしゅううううう
ぴしゅううううううううう
ぴしゅうううううううううううううう

どがばしゃぶちゃぱしゃああああああああああん!

三人は着弾と同時に、士官が立っていた大岩の裏に飛び込む。
五発の砲撃音が海上で響き、それらすべてが沼地に着弾。
本来なら木や石や土を撒き散らす艦砲射撃だが、着弾した場所が沼地で泥が衝撃を吸収したのだろう、衝撃は少なく、砲弾は木々をなぎ倒し、泥を撒き散らすにとどまった。


どだん!どどどん!
そしてまた別の方向から、また五発の砲弾が飛んできて、着弾し、泥を撒き散らす。三人は亀のように身を潜めた。するとまた更に五発。そして更に五発。しつこいくらいに、艦砲射撃が沼地に降り注いだ。

泥が撒き散らされる森の中、渡邉は小さく丸まって、岩陰から叫んだ士官のことを考えていた。一体、どこの部隊の士官なのだろう…。



渡邉たちが、シャツを裏返しに着て、ぬかるみを抜け出す少し前のこと。
なかなか沼から抜け出せない三人を見つめながら、
「どうしましょう…」
狐が心細そうに三人を見つめながら呟くと、金長が何か思いついたように腹を叩いた。

「よし!わっちが提灯に化けて、斜面の方に誘いまし」

「いやだから何でラジオとか盆栽とか提灯とか、この辺にねえようなもんに化けるんだよ…あいつらも腹が減ってるだろうから、鶏とかに化けて、斜面の方に連れてけばいいだろ。こんな密林で提灯なんか薄気味悪りいだろうが」

「ああ、まあ、そっか。まあ、鶏は名案ですね!」

金長が納得すると、狐が思案しながら言う。

「あ、でも、鶏をとろうとして銃弾を消耗させてしまっても、彼らの今後に関わってきます。そしてぬか喜びは、体力をかなり奪うので、そういうのはやめたほうがいいかもしれません」

「まあ、そうか…じゃ、じゃあどうすんだよ、あいつらをあのままにはできねえだろ。いくら雨が降ってるとはいえ、あのぬかるみは森が薄い。上から丸見えだ。早くあの森を抜けさ……
あ…まさか、それが狙いなのか…
森のやつら…疲れさせてどうこうしようってわけじゃねえ。あいつら、清水たちをここで足止めさせて、そして」

「ああああ!み!!みてください!!あれ!!!け!煙があがってますよ!」

金長が飛び上がって森の上を指差した。
すると、渡邉たち三人がぐるぐる回っている森の樹上から、黒い煙が立ちのぼりはじめている。しかし渡邉たちは、頭上で起こっているそれに、まったく気づいていない。

「森のやつらの仕業でしょうね…まずいです…!早く彼らを避難させないと!」

狐は目を丸くしてそう言って、突然二足歩行で立ち上がった。
早太郎と金長は、だんだんと身長が伸びてゆく狐を見上げる。狐は二匹を見下ろしながら、背筋を伸ばし、紺色の帽子を目深にかぶりながら、腰のサーベルを整えて言い放った。

「わたしが彼らをおびき寄せます。もし艦砲射撃が来た場合は、お二人にお任せします。では!」

紺色に金ボタン、赤い襟の上着。赤いラインの入ったズボン。真鍮に輝くサーベル。軍服姿の若く精悍な男に化けた狐は、狐の声から野太い男の声に変わりながら、山の斜面の方に駆けて行った。

金長は目をきらきらさせながら感動している。

「さすが、狐さん!目の前でみてたわっちでも、まったく化けてるとは思えないほどの完成度!」

「…いや、でも、あいつが着てたあの服…色も紺色だし…清水たちと違う制服だよな?あ、昔、うちの寺にもああいう制服着てたやつらが、よく参拝に来てたぞ…たしか、明治の頃だったか…」



艦砲射撃が止むと、いつの間にか樹上の煙も消えていた。岩陰の三人は、恐る恐る顔を出し、沼を確認する。いくつかの木がなぎ倒され、周囲の幹には泥が大量に付着し、砲弾の熱で温泉のように沼が湯気を上げていた。

「俺、満州から帰って来るときにさ、別府の明礬温泉ってとこに行ったことがあるけどよ。こんな感じだったぜ?」

仲村が目をこすりながら言った。

「泥湯なのか?」

清水が帽子をかぶり直し、眼鏡を直す。

「しかも、混浴。ま、でも、じいさんとばあさんばっかりだったから、童貞の学徒ちゃんが期待しているような展開はないよ。おい、渡邉、怪我はないか?」

渡邉はすでに立ち上がり、あたりを見渡している。

「さっきの士官殿がいないぞ?」

渡邉はせわしなく周囲を見渡す。確かに周りには誰もいない。

「え?確かに、居た、よな?」

清水はそう言いながらあたりも見渡す。

「うん。…いた」

仲村もそう言って汗をぬぐう。
三人とも、「艦砲射撃」と叫んだ士官を目撃しているが、周囲には誰一人いなかった。人の姿は見えなかった。

「こわいこわいこわいこわい。なになになになになに?なんか変じゃない?ねえ?なんか変じゃないの?やばくない?なんかやばくない?っていうか、さっきの煙もなに?火とかなかったよな?」

仲村が子犬の震えるように言うと、渡邉は帽子を脱ぎ、頭をかきむしる。

「どうなってんだ。一体。煙にせよ、士官にせよ…それより、あの士官の制服、お前ら、見たか?」

二人が首を振る。

「明治の頃の制服着てたぞ…」

仲村は小刻みに震え、渡邉は苦々しい顔で周囲を見渡している。
清水は、後方の沼地を眺めながら言った。

「すぐに哨戒機が飛んでくる。急ごう」

清水が駆け出すと、他の二人もそれに続いた。仲村は火のないところから煙が出て、人が消えるという状況に恐怖し、渡邉は人が消えるという現象に納得がいかずに苛ついて、走りながら周囲をせわしなく見渡している。

がちゃがちゃと荷物を揺らしながら進んでいると、西側の基地から哨戒機が二機飛んで来て、沼地の上を放射状にぐるぐると飛び回った。三人は、哨戒機が上空に来る時は止まり、離れると駆け出す、ということを繰り返し、斜面を進み、沼を越えた先の小川に出た。川幅はせいぜい二メートルほど。深さは数十センチ。これくらいの川幅だと、両端の木々は川面を完全に覆っているから、上空から三人が見えることもない。

二機の哨戒機は、しばらく周辺を飛んでいたが、結局何も発見できずに、また西側の基地へと戻っていった。さんざん砲弾を撃ち込んで、そしてわざわざ確認をしにくるその執念深さに、米軍はよっぽどこの島から日本兵を駆逐したいのだろうと三人は、笑って話し合った。そして同時に、自分たちの逃げ場がどんどんなくなっていくような焦燥感を少しづつ抱え始めた。

やがて雨があがり、午後の日差しが島を照らし始めた。鉛色の空の隙間から差し込む光が、小雨に虹を映し、雨を金色に輝かせる。遠回りはかなりあったが、やっとたどり着いた小川を数十分遡ると、川の上流から涼しい音が聞こえてきた。滝の音だ。


見事な滝だった。
落差は十五メートルほど。
岩肌を絹のように水が流れてゆき、透き通った空色の滝壺に落ちてゆく。滝壺は広く、そして滝の直下はかなりの深さがありそうだ。今まで泥だらけや砂だらけになりなりながら島を駆け回っていた三人は荷物を降ろし、ただ呆然と、その美しい景色に見惚れ、水が落ちてくるさまを見上げた。

やがて誰ともなく裏返しに着た服を脱ぎ、体や服を洗いはじめる。服を干すと、三人は思い思いに滝壺のなかへ入り、ゆったりとした流れと冷たい水に体を任せた。仰向けになり、空を見上げる。
滝のしぶきが顔にあたり、すっかり雨の上がった新しい空に、銀色の雲が流れていく。
戦争でなければ、この美しい景色を絵はがきに描いて家族に送るような、そんな景色と時間だった。

褌姿の渡邉が、小さな火を焚いて飯盒で湯を沸かす。滝壺の水を飲み水にするためだ。
煙がでないように火を調節しながら、滝壺に浮かぶ清水と仲村をぼんやりと眺める。

すると、二人の背後に、なにか浮かんでいる。渡邉は立ち上がる。
横から見ると、鯉のように見えたが、それにしても大きい。ふたりと同じくらいの大きさの流木、かと思ったが、その流木が、少しづつ二人に近づいている。渡邉は目を凝らし、息を呑んだ。
流木のようなものの正体がわかった。


「おい、仲村、清水」

「あ?なんだよ?」

少し震える声で渡邉が声をかけた。もし渡邉が叫べば二人がパニックになり、“それ”を刺激すると思ったからだ。褌姿の渡邉は、何事もないかのように、三八式歩兵銃を手にとり、弾をがちゃすこと装填し、構えながらもう一度言った。

「おい、もうあがってこい」

歩兵銃を構えている渡邉を見て、清水が不機嫌な声を出す。

「おい、俺たちに銃口向けるなんて、冗談でもやめろよ。もう上がるから!わかったから。おい、やめろって!」

仲村も抗議に満ちた顔で渡邉を睨んだ。

「なんだよ、サーカスの動物でもそんな仕打ち受けないぜ?人をなんだと思ってんだよ!」

渡邉はそれを無視して、照準を覗きこみながら、低く小さな声で二人の抗議に返答した。

「いいから上がれ。音をたてず、ゆっくりだ。いいか、後ろを振り向くな」

清水と仲村は、渡邉の殺気立った様子に気づき、ゆっくりとお互いに顔を見合わせた。自分たちに銃を向けて命令をしているのかと勘違いしたが、銃口は微妙に違う方向へ向いている。
もしかすると、哨戒機がまた近づいてきている音が渡邉に聞こえたのかもしれない。…けれどそれならば、“ゆっくり”とは言わず“早くあがれ”という言葉になるはずだ。
そうなれば、敵機ではない。
じゃあもしかすると、滝の周辺に敵兵の気配を感じとっているのかもしれない。ふたりはなんとなくそのように解釈して、水音をたてぬように、ゆっくりと渡邉のもとへと泳いだ。

「よし、それでいい。慌てるな、振り向くなよ」

渡邉はふたりの背後に照準を合わせ、“それ”を睨む。

“それ”は先程までゆっくりと“泳いで”二人に近づいていたが、二人が岸に泳ぎ始めると、一気に尻尾をうねらせて、二人の背後へ近づいた。


どむんっ


滝壺の美しい水がゆらめいて、大きな流木のようなそれは、泳いでいる仲村へ大きな口を開け、噛み付いた。

「仲村!」

渡邉が叫ぶと、仲村は水中へ消え、ばしゃばしゃと水しぶきがあがり、清水が振り向いた。

「渡邉!は?!いったいなんだよ!仲村!おい仲村!!どうなってんだよ!!!」

清水が渡邉に問いただすと、渡邉は銃を構えたまま、水にばしゃばしゃと滝壺に入りながら叫んだ。

「イリエワニだ!!!清水!お前は早く上がれ!」

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