見出し画像

【福島浪江訪問インタビュー】 ミクロとマクロの視点から考える浪江町のまちの在り方~福島大学地域未来デザインセンター特任専門員 長田滉央さん~

プロジェクトデザイン研究室・災害復興チームは被災地を自分の目でみて体験するプロジェクトの一環として、2022年7月8日・9日に東日本大震災の被災地である福島県浪江町を訪ねました。


2021 年 6 月から福島県楢葉町に移り住み、福島大学地域未来デザインセンター特任専門員として活動されている長田滉央さんにお話を伺いました。


長田滉央さん

プロフィール
長田滉央(おさだ あきひろ)
宮城県仙台市生まれ。宮城工業高等専門学校で建築を学ぶ。フィンランド留学等を経て都市計画分野への興味が広がり、千葉大学都市環境システム学科へに編入学。「パラソルギャラリー」という市民参加型の公共空間利活用プロジェクトに携わるほか、地域資源の循環や公共性について様々なフィールドで考える機会を得る。2017年に株式会社久米設計へ入社。都市開発ソリューション部にて、都市計画提案・再開発・事業開発・計画立案などを担当。2021 年 5 月退職。同年 6 月、妻の故郷である楢葉町に移り住み、福島大学地域未来デザインセンターの特任専門員として浪江サテライトに常駐。大学、行政、地域の橋渡し役を担う。


インタビュー中の様子

・社会情勢と建築空間

長田:「現在起こっている社会現象を咀嚼していき、空間を再定義し、社会の再構築を考える必要があるのではないか」というのが僕のスタンスです。岡野先生のプロジェクトである「みんなの家」を例に挙げると、震災前のコミュニティに建築家やボランティアの学生が入り込んでコミュニティを形成することで、” みんなの家” という空間をつくり出し、利用される中で新たなコミュニティがさらに形成されているのではないかと思います。
災害の文脈だけでなく、宗教や日常生活の中でも社会は空間を生産し、空間が消費される過程で社会を再生産するという関係が成り立つのではないかと考えています。


・福島のリアル

長田:震災前の福島県双葉郡は、東京電力が主に関東へ電力を供給することで利益を出し、住民や行政に還元することで経済的に潤っていた地域でした。発電所立地地域での平均世帯収入は一般的な地方と比較してとても高かったようです。また地場産業や税収の中心が発電関連事業だったということで、街にはとても綺麗な施設や道路が整備されています。
逆に浪江町には電力を供給する拠点がないことから、電力関連会社で働く人々がお金を使うような商いの街として成熟していったようです。震災前は駅前もすごく活気のある商業地域だったと聞いています。もちろん隣町に発電所が立地していた恩恵はあったでしょうが、そういった意味で双葉郡の中では少し違った背景をもつ町だったのだろうと思います
震災以降、復興という名目で、お金とノウハウと専門家が被災地域に入ってきています。国や研究機関、様々な企業がきていますよね。何かしらの能力を持った人たちが都心をはじめとしたエリアから双葉郡にきてビジネスを展開しています。その点は全然否定されるべきではないのですが、そういった専門家の人達があらゆる分野で町村や住民へ「提案して実現する」よりも、町村や住民と「一緒に悩んで解決策を探っていく」方が地域として力がついていきそうですよね。
答えをくれる専門家よりも一緒に悩んでくれる専門家の存在がすごく大切かなと思っています。

少し話はずれましたが、一般的な「都市と地方」という関係性ではない福島の12市町村で起こっていることは今まで見たことがない状況であり、それを知り、思考を深めることが、私が福島に来た1 番の理由でした。


・復興を通して見えてくる街の在り方


長田:双葉町の駅西側でブルースタジオさんが計画しているエリアではこれまでの双葉郡での復興住宅とは違ったプログラムが計画されています。一般的に前例があると動きやすい行政と、過去現在未来を統合して新しい提案をしていく建築家では、建築や都市に対する捉え方にギャップがありそうですよね。行政との折衝に労力を割くことは建築家あるあるだと思いますが、お互いにかなり頑張っているだろうなと想像しています(笑)
11 年前からテクノロジーや、人々の意識は大なり小なり変化しているでしょう。こういったことをフラットに捉えて「まちの在り方」をひざを突き合わせて議論し、再定義をすることができたら、この行政と建築家との間のギャップを乗り越えるきっかけになるのではと思います。

なみえルーフのグランドデザイン(c)KengoKuma&Associiates


・ブランドが生む落とし穴

長田:浪江町の駅前整備に関するグランドデザインが公表されました。突然この粒度の計画が出たことについて驚いた人も多いかと思います。
これについて少し残念だなと感じるのが、「この計画のここがいいよね」「ここはもっとこうしたほうが良さそう」という具体的な意見と議論があまり聞こえてこないところですね。この粒度で提案が出たら、それなりの粒度の議論が起こってほしいですよね。著名な方々が出したパースが綺麗で圧倒されてしまい発展性のない感想が出てきてしまっている気がします。説明会のチラシなど見ても、○○を設計した○○氏、○○をプロデュースした○○氏といったように、関係者の実績だけ並べて思考停止状態に誘導してるのではと勘ぐってしまいました。

元々、駅前の整備計画について町は数年前から議論の場を持っていたようです。ですが様々な意見が飛び交って計画がまとまらなかったと聞いています。
そこで唐突に著名な方々がデザイン協定の締結において名を連ねました。「この人が関わるならきっと良い街ができる」という感情が頭をよぎった人も多かったんじゃないかなと思います。
それは良くないと考えています。私はこの都市計画という段階で建築家が関わること自体賛成です。色々な課題について対峙し、軽やかに提案する建築家の職能というのはとても重要だと思いますが、そこに “著名さ”というのは重要ではないかなと。もっと土木・交通的側面やソフトな側面も含めて、浪江町におけるまちの在り方を住民と一緒に考えられる状況がつくれなかったのかと思いました。

駅前の整備をする上で、住民に関心を持たせるために今回のこの計画を出したという意図があったらそれは良いことだと思います。ただ町はこの計画に対して、①住民説明を行った②後はもう土地収用してつくるだけです の二点を基本線にしてるように見えて非常に違和感を覚えます。

岡野 : 住民ワークショップみたいなものもなかったんですか ?
長田 : デザイン協定が結ばれた後のワークショップはないはず、、、もしくは私の耳には入っていないだけかもしれません。ただ、そもそも誰の意見を聞くべきかというところで町としても葛藤があるんじゃないかと思っています。住民と一言で言っても、他の地域よりもさまざまな属性がありますし。
この協定が公表されたのは2021年の夏ぐらいで、その前から駅前整備計画の検討委員会はあったようですが、避難している住民や住んでいる住民からいろいろな意見が集まったようです。財政度外視的な意見もあったと聞いています。

学生だと敷地にとらわれないような設計課題もあるとは思うんですけど、設計の際必ずと言っていいほど敷地を分析してしますよね。その条件や要素について因数分解するように細分化して自分なりの解を導き出す材料にすると思います。
そういったことが住民からの意見に対して少しでもできるといいですよね。突拍子のない意見にもヒントはあると思います。

それと、都市計画的な視点をもって設計をする場合、この街が今後どうなっていくのかを考える「シナリオスタディ」をすることがあります。10 年後の人口が町が掲げる目標値の8000 人になるか、5000人くらいになるか、3000人くらいになるか、住民は増えなくても訪れる人がとても増えるとか。
仮に、道路一つとっても 人口8000人の町の道路と 3000人の町の道路って役割が違うものになるはずですよね。すごくミクロな違いかもしれませんが、そういった問い直しが、計画策定における条件設定のタイミングで、役場の中でされていたのかが不明確ですね。


・雑草が生えても成り立つ街の姿

長田 : 震災後、街の人口は約 10 分の 1 まで減少しました。単純計算で現在住んでいる人々の一人当たりが管理しなくてはいけない土地の広さは約 10 倍になってしまっています。だからこそ、その地域における土地と人の関わり方はもっと思考できるのではないかと思っています。
現在空き地をお借りして、実験的な取り組みをしていろいろ考えを巡らせています。
元々2m くらいの蓬などの雑草で覆われていた空き地ですが、刈るのではなく時間をかけて雑草を抜いていきました。人が集まるところを作りたいと言う思いで始めたんですけど、よく考えたら集まる人がそんなにいないし、ポテンシャルのある空き地はもっとたくさんある、、、( 笑 )

都市部の空き地と浪江町の空き地の在り方がそもそも違うんだと感じました。ここは浪江のど真ん中でもないので、ここでは人を集める空き地の活用とは違った見方がないかと考えています。いわゆる空き地で問題とされるものと、そこの空間に属する人との問題点との距離感を調整する機能がないかと検討しています。
現在やっているのは、インスタレーションのように一時的なもので土地を覆うことで、雑草が生える部分を公共の道路から遠ざけられないかということ。そうすると人が迷惑と思うほど雑草が生えてこないし、雑草が生えてもそれによって迷惑だと感じる人が一定数減るのではないかと考えています。さらに雑草を処理する際にも、一人が作業する量が減らないかなとも考えています。

極端に言うと、空き地が空いてしまった土地じゃない状態をつくり出せないか、雑草が生えても許容できる空き地の姿があるんじゃないかなと思います。



・空き地を通した “問いかけ”

岡野 : 長田さんのお話を聞くと、浪江町はとても盛り上がっている感じがします。空き地の話は興味がありまして、駅前に大規模な施設を作ってしまうと、今後も空き地は増えていきそうな気もします。
また、震災前の浪江町の賑わいが想像できなく、これからさまざまな場所で少子高齢化によって同じように衰退してしまう街が増えていくと思うのですが、この先空き地が増えて行った時、小さな身の回りのことが大切なのでしょうか。

長田 : 国や町が主導するような整備計画は規模が大きい計画も多いですよね。地元の人たちはその規模の大きさにイメージがついていかなかったり、ギャップを感じる要素になっているのではないかと考えています。
だからこそ、自分の身の回りでできることという目は持ちつつ、一方で現実的に見て限界もあるという認識は持っていたいとも思っています。人が多くないので、手を付けきれない場所もでてくるでしょう。駅前や新町通のエリアなどの人が集まりやすい場所にある空き地はいくらでもやり方はあると思うんですけど、そうではないエリアにおける空き地はどうするべきかと。
いい立地の空き地を「特定少数」とすると、市街地の縁にあるようなそうでもない立地の空き地は不特定多数ではなく「特定多数」なものと認識するべきだと思っています。もっと周縁のある程度人の生活から距離があるような立地の空き地は「不特定多数」ですかね。

そもそも空き地は所有という概念が生まれて、副産物的に空き地という概念が生まれたと考えています。誰かが所有しているけど、何も手が入っていない状態の場所が「空き地」であって、その前の誰も所有していない空間は一体なんだったのか。

岡野 : 特定多数の人と空き地の関係が変わると、恐らく風景も変わりますよね。何か人の手が入っているとわかるだけで、風景は変わりますからね。人の手が入れば愛すべき風景に変わりますよね。
長田 : まさにその通りですね。それはすごく理想的なんですけど、手を入れることが苦になるくらいには人がいないんですよね。
だからこそ、特に特定多数の空き地については、人が苦にならない程度の管理でも許容できる状況が必要だと思います。

定期的に草刈りをする、防草シートを敷く以外にも手法があるのではないかなとも感じています。問題を解決する上で手法は一つではないと思っていて、他の場所だとどんなアプローチがあり得るかなと歩きながら考えています。

岡野 : 元々空き地だった場所に畑とかができても違和感がないのに、建物だった場所が空き地になると歯抜けのようになって、とても違和感が生まれますよね ( 笑 ) 空いた空間は不思議ですね。



・大規模なまちづくり計画の有効性

中川:先ほどお話ししていた駅を中心とした大規模なまちづくり計画について、有効だと考えますか ?

長田:浪江駅前を例に、国道6号線と駅前の位置づけについて少し考えてみたいと思います。
震災後、周辺地域よりも優先して国道6号線が走行可能になりました。理由は原子力発電所へのアクセスを確保するためだと思います。
浪江町だけでなく近隣の町でも、作業員の方が買い物をできるように国道6号線沿いにコンビニやスーパー、ガソリンスタンド、簡易ホテルなどが整備されていきます。現在の浪江町のイオンの立地についてもそういう背景があったのではないかと思います。
そのため、広野町から小高区・浪江町にかけての地域では国道6号線沿道の商業施設に生活に必要な商業施設等が整備されていきました。
浪江町には震災前から6号線沿いにジャスコがあったみたいですね。

浪江町のグランドデザインの場合、現在国道6号線沿いにあるイオンが1000㎡弱くらいかと思いますが、その約2.5倍の商業施設が駅前にできる計画です。
国道6号線沿いであれば周辺からの来客を受け入れやすい立地だと思いますが、浪江駅は少し入ったところにありますよね。周辺地域からのアクセス性があまり良くない位置に約2500㎡の商業施設ができたらと考えると、少しスケールがあってない気がします。
もともと駅前や新町通りには小さな商いが集合していたエリアだと思いますので、都市基盤のキャパシティや市街地全体としての密度についても少し疑問があります。
町が設定した条件の中で建築家が設計していると思いますので、そのスケール感に対して町側の考えが足りてない気もします。

また、浪江町の車社会において、駅と新町通りを繋いで人を歩かせるという計画はリアリティが薄い気がしますね。駅から新町通りを歩くとなかなか距離があります。たまに来るぐらいなら歩くかもしれませんが、日常使いにはハードルが高いと感じます。

新町通りに人の流れを、というのは分かるので、いかにその人の動きをデザインするか、もしくは新しいモビリティを許容できる道路の在り方や考え方を踏まえて設計できれば、もっと有効なまちづくりになると思います。


ーーーー浪江の発展の経緯や現状を知り、まちづくりについて考える余地の広さをを実感しました。しかし同時に、長田さんの等身大でありつつも楽しそうにお話してくださる姿から、これからの浪江が楽しみになりました。今日は本当にありがとうございました。ーーーー


インタビュー:渡邉、マーク、川見、中川
文章:川見、中川(B4)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?