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【連載小説】2. 至福のひと時 / あの頃咲いたはずなのに

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 テレビに夢中な千雅に対し、世那は大きくあけた口をめがけて、ポテトチップスの筒の底を叩いている。

「しりとりしよ、負けたらコンビニでお菓子勝ってくる」
 余すところなくポテトチップスを食べきった世那が提案した。
「えー、面倒くさい」
 ソファにもたれ、テレビに視線を向けたまま、無表情で千雅が返事をした。
「なんで嫌なの? もう何もないよ。お菓子だけじゃなくて、チューハイもない。お菓子は食べないとしても、お酒はまだ飲むでしょ。飲むよね? 飲むね、ね。よし、決まり。しりとりしよう」
 世那は、千雅を無理やりリング上に立たせた。床についた足を上げ、あぐらをかき、正面をテレビから千雅に変えた。
 格闘技というより喧嘩というところだろうか。
 千雅の意志とは裏腹に、ルール無用の戦いは、すぐさまゴングが鳴った。

「よし、じゃあ、いくよ。しりとり」
 世那が軽快に始める。
「り、りんご」
 もう戦うしかない千雅は、目線をテレビから世那に移して、応えた。

「ごまさば」
 ごりらじゃないのか。

「ば、ば、ばいと」
「とびうお」
とびうお、なるほど。まあいいか。

「お、お、おに」
「にじます」
「す、す、末っ子」
「こもちししゃも」
「随分独特だね」
 世那の答えに対して、思わず制止した。

 「ごまさば」の時点で、異変を感じ取っていたため、止めずにはいられなかった。
 しかし世那はこの異変を気にもとめず、しりとりを続けるよう促した。

「んー、も、も、モロッコ」
「こ、コブダイ」
 反射的に世那を見た。
 千雅の視線をよそに、世那は「い」の言葉を早く言ってと、口を横に広げた。

「い、い、インド」
「どじょう」
「う、う、うめぼし」
「しゃこ」
「こ、こ、こま」
「マグロ」
「ろ、ろ、ロールケーキ」
「きんめだい」
「い、イカメラ」
「ライギョ」
 千雅は目を丸くして、世那を見た。

「魚だけ言ってる?」
 心なしか、嬉しさがあった。
「お、気づいた? よく分かったね」
 世那は、何故か誇らしげだ。

「ようやくわかった、魚の中でもわかりにくい魚なんだもん。ゴマサバなんて、料理名だし。でも、なんで縛るの?負けちゃうよ?」
「私はね自分に厳しいの。自分自身で制限を設けて、必死に乗り越えようとする。もがいて、苦しんで、乗り越えた先に成長があるんだよ」
 世那はあぐらの姿勢のまま、両手を腰に手をあて胸を張った。
 だとしても、魚縛りはあまりにも渋いと思ったが、そっと胸にしまった。

「野心家だねー、その成長の先にはきっとコンビニがあるんだろうな」
 勝利を確信した千雅の中で、このしりとりは消化試合に変わった。引き続き誇らしげな顔をしている世那が続ける。

「ここで特別ルール。言い忘れておりましたが、私は他人にも厳しいのです。だから、千ちゃんも、ここから魚縛りで」
「え、ずるくない?魚知らないんだけど」
「はい、ぎょだよ、ぎょ」
有無を言わさず、世那は魚縛りのしりとりを強行した。
なぜこんなに魚に詳しいんだ。理由が全く見当がつかないため、仕方なくルールを飲み込んだ。

「ぎょ、ぎょ、ぎょ」
 天井を見上げながら、頭の中にあるはずもない魚の引き出しを探していく。
「ぎょ、ギョカイルイ」
「広っ!」
 世那は、思わず吹き出した。

「まあ、いいじゃん。最初だから、お願い」
 そう言いながら、千雅もソファにあぐらをかき、九〇度向きを変え、世那と向き合い、臨戦態勢になった。
「『い』はあるよ、いか」
「か、か、かつお」
 真剣な表情で千雅も応戦する。
「おさかな」
「それはダメでしょ」
 おどけた世那に、千雅は、矢を射るように鋭く訂正した。
 少しの笑みもない、真顔での指摘に世那は、一瞬狼狽したが、気を取り直して「お」から始まる魚を探す。

「お、お、オオクチイケカツオ」
「なにそれ? 本当にいる?」
「疑ってんの? いるよ」
 世那は一転、得意げな表情で千雅を見る。世那の貫禄に、千雅の強気な表情はすぐに影を潜めた。

「あ、ちなみに、次から『オオ〜』は禁止ね。何でもオッケーになっちゃうから」
「ちょ、ずるくない?」
「はい、『お』です。答えて下さい」
世那も仕返しをするように、真顔で促す。

「お、お、オオサンショウウオ」
「魚じゃないです、両生類です。ダメです」
 臆面もなく不正を排除する一流のレフェリーのように、すかさず制止した。千雅は天を仰いだ。

「お、お、お寿司。お願いお願い、今回だけ。頼む」
 拒絶される前に、世那に両手を合わせて懇願した。
「今回だけね、じゃあ、しめさば。お寿司良いなら、これもセーフでしょ?」
 あっという前に返され、千雅のぴったりとひっついていた両手はゆっくりと離れ、両膝についた。

「ば、ば、ば...... 『は』でもいい?」
「だめ、『ば』です」
 既にレフェリーに戻ってしまった世那に、千雅は逆らえなかった。

「5、4、3」
 レフェリーがカウントダウンを始め、顔を近づけながらプレッシャーをかけてくる。

「ば、ば、ば」
「2,1...... ざーんねーん。やったやったー」
 世那は、千雅の肩をつかみ、千雅を揺らしながら喜んだ。

 千雅は、往復十数分かけてコンビニに行く面倒臭さに苛まれながら、世那の揺れに身を任せた。体の力が抜けたせいか、頭だけが揺れに対して遅れて動いている。

「はい、行ってきてください。ポテチみたいなしょっぱいものと、アイス買ってきて」
「面倒くせー、わかったよ」
 千雅は重い腰をあげ、気だるそうにコンビニへ向かった。

 その間世那は、ソファの空いたスペースを存分に使い寝転んだ。リモコンを持ち、テレビの録画リストを見た。左手薬指についた指輪が蛍光灯の焦点になり、一瞬だけ眩しくなった。改めてテレビに目を移すと、昨日予約していたドラマが、プロ野球中継の延長で途中から録画ができていないことに気がつき、げんなりとした。

 仕方なく千雅が見ていたバラエティ番組にチャンネルを戻し、あまり興味のないお笑い芸人のネタをぼーっと見た。体勢を動かしたとき、何やら腹部に少し違和感を得た。

「ただいまー」
 千雅がコンビニの袋を片手に帰ってきた。世那は、体を起こし、体勢をあぐらに戻した。テーブルに袋を置き、中身を出していく。

「チューハイは俺ので、はい、これが世那の」
 千雅は、アイスクリームの「爽(そう)」のバニラ味と「おっとっと」を渡した。世那は一瞬固まった。
 今まで、お酒を飲んでいる時に、「おっとっと」を買ったこともなければ、候補に入ったこともなかった。
 でも、なぜ入ってこなかったかはわからない。
 確かに入っていてもおかしくない気がすると思いつつも、疑問はどんどん膨らんでいった。

「え、『おっとっと』なの? しょっぱいものって言ったから、ポテチ買ってくるかと思った。あんまり無くない? お酒飲んでいるときに、『おっとっと』を真っ先に選ぶって」

「魚縛りだからね」
 千雅は誇らしげに言い放った。

「う、なんかものすごく悔しい」
 華麗などんでん返しを決められ、世那は少し敗北感に襲われた。仕方なくサメの形の「おっとっと」を口にする。
 久々の「おっとっと」の美味しさですぐに機嫌を取り戻して、千雅の左肩に頭を乗せ、バラエティを見た。この体勢だと録画失敗のショックもどこかへと消えていくような気がした。

「千ちゃん、『おっとっと』取って」
 千雅の肩に頭を乗せたまま、テーブルにある、「おっとっと」を指差した。
 テレビのお笑いタレントの一発ギャグで笑いながら、「おっとっと」の箱を世那に渡した。
 千雅に寄り添っている心地よさよりも、バラエティ番組のつまらなさが上回ってきていた。次第に、視点がテレビから定まらなくなり、辺りを見回すようになる。すると、ツタヤのレンタル袋が目に止まった。何かを企むように千雅へ投げかける。

「千ちゃん、そういえばツタヤで借りた映画、明日までに返さないといけないよ」
「あれ? 明後日じゃなかったっけ? だから明日見るつもりだったんだけど」
 千雅が把握していることは、想定外だった。
「いや、明日返さないといけない。だから、今見ないといけない」
 引くに引けない世那は、千雅の顔をまっすぐ見つめ、嘘であることをバレないように注意を払いながら、千雅の逃げ場を無くすように伝えた。気持ちを込めすぎたせいか、少々声が大きかった。

「わ、わかったよ。じゃあ見よか」
「よっしゃ」
「いや、『よっしゃ』って何? 明日返さないといけないんだよね?」
 上手く騙せたことを思わず喜んでしまい、返却日の捏造がバレそうになった。世那はせっせとDVDのセッティングをし、電気を暗くした。千雅の質問は、空気に溶け込んでいった。

やっぱり、バラエティ見ようと言わせる隙は、一切与えなかった。準備が完了すると、先程よりも千雅に近づいた。千雅もまんざらでもない様子を浮かべ、左手を世那の左肩に添えた。

 開始二十分もすると、千雅は瞼が落ち、顎が上がり、鯉のように口をあけた。そして、映画に支障をきたすほど、いびきが大きくなった。その様子を見ながら、千雅のいびき、体温を感じ、五感で幸せを嚙み締めた。

 この何気ない時間のために、日々頑張っている。生涯を共にする人と、出会った時よりも更に仲を深めていることが嬉しかった。幸せの結晶が消えてしまわぬよう、一緒に目を閉じた。

 夢に飛び込みそうになった時、再び腹部が少し痛みだした。千雅を起こさぬよう、ゆっくり音を立てずに右半身を千雅から離していく。トイレへと向かう時も、足音を一切立てないよう集中した。お腹が痛くて、気を遣っている瞬間も楽しかった。

こんな日々がずっと続けばいいのに。腹痛と喜びが同時に襲ってきた。


*****

 風呂からあがった千雅が、タオルを肩にかけ、パンツ一丁でリビングに入ってきた。
顔と腕と足は、はっきりと毛が生えていたが、胸には一切なかった。付き合った当初は、この不思議な生え方に世那は大笑いしていた。
 もうすっかり見慣れた世那は、いちいち反応を示さず、パソコンの画面に視線を向けたまま、口を開いた。
「ね、千ちゃん、再来週の土日、遠出しない? 行きたい所あるの、観覧車もある」
「そうなんだ。いいよ、行こ。覚えておくね」

 向かった場所は、プロポーズをした観覧車だった。
 ゴンドラが全面シースルーになっており、全方位から景色を眺めることが出来た。ゴンドラに乗り込むと世那は、いつも以上に景色に反応を示した。四分の一をすぎると、世那はバックの中身を探し始めた。

「千ちゃん、ひとつご報告があります」
「なんでしょうか」
 良い知らせの予感がして、声高になる。
 世那はおもむろに左手を差し出した。

「え、できたの。やったー」

 千雅は世那の左手から、陽性反応が出た妊娠検査薬を手にとった。そのまま膝から崩れ落ち、大粒の涙を流した。世那は崩れ落ちた千雅の頭を撫でた。

「これ、普通逆だよね? 私が泣いて頭撫でられる方じゃない?」
 そう笑いながら冗談交じりに言ったが、嬉し泣きする千雅を見て、涙がこみ上げた。千雅は、世那の隣に座り直し、強く抱きしめた。観覧車のてっぺんから見える満天の星空ときらびやかな町並みが、二人の門出を祝福した。

 後半は身を寄せ合い、ただただ夜景を見つめた。そこに言葉はいらなかった。流れる空気に身を任せ、幸せに浸った。

 観覧車で夜景を見られるようになってから、私達は大人になったような気がする。

 お腹の子とも一緒に乗りたい。同じことを思いながら、しばらくはお預けになる二人っきりの観覧車を堪能した。

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