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【連載小説】4. 二人三脚 / あの頃咲いたはずなのに

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「こんなにあるの?」

 揃える必要がある育児グッズを見て、千雅は思わず声をあげた。鈴村の言うとおりだと思った。
 おむつやおしりふき、ミルクなど、浅い知識の上澄みを救ったようなイメージしかできていなかったことを自戒し、同時に育児の大変さと世那のたくましさを痛感した。

「これでも最低限だからね。何回も買い物はいけないから、今日で色々揃えたいけど、これが限度かな。大きいものとかは通販でいい」
「もっと勉強します。何でもしますので、僕に出来ることがあれば何なりとお申し付けくださいませ」
「ありがとう。これやってって指示出すのも体力いるから、早く勉強してね」
 世那は笑顔で釘を刺した。千雅は、鈴村の顔が浮かべながら、大きく頷いた。

 ベビー用品店に着くやいなや、世那は妊婦とは思えないほど、軽快に店内を巡った。母親になる自覚、強さなのだろう。かごを押しながら千雅が必死に追いかけた。みるみるうちに、カゴの中が埋まっていく。

「おしりふきとか多めに買っておこうか?」
「いや、消耗品は通販で大丈夫。たくさん買っても置き場ないから」
 なんとか絞り出した意見も瞬殺され、千雅はひとりお手上げ状態になった。
 通販も活用し、最も効率の良い買い物をしたものの、買い物かごにも乗り切らない袋が三袋あった。力仕事は意地でも俺がやると意気込んでいたが、物量が多すぎて、一人では運びきれなかった。

*****

 千雅は、ベビー用品を買いに行ったことを、鈴村に話した。
「だから言っただろ、育児は思っている以上に大変で、かつ男は思っている以上に何も知らないんだよ。常に勉強して、謙虚に、出来ることを着実に。仕事と一緒だよ」
「そうなんですね、やっぱ鈴村さんすごいですね。じゃあ、ここまで奥さんのことを理解して、育児の知識もあったら、さぞかし奥さんは喜んでるんじゃないんですか?」
「めちゃくちゃ怒られて、頭が上がらない」
社用車を運転しながら、淡々と告げた。
千雅は心の中でガッポーズをし、ずっとこの人について行こうと思った。

*****

 世那は、眉間にシワを寄せながら、ソファで横になっている。ここ最近、吐き気やつわりがひどくなり、家事はおろか食事を取るのも一苦労になっていた。
 千雅が晩御飯で作った、鈴村直伝の野菜たっぷりの八宝菜は、一度ではダメ食べられず、何回かに分けて食べた。千雅は、洗い物を済ませベッドの下に座り、世那の背中をさすった。洗い物直後で手が冷えていたせいで、世那は、ひくっと体を動かした。違う刺激のおかげなのか、タイミングが良かったのか、世那の痛みは次第に収まっていった。

「ふう、やっと落ち着いた。陣痛始まったかも」
「結構辛そうだった。無理しないでね、家事は俺がやるようにするから」
「ありがとう、本当助かる」
「あ、でも初期の陣痛の時は、ウォーキングとか体動かすのが良いらしいね」
「よく知ってるね、調べたの?」
「うん、勉強しなさいって言われたから」
「んふふ、偉いぞー」
 髪がボサボサになるほど、強めに千雅の頭を撫でた。千雅は不敵な笑みを浮かべながら、おもむろに立ち上がり、部屋を出て、背中に何かを隠し持って再び現れた。

「じゃん!」
 千雅は、勢いよく背中に隠していたものを見せた。
 二足のランニングシューズ。
 サイズの異なるお揃いのシューズ。
 色は、青のような、緑のような色だった。

「せっかく運動するなら、一緒にできればと思って。しかもお揃い」
「え、嬉しい! こんなことまでしてくれてたんだ、ありがとう!お揃いなんて、なんか千ちゃんらしくないね」
「これ見て」
千雅は、ランニングシューズのべろの部分を反り返らせ、タグの文字を見せつけた。

『color:sapphire/emerald』と記載されている。 

「サファイア、エメラルド?何色かわかんないね」
「でしょ。きっと、あおみどりってことを伝えたいんだろうね。それでね、これ見た時に思ったんだよ。『蒼色』はみどりだけど、サファイアはあお。『蒼』っていう漢字でも、青なのか緑なのか、もうどっちかわからなくなっているんだろうなって。だからこそ、青と緑がより混ざり合っている感じがして、また『蒼唯』っていう名前はぴったりだなって改めて思った。ってことで、これにした」
「うーん、いい話っぽかったけど、急に話飛んだね。でもなんか良い気がする。嬉しいよ、ありがと、明日から歩こ」
 そう言いながら、世那は裸足のままランニングシューズに足をいれ、部屋の中を歩き回った。十分前まで陣痛で悶(もだ)えていたとは思えないほど、今にもスキップをしてしまいそうなほどだった。
 嘲笑う様な表情を浮かべながらも、千雅もランニングシューズに足を入れ、世那の後をついて、部屋の中を歩き回った。

*****

「鈴村さん、見てくださいよ、これ」
 千雅は、昨晩作ったアサリと小松菜のパスタと野菜スープの写真を見せた。
 鈴村から助言をもらってから、料理の腕がメキメキ上がっていた。
「すげえじゃん、うまそう」
「そうなんですよー、奥さんも喜んでくれてー」
千雅は、昨日の余韻に浸るように話した。
「まあ、長く続くと良いけどなー。子ども生まれたら、仕事めちゃくちゃ振らせてもらうから、その時もちゃんと頑張るんだぞ」
「あ、はい」
 鈴村は相変わらずパソコンを眺めながら、核心をついたことを告げる。千雅は少々怖気づいたが、育児に向きあう環境を与えてくれている鈴村への感謝の念がさらに湧いてきた。

 コンビニにも車で行くほど、車ありきの生活をしていたため、近所を歩くのは久しぶりだった。スポーツウェアを着るお互いの姿を見るやいなや、同時に笑った。
 正確に言えば、千雅は微笑み、世那は吹き出した。

 スポーツウェアを着るのは、どことなく高校のサッカー部時代を彷彿とさせたが、「お互い」お腹が出ていた。千雅はここ最近、著しい体形の変化をどうにかごまかしていたが、スポーツウェアはあまりに正直で、ありのままの姿を晒させた。
「千ちゃん、老けたねー」
「うるさいな、これから痩せるから」
 面白さと不甲斐なさを抱えながら、もうまもなく誕生する蒼唯と共に一歩踏み出した。

 世那は、首にかけたタオルの両端を持ちながら、軽快に歩を進める。並んで歩く千雅はタオルを首にかけ、Tシャツの中に入れるスタイルがやけに似合っていた。
 距離を重ねるごとに、今までの思い出が蘇ってきた。

 お互い自転車を押して帰った通学路、世那の門限ギリギリまで話したベンチ、千雅が二時間寝坊して初めて喧嘩した映画館、初めて二人でお酒を飲んだ居酒屋、新居を探した不動産屋。

 近所を歩いただけでも、何かしらの思い出があった。付き合ったのは、もう十年も前になるが、全く色あせていなかった。
 大人になって同じランニングシューズを履きながら、同じ思い出を頭に浮かべる。何にも代えがたい幸せな時間だった。
 暫く歩くと、高校にたどり着いた。建て替えが完了したばかりで真新しかった校舎も、年季が入っており、不思議とあの頃よりも小さく見えた。

 閉じられた正門を隔てながら校舎をしばらく眺めると、千雅は世那を見た。同じタイミングで目が合い、同じタイミングで微笑みあい、同じタイミングで手をつないだ。
「そういえば、高校の時この道で手つないだことないよね?」
 世那がこちらを見ながら尋ねた。
「無いね、間に自転車があったもん。俺ね、自転車は右側で押すようにしてたよ。左手は世那とつなぐときが来たように空けてた」
「そうなの、私の左腕が片手でチャリ押せるほどの筋肉があれば叶ったかもね。絶対無理だけど」
「チャリ引きずってたね、きっと」
 笑いながらそう言い、握っている手の力を強めた。

 千雅は十年越しに願いを叶えた嬉しさから、手の振り幅が大きくなった。スキップしそうになり、自制する。子供だったあの頃と大人になった今の狭間で、細かく気持ちが揺れ動く。じんわりと温度が上がっていく体を生ぬるい夏の夜風が撫でていった。

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