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【連載小説】3. 踊る心 / あの頃咲いたはずなのに

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 千雅は、建設会社の営業部で勤務している。

 新卒で入社し、6年目。施工管理部で現場監督として五年働き、今年から営業部へと異動になった。マンション、ホテル、学校など、地元地域の様々な建築に携わり、各職人さんからの評判も上々だった。血の気の多い職人が言い争いを始めても、千雅が仲裁に入ると場が収まった。

 現場監督での重要な作業として、工事の進捗を確認するために、経過を写真で収める作業があった。この作業を怠ると、写真の段階まで解体し、再度組み立てる作業が発生してしまう。千雅は入社して、一度だけそのミスを犯した。しかし、こっぴどく叱られることはなかった。
「俺にもそんな時期あった。こういう時は助け合いや」
その時の職人さんの声と表情は、今でも千雅の脳裏に焼き付いていた。

 営業部門での仕事は、現場監督の仕事とはまた異なった難しさがあった。
 現場監督の時は、施工期間、工数、一日の業務量が、案件の良し悪しで、この建物が会社に対してどれだけのお金をもたらしているなど、考えたこともなく、一日の業務量が少ないものが良い案件という認識だった。

 ただ、営業となると違う。如何に、売上、利益を獲得できるか。
 案件を受注するために、情報収集、飛び込み営業は大前提で、同一案件に対して、何社も競合がいる。常に周りにアンテナを張りながら、クライアントにとっての最善のストーリーを描く。

 毎日朝早く起き、現場の職人たちを統括し、工事終了後は、夜遅くまで作業報告書と明日の作業工程表の作成など、大量の事務作業を捌く。毎日忙殺されそうになっていた大量の案件は、営業部の血の滲むような努力の結晶なのだと、千雅は現場監督を離れて、初めて気がついた。

「出産予定は九月だろ、もうそろそろ業務は控えめにしたほうが良いな。あと、酒も飲むなよ」
「すみません、こんな忙しい時にご調整いただいて。子ども生まれたら、取り返すように働きますので」
「言ったな、今の録音しておけば良かったよ」
 鈴村は、パソコンに視線を注いだまま、千雅におどけてみせた。
 鈴村は、四歳年上の先輩で、千雅の教育係になっていた。

「思っている以上に子育てって大変だぞ。分かってる? 育児にどれだけ参加したかどうかで、奥さん、子供との今後の関係に影響出るからな」
「え、そうなんですか。知らなかった。鈴村さんはお子さん生まれたとき、奥さんの手伝いしました?」
「そんな野暮な質問やめろよ、当たり前だろ。仕事も早めに切り上げて、お酒を飲むのもやめて、何かあった時に車を出せるようにして、家事は基本的に俺がやる。出産の手伝いと言っても、男が出来ることって意外と限られてるから、今の奥さんの負担を減らすのも大事なんだよ」
「かっこいい、鈴村さんイクメンですね」
「やめろよ、それ。俺、その言葉嫌いなのよ。男だって育児やるのは当たり前だろ。女の人がやるっていつ決まったんだよ。イクメンって言葉がある時点で、男は育児をしないのが前提になってる。『イクメンです』って誇るような奴にはなるんじゃねえぞ」
言い終わるタイミングで、ようやくパソコンから目線を外し、千雅を見た。

「なんすか、かっこいいですね。鈴村さん、非の打ち所がないですね」
「おい......」
「あ、すみません。僕またなんか気に入らないこと言っちゃいましたか?」
「聞こえなかった、もう一回言ってくれ」
「いや、もう一回聞きたいだけでしょ。言わないです。あ、移動の時間です。行きましょう」
「んだよ、可愛くないなー」
 千雅は、鈴村の背中を押して、移動を促した。
 こういう一面も含めて、千雅は鈴村が、真の完璧人間だと崇めていて、心から尊敬していた。

*****

「名前、あおいはどう?」
 ソファに座る世那の膨らんだお腹に耳をあて、笑みを浮かべながら尋ねた。
 妊娠九ヶ月目に差し掛かり、お腹はすっかり大きくなり、歩くときには足元が見えにくくなっているようだった。

「あおいちゃんか、いい名前だね」
 世那のお腹の左側で千雅は、目をつぶって、もうまもなく出会える我が子の胎動を感じていた。世那は千雅の邪魔にならないよう、そっとお腹の右側に触れ、百瀬家に新たな命が宿る瞬間を今か今かと待ち望んでいた。

「なんで、『あおいちゃん』にしょうと思ったの?」
「世那の好きな色が『あお』、俺の好きな色が『みどり』。俺と世那の良いところが混ざり合って、素晴らしい子になってほしいっていう意味を込めて」
 お腹に耳をあてたまま千雅が答えた。

「ん? それだったら、なんであおいなの? 私の要素しか入ってないよ」
「待ってました!」と言わんばかりに、千雅は耳を世那のお腹にあてたまま、目線をあげた。首への負荷がかかる。名前の由来を話し始めた。

 『あお』にも三つの漢字がある。『青』『碧』『蒼』。

 まず、『青』。
 こちらは文字通り。原色のあお。絵の具で見たことがあるあお。混じりっ気のないあお。

 次に、『碧』。
 こちらは、あおくて澄んだ美しい石。緑がかったあお。
 色の意味に加えて、美しさの意味も込められている。

 最後に、『蒼』。
 こちらは、草のようなあおい色。あおく茂る様子。『蒼天』『蒼海』という言葉がある通り、スケールの大きい色彩を表す。あおがかった緑を表す。

 この三つの『あお』の中で、『蒼』だけが唯一、緑を表している。『あお』でありながら『みどり』。二つの色が混ざり合っているんだ。

 ここから千雅は、更にもう一段階顎をあげた。更なる首への負荷などお構いなしに話し続けた。

「それでな、ここからだよ。『蒼』には、蒼玉っていう熟語がある。通称サファイア。きれいで澄んだ石でしょ。このサファイア、って実は九月の誕生石なんだよ」
「そうなんだ」
そう、出産予定日は九月二四日。九月に二人の想いが混ざり合って、愛情たっぷりに生まれてくるこの子は、きっと『蒼』という漢字のように、広い心でのびのびと成長してくれる子になってくれる。そんな気がするんだ。だから、名前は『あおい』にしたい」

熱の帯びたプレゼンが終わる頃には、千雅は膨らんだお腹に正対していて、想いを世那と我が子に訴えかけているようだ。(ただただ首が痛くなっただけかもしれないが。)
 らしからぬ千雅の熱量に、世那も自然と頬が上がり、千雅にそっと手を添えた。

「すごいね、感動しちゃったよ。一緒にいて初めて賢いところ見たかも。たくさん調べたんだね」
「そう言われると恥ずかしいね。でもたくさん調べた。我が子だもん」
 千雅は照れながらも、どこか誇らしげだ。

「漢字一文字で蒼(あおい)ちゃん?」
「蒼に、『唯(ゆい)』で『蒼唯(あおい)』がいいな。広い心の中にも、たくましさ、自分らしさをちゃんと持った子になれるように」
「良いね。うん、すごい良い。『ももせあおい』か、アイドルみたいだね」
「確かに、アイドルっぽいかも。でも世那に似たら、本当にアイドルになるかもね」
「なにそれ。まあ、千ちゃん似よりはいいかな。ちょっと濃いもんね」
「おい、ちょっと。俺のことも褒めてくれたっていいでしょ」
「うそうそ、冗談」
 千雅は、少しいじけた表情を浮かべながら、またお腹に耳をあてた。世那は、本当なら大笑いしたいところだが、胎児を気遣って自制しながら最大限の笑顔で視線を落として、千雅の頭を撫でた。

「あおいが大きくなったらさ、私達もお互いをパパ、ママって呼び合うのかな?」
「あおいの前ではパパ、ママで、二人の時は、今まで通りじゃないかな。二人の時は、せなって呼ぶよ」
「ほんとに、じゃあ私も千ちゃんって呼ぼ」
お互いに対して、今までと変わらぬ愛情を注ぎ続け、可愛くて仕方ない我が子が、百瀬家に仲間入りする。叫びながら走り出してしまいたいほど嬉しかった。

 千雅は、世那の体温を右頬で感じ続けたせいか、首筋から汗がにじみ出ていたが、冷房の温度を二度下げ、そのままの体勢から動かなかった。我が子の小さな音も聞き逃さぬよう、目を閉じて、耳をすませた。

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