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保育園の先生になってみた

~前置き~
わたしは、大学2年生です。
大学ではIB教育を学んでおり、卒業と同時にIBの教育免許取得を目指しています。また、同時に中高の地歴・公民の教職課程も取っています。(これがなかなかハード)
現在は、半年間の留学中でリトアニアのヴィリニュス(主都)にいます。
こちらでは幼児教育、就学前教育を学んでいます。10月は『KD International School of Vilnius』のnursery school(保育園)にて、1か月の間教育実習をさせていただきました。


そして、まんまと幼稚園・保育園の先生になりたくなった。

理由はいくつかあるけど、まず子どもかわいい、おもしろい。
5歳児と6歳児のクラスを行ったり来たりしていて、たった1歳差でこんなにも違うのかと、毎日驚きと発見の連続。5歳児のジャンバーのチャックは先生がお手伝いでやるけど、6歳児の場合は「できないことは友達にお願いする」が基本だったり、言語の発達具合も、個としての主張の仕方も、喧嘩の仕方も、全然違う。あんなに小さいのに、自分で考えて、決断して、主張してる。おもしろくて、不思議で、なんでなんだろう、どうしてだろうで毎日いっぱいになった。

そして、実際に教育を学ぶ立場から先生たちの仕事や動きを間近で見てみたこと、わたしも先生として実践してみたことから、幼稚園・保育園の先生には、教科ごとの専門性よりも「教育者」としての側面の方が求められているんじゃないかと思った。
わたしは高校生の進路選択に関わりたくて、高校の先生を志望して教科は地歴を選んだけれど、教科の専門性にはあんまり興味がなく、教科書をなぞるだけの授業ならなんとかできても、わたしが目指す授業はできる自信がない。もし生徒が興味を持ったとして、わたしにはその興味を深められるほどの知識も授業も話し相手にもなれないだろう、という不安、諦めが実はずっとあった。学校の先生、特に高校となると、教科の専門性と教育者としての二つの側面が求められているけど、わたしの教科の専門性が圧倒的に無い。
わたしは「教育」には興味あるけど、「地理」を究めたいとは思ってない(好きだけど!)。
保育園の先生は、高校の先生と比べて、教科の専門性がそこまで求められないと思う(たぶん)。わたしが実習先として通っていた保育園では、5歳児のクラスで主に先生のアシスタントをしていた。英語や文字の読み書きの授業の時間では子どもの周りをうろうろして困っている子のサポートをしたりとか、お遊びの時間は一緒に遊んだり、お外で鬼ごっこしたり。
1週間に1回くらいの頻度で、6歳児クラスの英語や算数の授業で先生として授業させてもらったりもした。
そんな中で、このスクールでは英語と算数と理科を教科として学んでいるけど、教科に対する専門性よりも、どう教えるか・話すか・聞くか・表現するかが結構重要だなと気づいた。(いや、もちろん小中高の先生たちもそこらへんたくさん考えていろんな方法を持っているとは思う。)
中学校とか高校に実習行ったことはまだないからわからないけど、大学での模擬授業と比べてみたら、どっちも楽しかったけど、保育園での、子どもに対する話し方とか聞き方とか、授業の試行錯誤の方が向いてるかもって少し思った。

今まで全く考えたこともなかったけど、わたしの将来の選択肢に「保育園の先生」が加わったのは明確、これは、もう絶対。


わたしは日本では幼児教育や就学前教育を学んでいなかったけど、リトアニアの大学は幼児教育・就学前教育のコースで実習先は保育園とプリスクールで、もちろん実習先の先生たちはわたしが「本気の」実習生だと思っているから、こっちの国民性も相まって、わたしが何かをするもしないも、すべてわたしの判断と思われてしまっていた。わたしはただ何をどうすればいいのかわからずオロオロしていただけだけど、それもわたしの判断だと。
子どもに対しての話し方もわからなかったし、遊び方も知らない。自分自身の幼児教育としての教育哲学も持っていないし、実習でこれが学びたい!こうなりたい!という明確な目標やゴールがあるわけでもなかった。
わたしの浅はかな行動が子どもたちに何か悪影響を与えるんじゃないかと思ったり、実習先の保育園の教育理念に反しているんじゃないかとか、先生の教育哲学知らないからな、、とかいろいろ考えちゃって、簡単に判断して行動なんてできなかった。考えれば考えるほど言葉も出ないし行動にも移せなくて。
いろいろ経験して学びに来たと思っている先生と、勉強と思考が足りな過ぎて何もできないわたしの間に、大きなギャップがあって気まずい瞬間とかたくさんあったの!(涙)
本当にごめんなさいって心の中で毎回謝ったりして、少しずつ先生たちにも「これってこういうこと?」とか「どうしたらいい?」とか聞けるようになって。慣れてきたら、思っていたよりもずっと簡単で、楽しかった。
わたしより先に子どもたちの方が慣れて「フカー」「フカー」(海外の人は「フウカ」が言えず「フカ」になります。発音の問題。)って来てくれるのがかわいすぎて、助けられた。本当にありがとうね。
いろんな子がいろんなお話をしてくれて、こちらの反応次第でどんどんどんどんお話ししてくれるから、子どもって本当に本当にかわいいなって心の底から思った。

子どもたちがうるさくしていたり興奮していたら、落ち着けさせたり、ルールに逆らう行動をしていたら注意したりもしなきゃいけなくて、言葉とか言い方とか完璧じゃないからこそ、何気ない言葉で傷つけてしまったらどうしようってすんごく怖かった。
一回だけ先生がいなくてわたし一人のとき、再骨頂のカオス具合になってしまって、一人の男の子に対してけっこう怒ってしまったとき、その子もめちゃくちゃ抵抗して泣いてしまって(ギャン泣きではない)。その子に消えない傷を負わせてしまっていたらどうしようって思ったらこっちも泣きそうになった。結局隣に座ったらすぐいつもみたいにくっついてきたから安心した。
ちょっと怒ったりしたときに、「You are not my teacher」とか言われたこともあった。あながち間違ってないよね。でも先生たちは、実習生だからどうのこうのってことはなく、子どもの前ではわたしのことを「Teacher Fuka」と呼んで、いち先生として優しく厳しく接してくれたことが本当に居心地が良かったし、鍛えられるなと思った。
再骨頂のカオス具合だったってことを伝えたときも、「すっごく大変だけど、それ以上にすっごくいい経験になるよね!ハハハ!!」って笑い飛ばしてくれて、たしかに!と思った。これ以上にない良い経験。

わたしが日本で目にしたり耳にしてきた北欧の幼児教育は、「すべての子どもの行動には原因がある」「頭ごなしに怒ったりしない」みたいなイメージだったけど、この保育園ではけっこう頭ごなしに怒ったりしているし、勉強やりたくない雰囲気を強めに出している子にも(ほぼ)強制的にやらせたりしていたし、北欧とはいえどもリトアニアは違うのかな。

わたしは、「怒る」という簡単な方法でしか子どもたちをコントロールできなかったことがすごくすごく悔しかった。「だめだよ」「やめてね」くらいしか言えなくて、それだけじゃやっぱりやめてくれないこともわかっているけどそれ以外にパッと良い方法が思いつかなくて、結局もっかい「だめ」と言って。
授業になかなか集中できなくて自発的に文字を書いたりすることもできない子に、「やろうね」「ここだよ」としか言えなかったことも悔しい。無理やり書かせることしかできなかったことも悔しい。
ここは保育園で、これは先生としての仕事で、教育のはずなのに、自分がしていることが正しいのかどうかわからなくなって、悩んで、でも他の方法がわからないし、保育園の先生たちを批判したいわけではないし、学びに来てる側だから先生たちの真似をしてサポートになる行動をしてみたけど、やっぱり葛藤が生まれて、頭の中でわーわーやってたら、実習3週目が終わって来週1週間で終わりだっていうタイミングで38.5度の熱を出して1週間お休みという結果に。
実習自体は楽しくて子どもたちのことも先生たちのこともすごく好きだったからこそ、大変だったとしても熱を出したことがすごくすごく悔しくて、家で1人泣いて、はやく治れ治れ!ってやってたら熱が引くのに結局4日ぐらいかかって。
でも思い返してみれば、頑張りすぎて熱を出すっていう経験は今までにしたことがないなと思って、それぐらい熱中していたし頑張っていたんだなと自分を褒めることにした。
でもやっぱり最後の1週間一度も保育園に行けず、感謝の気持ちも伝えられずお別れもきちんとできずなのだけが心残り!!!涙

そんな熱出した話は置いておいて、フィンランドの教育がもう謎なものにしか思えない。
だって、実際行ってみてわかったけど、勉強やりたくないっていう子にだけ特別で何か違うことってできないもん。他の子たちも「なになに?」って注意散漫になるだろうし、なによりお仕事としてのタスクがいっぱいあるから一人ひとりに十分な気を向けられないことも現実。怒る方が手っ取り早いし、(ほぼ)強制的に勉強させちゃう方がぶっちゃけ楽。「どうしてやりたくないの?」とか聞けるもんなら聞きたいけど、時間がない。
だから、フィンランドどうなってるの?という、ふうかのフィンランド教育への興味がまたさらに深まった。
怒りじゃない方法で子どもたちとどう向き合えばいいのか、授業に参加したくないとき、何度注意してもやめないとき、乱暴になってしまうとき、親と離れて泣き出してしまうとき、ダンスの授業に参加したくないと言って聞かないとき、泣き出しそうな顔をしているのに何を聞いても答えてくれないとき、子どもたちに何が起こっているのか、そしてわたしにできることはどんなことがあるのか、たくさん知りたいし学びたいと今は思ってる。
「留学」としてリトアニアに来れたからと言ってフィンランドへの気持ちがなくなるとか、諦めがつくとか、開き直るとか、そんなことはなかった。


最初の経験として、この保育園に来れてよかったと思っている。たくさん悔しい思いをして、うまくいかないことも多くて、失敗もたくさんしたけど、何より子どもたちがかわいくておもしろくて、一緒に過ごして毎日楽しかった。あと先生たちも優しくて、何もかもできないわたしに毎日寄り添ってくれて本当に良い環境だったな、、。
そして何より、「この子どもたちのこれからの人生も、豊かで健康で楽しく平和な世界でありますように」と願わずにはいられなくなったことが、今までに感じたことのない幸せで、そう願えることがわたしの幸せだと気づいた。見守るとか、そういうんじゃないんだけど、そう願えることが幸せだったの。(伝われ)
職業として、この幸せの中にいられたら最高だなって思った。

ということで、「保育園の先生」がふうかの中でいまかなり熱いです。
子どもっておもしろい!


※追記
大学の先生から、実習の評価がきました。最後の1週間は実習に参加できなかったけど、実習中わたしを担当してくれた保育園の先生からは10段階で10の評価をもらうことができました。わたしは先生たちに直接会えていないのですが、大学の先生が代わりに評価を聞いてくれました。「実習も全体的に良くできていて、子どもたちに対しても優しく、先生のサポートもしっかりできていた。よく頑張ったね。」とのことでした。さらに、保育園で良い先生になれる!って言ってくれていたそうで、これがすごく嬉しかったです。
たくさん褒められました。(照)
わたし自身、試行錯誤も間に合わないほど日々に追われていて、悩んで考えてはいるけど、一向に答えを出せずに実習をしていました。なので毎日失敗もして、わたしが先生に指導を受ける場面もあったりして、思ってたよりずっと上手くいかないもんだなぁとか思っていたのですが、いや、上手くいっていないのは真実なのですが、自分なりに実習中は一生懸命になれて本当によかったなぁと思います。
この経験と学びは、留学中でのいちばんの収穫で思い出です。留学中というか、わたしが今後どんな道に進もうと、この経験は人生の中で大切なものであると思います。
人生において、頑張りすぎて熱を出し、しかもそれが悔しい、自分的には全く腑に落ちない熱だった、ということはかなりレアな経験なんじゃないかと、自分でいうのはあれですが、思ったりしています。
よく頑張った自分!!おつかれ自分!!

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