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今国会でデジタル改革法案を成立させて、デジタル庁創設へ 「0069夜 『デジタル』は、ただの『電算』?」

ニュースで、「デジタル改革法案の審議入り」が伝えられています。大臣や国会議員が口にすると、なんだか噛み合っていない感じがする「デジタル」について書いてみます。
以前の関連投稿は「総理大臣の国会演説 0019夜 なんてったって『デジタル』

この命題は真か偽か? 「デジタル」は、ただの「電算」?

言葉遊びのように聞こえてしまう悲劇があります。「デジタル」、「IT」、「ICT」、「DX」などなど。「日本のIT化は、欧米の何周回遅れだ。欧米だけではない、中国、韓国、台湾、シンガポール、インドにも遅れをとっている」などという言葉も聞かれます。
(この後の文章では「デジタル」「IT」「ICT」「DX」等を全て列挙するのも煩雑なので、「デジタル(化)」と「IT(化)」だけを使うことにします)
筆者も日本のIT化遅れは事実だと思いますし、好ましいことではないと思っています。でも何か変なのです。「なぜIT化しないといけないのか」「IT化は何のために行うのか」「IT化すると私たちはどう幸せになるのか(ないとどうして不幸なのか)」ということがあまり語られずにIT化(デジタル化)が目的化しているように聞こえます。
それから、上の例でわざと除外した言葉があります。それは、「IT化するとどう便利になるか」と「IT化するとどれだけ儲かるか」です。理由は「便利だけけれど誰か(自分または他人)を不幸にすること」と「儲かるけれど誰か(自分または他人)を不幸にすること」のために、使われたり推進されたりするべきではないからという考えによるものです。脱線するので詳しく書きませんが、「情報科学」も「科学技術」の一部分ですから、筆者の「科学技術観」を反映していると思ってください。
さて、この段落の見出しは、「〇〇は、ただの風邪」という言葉のもじりです。
0019夜  総理大臣の国会演説 なんてったって『デジタル』」の投稿で総理大臣の所信表明演説からカタカナ語を極力違う言葉に置き換える試みをしてみましたが、「デジタル」を「電算」に置き換えても(筆者は)あまり違和感を感じませんでした。
今、「電算機」などのように「電算」という言い回しが入った言葉は古めかしいのかもしれません。総理大臣の演説は古くさい表現が基調になっていて、そこに「デジタル」などというカタカナ語を入れると浮いてしまうところが、「電算」にしたら少し落ち着いたということなのでしょう。

誰かを不幸にする儲け主義に注意

行政のIT化推進やデジタル庁の創設には、反対の人がいるそうです。筆者はコンピュータなどを活用する情報技術の利用自体に反対ではありませんが、「誰かを不幸にする儲け主義」には、反対です。「誰かを不幸にする便利なこと」にも反対だと書きましたが、これは「誰かが儲けるための誰かを不幸にする技術(たとえば間違った「IT化」)」は、たいてい「便利」を装って近づいてくるという意味です。
力のある者(権力者)が、「IT」「デジタル」を推進しようとするとき、それは誰か(国民、住民、開発途上国を含む世界の人々)を不幸にするものであってはなりません。「便利」を装おった「搾取(誰かを不幸にする儲け主義)」であってはならないのです。

国威発揚の場?

「IT」「デジタル」が、「国民を幸せにする技術」であるかどうかを、これまであまり国は重視していなかったのだと思います。だから「電子立国」は民間任せだったのでしょう。輸出によって外貨をもたらし、大きな税収をもたらす大手電機が世界で劣勢になると「日の丸半導体」の維持などに乗り出したりはしましたが、結局、国の考え方は「儲け主義」でしかなかったのだと思います。
IT分野での米中の覇権争いが激化するに及んで、「IT」「デジタル」の重要性に気づいての「デジタル庁創設」であり、国家による儲け主義との親和性の高さに、警戒せざるを得ないわけです。
「外国(中韓)に負けるなんてとんでもない」という意識から始まっていることだとすれば、国威発揚の場としての利用しか考えておらず、「人々を幸せにする技術」として推進するという発想には至らないことになります。

2021年3月10日のコメント

「パソコン千夜一夜物語」ではAI(人工知能)についても時々とりあげていますが、それは、「誰か一部の人に独占された儲け主義の道具」であってはだめだから、自らせめて理解できるように勉強したいと思うからです。
今日は、すごく硬い文章になってしまいました。
それでは、また明日。


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