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苦しすぎて言葉がでない人と関わる時

人は,あまりに大きな苦しみを前にした時や本当に苦しい時ほど,
それを言葉にするのが難しくなることがあります。
支援者として,苦しむ人の語りを大切にしたいと思っていても,人間はいつでも語れるわけではないです。

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哲学者フランクは,『通常の意味での語りが破綻しているところから語りについての考察が始まる』とし,『病いの語りを聞くことをめぐって問題になるのは,身体が語りかけてくることを聞くことだ』と言いました。

つまり,“私”の語りではなく“身体”を聞くことが重要だということです。
さらに要約しますと,

相手の言葉を聞くのではなく,
身体が出すメッセージを捉えるということです。

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少し想像してり,過去の経験を思い出してみてください。
元気なときの自分でも,苦しいときの自分でも,常に一貫性のある言葉を言えるでしょうか?うまく相手に自分の気持ちを伝えられるでしょうか?
かなり,難しいことだと思います。

強烈な苦しみの前では,いわゆる普段の“私”は出現することは難しいのです。だからこそ,身体の語りを聞かなければならないということです。

とは言え,身体の語りだけに注目するわけではありません。
両方のバランスをとって聞くことが支援者の技術だとも思います。
身体からは表情や目,汗,涙,座り方,歩き方などなど身体からは様々なメッセージが送られてきます。

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ケアに携わる人,苦しい人と共にいる人だからこそ,
そういった場面で身体の語りという視点を大切にしたいですね。

【参考文献】
・榊原哲也(著):医療ケアを問い直す.ちくま新書
・西原ユミ・榊原哲也(編著):ケアの実践とは何か.ナカニシヤ出版

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