真理を学ぶ。大人になる。
真理とは変わらない真実である。
たとえば「諸行無常」、変わらないものはない。
私たちは生まれたら死ぬし、素敵な恋もいつかは終わるし、ずっと同じでいることはない。
「ずっと同じでいたい」そう思う気持ちを執着心という。これが人間を苦しめる。これも真理。
ブッダと出会ってから、わたしは真理を求めるようになった。毎日の出来事のなかで、気になった人の発言や感じた疑問について、何が真実なのかを知りたいと思うようになった。
わたしの職場には悟りをひらけそうな偽ブッダがいる。(本人曰く慈悲なしブッダとのこと)
「親友とはなにか」を問うと、「親友とか友情とかよくわからん。結婚は契約を結ぶけど、友情ってなんの契約でもないやん。何をもって友達というのか。お互いのことをどれだけどう好きかなんて計ることはできひんし、友達といえるのは仲良く過ごしてたり、一緒に過ごしてたっていう実績だけちゃうかな。だからその関係性は変わるし、いちばん難しい関係じゃないかな。」
ほぅ〜〜〜!めちゃくちゃ納得した。
偽ブッダに出会うまでは、世間一般的に考えられていることが正しいと思ってたし、真実だと思っていた。
たとえば。
友情は絶対的で美しいものだと思っていたし、犬や猫は絶対可愛いと思うものだし、新婚はラブラブで幸せなものだと思っていた。
でも、実際は違和感だらけ。
高校からずっと仲良くしてて、「親友って言えるのぱやくらい!」といつも言っていた人がわたしの結婚式へ行くことを「バカな行動」といったこと。
世間の犬猫に注がれる可愛いの眼差しとわたしのそれ。
「新婚で幸せでしょ」という言葉。
3つめでいうと、周りからも言われるし、自分の上部の心が(新婚なんだから幸せじゃないと)と思わせてきていた。
でも本当の気持ちは、一緒に生活をしていないのでそもそも結婚したという実感がない。ましてやもう6年の付き合いなので、今更ラブラブとかそういうのもない。なんでも言える友達のような、そんな感じ。それが本当の気持ち。
いつも自分に無理をさせていた気がした。
これが正しいのだから、こう思うことはよくないとか、こう思うことが普通なんだからとか。
偽ブッダは「子供2人おるけど、そんなに結婚してるっていう感じないなあ〜。だからぱやもずっとそうなんじゃない。心がクールなんじゃない。赤ちゃんが生まれたら感動して泣く旦那とか、結婚式のファーストミートで号泣する新郎新婦とか、俺らはそういうドラマチックな人たちとは違うねん。」
たしかに、ファーストミートで感動する新郎新婦は多い。でも実際、私たちは「あっ」くらいの反応だった。結婚式の後だって、「結婚してよかったね!」とか「大好き」とかではなく、「お疲れ様でした。そばでも食べにいく?」という感じ。
それでいいのだ。それが私たちなのだから。
自分や世間が作り出した「正しい」ものは、本当に正しいのだろうか。正しさとは難しい。何をもってそれが正しいのか、本当に精査されているものばかりではない気がする。
押し付けや思い込みや感情じゃない、真理を学ぶことでわたしは成長する。
偽ブッダよ、ありがとう。
一生ギリギリ乙女のぱやを、これからもよろしくお願いします。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?