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おわ恋ラバー(小田中)

こんにちは、シッパーです。性別を問わず、既存作品のキャラクター同士が特別な関係だと仮定して楽しむ 30代女性です。地方都市在住。
長らく自らの介在しない恋愛を楽しんできましたが、7年前、突然雷に打たれたように宝塚歌劇にハマり、夢女として生まれ直しました。これからは80代でも少女になれる温泉に浸かっていけると信じていたら、昨年これまた突然若手俳優にハマり、荒れ狂う大海原に漕ぎ出したところです。不安。ス、スタバカードはあげちゃ駄目なの?


「恋の終わり」と「終わった恋」

突然ですが、いやぁ! 恋って、本当にいいもんですね。
出会い、気持ちを自覚し、少しずつ距離をつめて……恋のはじまりは胸ときめきますし、恋愛中のハッピーライフを見守るのも楽しいですが、私はとくに「恋の終わり」と「終わった恋」が好きです。
恋の終わりと終わった恋は似て非なるもの。たとえるなら生傷と傷痕。ひとつの恋が終わっていくリアルタイムの様子が「恋の終わり」、時間がたって過去の出来事として懐かしむのが「終わった恋」。

【恋の4段階】
1.恋の始まり 
2.恋愛中
3.恋の終わり
4.終わった恋
※終わらない恋はないものとする

最初から丁寧に描かれている作品が理想的(悲しみが際立つので)。その上で、3と4は甲乙つけがたい。でも、4に比重があるのが好みかな。乾いた感じがいいし、思いがけず遭遇する楽しみもある。ホラーだろうがアクションだろうが「元夫婦」や「元恋人」が出てくるのは基本的に「おわ恋」(いま作った略語)作品と呼んで間違いありません。

たとえばアクション大作『ミッションインポッシブル・フォールアウト』。自らヘリの免許をとり、アクロバット飛行に挑戦したトム・クルーズのヤバさを味わうために映画館に足を運びましたが、終盤にトム・クルーズ演じるイーサンの元妻ジュリアが現れまして。その瞬間グッと拳を握ったのを覚えています。謝るイーサンに、ジュリアは語ります。「私を見て。今の私を」。あなたと過ごした日々は間違っていなかった、今は幸せだと。私、号泣。
恋が終わって愛が残るなんて手あかがベタベタついてしまった言い回しだけど、やっぱりひとつの真実なんだと思います。愛なんて呼べるほど温かくも優しくもないかもしれない。でも、見たい。そこに残った何かを見せてほしい。

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宝塚歌劇における元トップコンビ  

そういえば、宝塚歌劇団の元トップコンビにも「おわ恋」を感じてしまいます。
タカラジェンヌは複雑な存在。ひとりの女性がタカラジェンヌという仮面を被り、さらにその上に舞台における役柄の仮面を被る。男役と娘役のトップスターコンビは雑誌テレビなどさまざまな媒体でおたがいを大切に思い、ときめいている姿を見せてくれます。恋に似た、美しい幻です。
しかし、退団すればもちろんその限りではありません。実際はビジネスパートナー。退団してまでベタベタする必要はない。
でも、ときどきSNSで退団後も仲睦まじい姿を覗かせてくれることがあって……大好きだったトップコンビのそういう交流、泣けます。じつは今日も泣いた。
私たちがときめいていた幻。それは恋じゃなかっただろうけど、同じくらい素敵な、人間同士の絆だった。ありがとう、ありがとうございます……もう拝むことしかできません。
ただ、現在はまったく交流がないというのもそれはそれで味わい深いものがあるんです。その時その瞬間しか存在しえなかった輝きが、長く続く関係より劣るわけではありません。


連続テレビ小説『スカーレット』 

3月まで放送していたNHK連続テレビ小説『スカーレット』はまさに「おわ恋」フルコース。ツボをぐりぐりぐりぐり抉られました。毎日放送されるってすごいですね。時間をかけたぶん衝撃も大きい。

主人公の喜美子とその夫となる八郎。若いふたりが恋に落ちる展開は本当に可愛らしかった。ときめきを味わいたくてBS、総合、録画、BSとくりかえし見直したものですが、うってかわって中盤に訪れる別れのターンのすさまじさといったら……!
『スカーレット』はひとりの女性の人生を丹念に描くことで、人間には様々なターニングポイントでどんなに苦しい結果になろうと選ばざるを得ない選択があるのだと思わせてくれました。この時代に、ああいう育てられ方をした喜美子ならそうすると納得できた。
血が噴き出さんばかりに生々しい恋の終わりを、避けがたい業として描いてくれたばかりか、十年以上たったあとの終わった恋の行く末まで追ってくれて、こんな、「おわ恋」ラバーの私のためのドラマがあっていいのかと震えました。ちょっとこれを超える朝ドラに出会える気がしません。


『ラ・ラ・ランド』と「おわ恋」ラバーになった理由 

みなさん、『ラ・ラ・ランド』はお好きですか? アカデミー作品賞にノミネートされた名作ながら、わりと賛否の別れるこのラブストーリーは、楽しそうなパッケージと裏腹に、焦点はキッチリ「おわ恋」に合せてある、「おわ恋」ラバー垂涎の一品です。
展開に納得いかない? キャラクターに愛着が持てない? いいの、ララランドはそういうんじゃないの! と、つい頑なになってしまうこの作品のラストに涙していると、「おわ恋」っていうか、いま隣りにいない誰かとの未来を夢見てしまった、傷痕を抱えた者どもが撃ちぬかれているだけかもしれないと……思うことも……。いやいや、映像的技巧、ミュージカル演出、音楽、芝居。あらゆる魅力にあふれた映画なのは間違いありません。ただ、やけに傷痕がうずく。


中高一貫の女子校で青春を送った私は、おしゃれと縁遠い生活を送っていました。休日に出くわしたクラスメートに私服を失笑されたのは一度や二度じゃありません。素敵な恋に胸をときめかせながら、でも自分の身に起こることはないんだろうなぁと諦め……きれず共学の大学に進学。そこで、どストライクに好みの人と出会います。友人として交流するうちに、なんと付きあう展開に。ハレルヤ!!
が、二年で破局しました。原因は積もり積もった私のだらしなさ。別れた彼氏に「なぜ人は遅刻するのか」をテーマに卒論を書かれるってそうないですよね……。その卒論は「ものすごく気をつけるしかない」って結論だったとゼミの教授が笑っていましたが、でもまあ、わかる。そもそも本人に問題意識がないとはじまらないもんね。Tさんへ。私、昨年ADHDの診断がおりて投薬をはじめました。あの頃はご迷惑をお掛けしました。


恋が終わって愛が残るなんて手あかがベタベタついてしまった言い回し、なんて書きましたが、現実には何も残らない恋もあります。たぶん、その方がはるかに多い。だから私は、せめて虚構の世界でくらい、何かが残る恋を求めているのかもしれません。……えー何これ、嫌な結論!

【今回の「偏愛」を語ってくれた人】 小田中 twitter

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