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パワハラ死した僕が教師に転生したら 8.集団と階層、悪意と暴力

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 教師の4回目の社会の授業。
 少し緊張した面持ちの教師が教室に入ってくる。
 両の手のひらを上に向けて教卓に置き、憂鬱そうな表情でうつむき、しばらく目を瞑っている教師。
 突然に目を開き、彼の授業が始まる。
 
「今日の授業からは、前世の僕がパワハラ死した直接の原因を説明していきます。そして、この原因を理解するには、まず、この仕組みを知っておかねばなりません」と言いながら板書をする教師。
 
 チョークと黒板のぶつかる音。
 黒板のとても大きな字。
 
 
 
 集団と階層
 
 
 
「それは、集団と階層です。これまで話した通り、世の中には利益を、お金を欲しがる株主や社長が大勢いて、株式会社では利益の追求がなされます。株式会社はそのためにあるのです。
 では、会社が、株主が、社長が、大きな利益を得ようと思えば、どうすれば良いでしょうか?もっともっと利益が欲しい、もっともっとお金が欲しいと思ったら、どうすれば良いでしょうか?
 それには、たくさんの労働者を雇い、ビジネスの規模を大きくする必要があります。ゲームを作る会社であれば、労働者を増やし、多くのゲームを作って売れば、会社の利益は増えます。レストランを営む会社であれば、労働者を増やし、店の数を増やせば、会社の利益は増えます。つまり、大きな利益を得ようと思えば、大勢の人を集めて、大きなビジネスをすることが必要で、人の集団が必要となるのです。一人でできることは限られますが、大人数が集まれば、途方もないスケールのビジネスを行えます。何十万人もの労働者を雇い、何兆円もの利益を得ている会社もあるのです」と良く通る少し低い声で教師が言う。
 
「そして、人の集団を動かすには、ピラミッド型の、何段階もの階層のある組織が必要となります。簡単なモデルで言えば、第一階層にはリーダーが1人、第二階層にはリーダーから命令を受ける側近が3人、第三階層には側近から命令を受けるその部下が側近ごとに5人、全部で15人、といった形で下の階層に行くほど人数が増えていく組織が必要となるのです。
 株式会社の場合、シンプルな形態であれば、第一階層は社長、第二階層は取締役、第三階層は部長、第四階層は課長、第五階層は一般社員となり、下の階層に行くほど、その階層に属する労働者の数は増えます。会社には複数の部門があり、部門の中には複数の課があります。部長とはある部門のトップで、課長とはある課のトップです。
 前世の僕が勤めていたファミレスの会社では、第四階層はスーパーバイザーと呼ばれ複数の店舗を管理し、第五階層は各店舗の店長、第六階層が各店舗の社員、その下はアルバイトでした。
 何故このようなピラミッド型の階層組織が必要なのかと言えば、社長が多数の労働者一人ずつに直接命令し、管理をするのは非効率だし、時間的にも不可能だからです」
 
 教師が淡々とした口調で説明を続ける。
 
「そして、集団と階層の中では、上の階層から下の階層へ、株主の利益を最大化するための命令や要求が下されます。ある階層に属する労働者は、その階層に求められる仕事をするとともに、上の階層からの命令や要求を実現するために、下の階層に命令や要求を下します。そして、下の階層の労働者を管理し、下の階層の労働者を評価します。良い評価を得た労働者は、一つ上の階層に上がります。階層が上がると給料も上がります。
 社会には無数の、色々な規模の集団と階層があります。そして、みなさんが社会に出ると、どこかの集団と階層の最下層に放り込まれます」
 
 うつむいてしばらく黙った後、授業を続ける教師。
 
「そして、利益追求のための合理的な命令や要求が上から下に向かうだけなら、それが過酷なものであったとしても、まだ良いのです。
 しかし、集団と階層の中では、それがどのような集団と階層であっても、それだけに留まらない・・・・・」と言いながら、黒板の文字を素早く消し、書き直す教師。
 
 チョークと黒板の音のぶつかる音、チョークの折れる音。
 黒板のとても大きな字。
 
 
 
 悪意と暴力
 
 
 
「それだけでなく、多かれ少なかれ、悪意と暴力が、上の階層から下の階層に向かって、流し込まれるのです」
「・・・・・悪意と暴力?」と文香が透き通るような白い頬を少しこわばらせて訊く。
「そう、悪意と暴力です。例えば、ファミレスで、社員がお客様からの注文を取り違えたとします。マニュアルでは『ご注文を繰り返させて頂きます』と言って注文を復唱するとされていますが、満席で忙しくなるとそれも忘れてしまう。この場合に、その社員の上の者、例えば店長が『基本的なことですから復唱を忘れずに、無意識にできるようになるまで十分気を付けて下さい』と言うなら、これは合理的な命令です。それが、『お前はそんな簡単なこともできないのか?仕事は遊びじゃねえんだぞ』と言ったなら、悪意と暴力が少しあります」
 
「・・・・・まあ、でもそのくらいなら」と文香が曖昧な口調で言う。
「・・・・・ええ、この程度なら問題ではありません・・・・・でも、歪んだ集団と階層の中にある本物の悪意と暴力は、こんなものではないのです」と大きな瞳に憂いをたたえ、教師が静かに言う。
 
 目を瞑り、両手を教卓から降ろし、ゆっくりと息をする教師。
 
「・・・・・前世の僕の場合、終着駅と呼ばれていた、激務を強いられることで有名な店舗に異動した直後から、ひどい悪意と暴力にさらされました。それは前世の僕の自殺の直接の引き金です」
 
 自殺という言葉に教室の空気が一瞬、重く沈む。
 少し間を置いてから、目を開き、冷たい声で話し始める教師。
 
「その店の店長、社内一厳しいと恐れられていた店長は、身長が180を軽く超え、手足がとても太く、丸刈りで、冷たく無表情な目をした、五十くらいの男性でした。
 僕がその店に最初に出勤した時、彼は僕を上から下までまじまじと眺め、掠れた低い小声でゆっくりと『お前、イズムを、全く、体現してねえな』と言った。僕はどことなく不安を感じました。
そして、数日後の閉店が近づいた頃、彼が『お前、ちょっと来い』と言うので、僕は彼の後を追って事務室に向かいました。事務室に入ると彼はドアのロックをかけ、僕の胸倉を掴み上げた。
 『お前は・・・・・何だ?俺の店、舐めてんのか?・・・・・俺を舐めてんのか?・・・・・会社、舐めてんのか?』と彼が掠れた小声で言い出した。
 僕は状況が飲み込めず、『止めて下さい、何なのですか』と言った。その瞬間、僕は腹を殴られました。前世の僕も小柄な方でしたから、彼とは大きな体格差があった。そういう相手から腹を殴られると、一時的に呼吸が止まり、パニックになる。そして、引きつるように回復する呼吸とともに、ねじれるようなひどい痛みが来る・・・・・。
 それで恐る恐る彼を見ると、冷酷な目の周囲だけが満足げに笑っていた。
『行き場のねえクズが。どこかお前に行き場があんのか?』と、彼は静かに言った。僕は気が動転して、どうしたら良いかわからなった。
 彼は、『お前、何回、注文取り違えてんだ?お前、本当に健常者か?』と言った。そして、左手で僕の髪を強く掴み、僕の頭を前後に引っ張りながら、『お前、謝らねえのか?料理作り直した分、店の利益減っただろ、お前、謝らねえのか?』と低い小声で言った。
 僕がためらっていると、彼は突然、大声で『謝らねえのか』と怒鳴り、僕のふくらはぎを思い切り蹴りつけた。突然の怒号と足の痛みに僕は震え上がり、反射的に『すみません』と言ってしまった。
 『聞こえねえなあ』とつぶやき、彼はもう一度、ふくらはぎを思い切り蹴飛ばした。僕は大きな声で『すみませんでした』と言った。
 僕の髪から手を離した彼が、『全く人間以下が・・・・・親の顔を見てみてえなぁ』と言った」
 
 押し黙って教師の話を聞く生徒達。
 何かを確認するようかのように目を瞑り、ゆっくりと息を吸い、しばらくしてから目を開き、授業を続ける教師。
 
「彼は冷めきった目で僕を見つめ、『お前、与えられた仕事やるだけならバイトと同じだろ・・・・・店の利益、会社の利益のために・・・・・無限の成長のために、瞬間瞬間、全神経を研ぎ澄ませて極限まで戦う、そういう闘争心のある人間の集団、それがうちの会社の社員・・・・・それがうちの会社のイズムだろ・・・・・そういう意識があったら、注文の取り違えなんか出来るか?お前、そういう意識・・・・・あんのか?意識がねえならバイトでいいだろ、じゃあ、お前、要らねえなぁ・・・・・』と言った。
 そして、『お前くらいのクズだったら代わりは腐るほどいる・・・・・会社のためにならねえクズはどんだけでも潰してやる・・・・・お前、生き残りたかったら意識上げろ、もっと高めろ』と吐き捨てるように言った。
 彼は僕に顔を近づけ『お前、いくつだ?』と訊いた。『三十九です』と答えると、彼は『お前・・・・・本当に39年、生きてきたのか?そのガキみてえな面でか?このオカマみてえな鬱陶しい髪でか?』と言い、僕の髪を掴み、『切れ、坊主にして来い。鏡で坊主頭見たら、俺が今言ったことを思い出せ。意識だ、意識上げろ』と言い、髪をちぎれそうなほど強く引っ張り上げた」
 
「それから彼は机の上の時計を見て、『今日は最初の指導だからな、このくらいにしといてやる・・・・・お前、指導してもらったら、言うことは?』と言った。
 僕は恐怖で頭が真っ白で、何一つ言葉が浮かばなかった。彼はしばらく待った後、『お前の頭は、ものを考えるってことができねえのか?・・・・・御礼だろ』とうんざりしたように小声で言った。
 どうしてこんな目に合わされているのに御礼しなければいけないのか、と考えているうちに、さっきよりずっと強く腹を殴られた。僕は呼吸が全くできなくなり、腹を抱え、前屈みに倒れてしまった。のたうち回るような痛みの中で『お前、本当に人間以下だな。謝るとか、感謝するっていう人間らしい感情がねえんだな』と言う彼の声が聞こえてきた。
 彼は、倒れている僕の頭を踏みつけて『・・・・・御礼は?』と言った。僕は震えながら『ありがとうございました』と言った。
 しばらくして、なんとか立ち上がった僕に、彼は『人間以下は反省しろ、毎日これに反省文を書いて俺に出せ』と言い、新品のノートを僕に向かって放り投げ、僕に事務室から出て行くよう、顔をドアの方に向けた」
 
 目を瞑り、何度か深呼吸をし、目を開く教師。
 
「それから翌日も・・・・・」
「・・・・・先生、もうそのくらいで・・・・・聞いているのがつらい」と文香が眉間にしわを寄せ、目を伏せて小声で言う。
「止めません、みなさんはもう来てしまった・・・・・集団と階層まで来てしまったのです・・・・・」と言い、教室の宙の一点を見つめながら、表情をなくした教師が授業を続ける。
 
「そう、翌日の夜も彼に事務室に呼ばれ、同じように胸倉を掴まれました。
 こんなことが繰り返されたらたまらないと思っていたので、僕は力を込めてその腕を掴み返した。その瞬間、彼は僕の胸倉を恐ろしい力で真横に引っ張り、僕はバランスを失い、書類棚に頭を打ち付け、足を投げ出して尻もちをついてしまった。
 そして、間髪を入れずに彼が僕の腹を踵で思い切り踏みつけた。胃が潰れたような感覚がして、強烈な痛みに僕の顔は歪み、一瞬のうちに涙が出た。
 彼は冷たい眼差しのまま声を出さずに笑い、僕を見下ろし、『人間以下が人間に触るんじゃねえ』と言い、もう一度僕の腹を踏みつけた」
 
「『謝れ』と彼が小声で言い、僕は尻もちをついたまま『すみませんでした』と言った。『馬鹿野郎、謝る時は土下座だろ』と彼が静かに言った。
 僕は痛みと恐怖に震えながら膝を折り、両方の手のひらと額を床につけて土下座をした。彼は僕の頭を踏みつけながら『謝れと言ったんだ』と怒鳴った。僕は『すみませんでした』と泣きそうな大声で言った。
 彼は屈みこみ、土下座したままの僕の髪を強く引っ張り、僕の顔を上に向かせ、『お前、これはなんだ?坊主にして来いって言ったよな』と言った。
 そして、『いつ切るんだ?』と小声で繰り返しながら、強く掴んだ髪を前後に大きくゆっくり引っ張った。僕は『明日切ります』と言った」
 
「彼は手を放して立ち上がり、土下座をしている僕の頭を踏みつけ、『お前の反省文、これは何だ?』と言った。
 『復唱を忘れないようにする、店の利益に貢献するって・・・・・これは何だ?』と言い、僕の頭を軽く蹴飛ばした。
 『こんなもん書けって言ってんじゃねえんだよ・・・・・お前自身を見つめろ、人間以下の腐ったお前の本性を見つめろって言ってるんだ』と言いながら、彼は僕の髪を引っ張り上げて僕を無理矢理立たせた。
 『こんな綺麗事じゃねえ、ここまで腐って生きてきたお前を反省しろ。自分が虫ケラ以下だと分かれ。お前自身を、腐り切ったお前自身を全て否定してみせろって言ってんだ。人間以下はそこからしか始めようがねえだろうが』と怒鳴り、彼は反省文が書かれたノートのページを破り取り、丸めて僕の顔にぶつけた。
 彼は僕の胸倉を掴み上げ、僕を睨みつけ、『書き直せ。次にこんな舐めたもん出してきたら、殺してやる』と静かに言った」
 
 少し苦しそうに肩で息をしている教師。だが、口調は冷静で淡々としている。
 
「こういった形で週に3、4回、店長と同じ時間帯のシフトに入った時には、肉体的な暴力と人格破壊の言葉、そして、僕の書いた反省文の否定が、エスカレートしながら延々と繰り返されました。
 どれもひどい苦しみでしたが、自己否定の反省文を書くのが一番辛かった。これは嘘だ、現実を乗り切るための作文に過ぎないのだと割り切ったつもりでいても、書いた言葉は確実に自分に向かってくる。いつまでも頭の中にとどまり、本当に自分を否定してくる。言葉には恐ろしい程の力がある。そして、自己否定の言葉を繰り返しているうちに、心が苦しくてたまらなくなる。何の思考も感情も持たず、ロボットのようになって、ただ毎日が過ぎ去って行けばどんなに良いだろうと、本当にそう思えてくる・・・・・あのノートに書いたことだけは、誰にも言いたくありません」
 
 左胸に青白い右手を当て、何度も深呼吸をした後、授業を続ける教師。
 
「それから、僕が受けた悪意と暴力はこれだけではないのです」
「・・・・・うー、アトム先生、もういい・・・・・もうこのへんで」と顔をしかめた優太が小声で言う。
「よくありません、これはとても大事なことなのです・・・・・それから、僕は店長に色々と行動を束縛されていました。暴力を恐れるあまり、僕は奴隷のように、彼の言いなりになっていた。
 『人間以下が人間並みに休んでたら人間以下のままだろ』と言われ、シフトの入っていない日にも店に出勤していた。僕には休日がなかった。いつも全身が疲れきっていて、激しい動悸が続いていた。
 『使い物にならねえクズに飯食ってる暇があるのか?飯が喉に通らない位、意識上げて仕事しろ』と言われ、仕事中は食事を摂らなかった。8時間とか、ひどい時は10時間とか、何も食べないで働いていた。
 同じ理由で、トイレに行くなとも言われていた。どうしても我慢できなくなった時は、店長の許可を得ることになっていた。でも許可はすぐには得られず、許可を求めるたびに店長がアルバイトの前で『人間以下が便所だと』と呆れたように言った。それで、みんなが僕を笑った。ようやく許可が出た時には、アルバイトの誰かが『いってらっしゃい』と僕を馬鹿にし、みんなが僕を笑いものにした。
 ・・・・・そう、あの店長は僕がミスをすると、みんなの前で僕を人間以下と罵倒し、頭を叩いた。そのせいで、アルバイトの数人が僕を無視したり、人間以下と呼んだり、頭を叩いてくるようになった。他のアルバイトも、汚物でも見るような目で僕を見ていた・・・・・そう、僕は、彼らからの侮蔑と嘲笑、悪意と暴力の真っただ中にいた・・・・・」
 
 教師が少し震えた声で言う。
 
「・・・・・いいですか、これが人間なのです・・・・・僕が、店長が、アルバイトが・・・・・これが歪んだ集団と階層の中の・・・・・人間なのです・・・・・」

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