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パワハラ死した僕が教師に転生したら 7.お金がないとできません

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 ようやく暖かくなってきた4月中旬の教室。
 そこでの生徒達の悪ふざけとざわめき。全ては二度と戻らない青い春の一瞬の出来事。
 教師の3回目の社会の授業の続き。
 
「ふーんだ・・・・・カネ、カネ、カネって・・・・・俺、そういうの大嫌い・・・・・そんなの人の勝手・・・・・学校の先生が上から押し付けは・・・・・変」と言う優太。
 
 大きな瞳でしばらく優太をじっと見つめる教師。
 
「うーん、でも、優太さんがそう思うのは、貧しい労働者の厳しい生活を知らないからかもしれませんね。前世の僕があの最後の会社に勤めていた時の毎月の家計は・・・・・」と言って素早く板書を始める教師。
 
 チョークと黒板のぶつかる音。
 黒板には数字ばかりが並ぶ。
 
 
 
月給 200,000円
[天引き]
  健康保険料 △ 10,000円
  厚生年金保険料 △ 18,300円
  雇用保険 △ 1,200円
  所得税 △ 3,700円
  住民税 △ 7,000円
  まかない食事代 △ 10,500円
  研修教材費 △ 2,000円

月給(天引き後の手取り=実際に受け取れる金額) 147,300円

毎月必ず生じる支出
  家賃 60,000円
  電気代 6,600円
  水道代 2,200円
  ガス代 3,000円
  スマホ代 7,500円
  食費 28,000円
  被服費 5,000円
  日用品費 3,000円
  床屋代 2,000円
  交通費 3,000円
  医療保険 6,000円
   合計 126,300円

月給(手取り)147,300円-支出合計126,300円=21,000円
 
 
 
「ボロアパートに済んで、ご飯だけ炊いておかずはとにかく安く、スーパーのセールかコンビニで買ったものばかりで、他に無駄な支出はゼロ、それでも2万円しか残らないのです。おかずも自炊すればもう少しは残せるかもしれませんが、仕事で疲れ切っていてそんな気力はありません。それで、親戚の冠婚葬祭があったり、冷蔵庫や自転車が壊れたりすると、もうほとんど残らない。あるいは、わずかな貯金を取り崩すしかないのです」
「・・・・・アトムはこの時、幾つだ?」と冬司が乾いた声で訊く。
「三十九歳でした」
「・・・・・さすがにひどくねえか?これならバイトでも・・・・・」
「まあ転職とか、色々ありましたから・・・・・ちなみに、この会社では賞与も退職金もありません。だから入ってくるお金はこれだけです」
「無欲なシマウマの末路がこれか」と腕を組んだ颯太が冷たい声で言う。
「・・・・・でも2万も残るなら、良くない?」と優太が訊く。
「いや、これでは何もできませんよ。美味しい食べ物、そうですねえ、例えば焼肉なんて、全く縁がありません。すごく安い焼肉屋でも、お腹一杯食べようとすれば、3、4千円は掛かるのです」
「うー、でも2万もあるなら、何度かは食べられる」と優太が丸い瞳に笑みを浮かべて言う。
「・・・・・まあ、食べればいいかもしれませんが、もともとこんなギリギリな家計なのですから、貯金もしておかないと、何か大きな支出があったら即アウトなのですよ」
「・・・・・」
「それに、貯金は諦めるとしても、2万円では、もし彼女が出来てもデートにもいけませんよ」
「うー・・・・・デート?」とポカンとした顔で訊く優太。
「そう、うー、デート、なのです」と優太のつぶらな瞳を覗き込んで教師が言う。
 
「週に一回、月に4回デートするとして、2万円しかなければ、1回のデートに使えるお金は5千円しかないのですよ。その前に焼肉を1回食べていたら1万7千円しか残ってないから、1回4千円ですよ」と淡々と続ける教師。
「4千円もあれば、色々できるんじゃ・・・・・」
「できませんよ、高校生のデートではないのですから。4千円では割り勘にしてもらっても、交通費と昼夜の食事代だけでほとんどなくなってしまいます。映画のチケットとかまで手が出ません」
「でも公園とか川岸とかを歩いたりしとけば・・・・・」
「そんな出家したお坊さんの散歩みたいなデートで、女の子が満足してくれるんですか?特に女子大生とか、若い年代の女の子は色々なところに行きたがるのですよ」と呆れたように言う教師。
「・・・・・そうなの?」
「そうですよ・・・・・優太さん、例えば、彼女にディズニーランドに行きたいと言われたらどうするんですか?
 土日に行くなら入場料だけでだいたい一人1万円くらいはするのですよ。それに、パーク内で食事も取らないといけません。安いレストランで食べても昼夜合わせれば一人3、4千円はするのですよ。それからアイスを食べたりジュースを飲んだりする、これも一人千円くらいはかかるのです。都内からディズニーまでの電車代も往復で一人千円超はするのです。
 全部割り勘にしてもらっても、焼肉を1回食べてしまっていたら、もう月のデート予算のうち2千円しか残っていませんよ」
「ご飯は彼女にお弁当作ってもらう、愛のこもったやつ」と優太が無邪気な表情で得意げに言う。
「お弁当はディズニーランドのパーク内では食べられないんですよ。一度パークから外に出て、ピクニックエリアまで行ってお弁当を食べて、また戻ってこないといけないじゃないですか。それに晩御飯はどうするのですか、晩御飯分のお弁当も作ってもらうのですか?荷物にもなるし、彼女も嫌がりませんか?」
「うー・・・・・夕方ごろに帰ってきちゃだめ?」と困ったように訊く優太。
「それではナイトパレードが見れないじゃないですか?あなたは何のためにディズニーに来たのですか?」と強い口調で言う教師。
「・・・・・?」と首をかしげる優太。
 
「・・・・・だから・・・・・ディズニーとはナイトパレードなのです。それで、朝から色々なアトラクションを回り、夜になってレストランで晩御飯を食べた後は、ナイトパレードを8時頃まで見るのです。夜の闇の中をイルミネーションに覆われた大きな汽車とか、かぼちゃの馬車とかが、ディズニーのキャラクターを乗せて、音楽とともに行進して行くのです。ミッキーとか白雪姫とかが優太さんと彼女に手を振ってくれる、イルミネーションの色が幻想的で、思わず彼女も子供のように魅せられてしまう・・・・・」と徐々に熱を帯びていく口調で教師が言う。
「・・・・・?」と再び首をかしげる優太。
「・・・・・何故だか女性は、暗がりの中のそういうキラキラしたファンタジックなものを見ると盛り上がる、胸が高鳴るのです。そんなものは人生における一瞬の幻に過ぎませんが、でも、最高の幻なのです。それで、黒く細い真っすぐのショートカットの髪がとてもきれいで、瞳が愛くるしく大きくて、肌が透き通るように白い、華奢だけど胸は大きなミニスカートの彼女の頬がピンク色に染まって、優太さんを見つめてくるのです。その年代の綺麗な女の子にしかない、その瞬間だけの美しさをもった彼女が、優太さんの瞳を見つめてくるのです。そして、その子の真っ赤な口紅に覆われた唇が『優太くん・・・・・』と言うのです。そうしたら・・・・・」
 
 赤らめた頬の上の細めた瞳が潤み、目尻の垂れ下がった教師が、興奮した口調で、唇の先をすこし尖らせながら続ける。
 
「そうしたら・・・・・お、お、お・・・・・」
 
 両方の人差し指の先をつんつんと、くっつけたり離したりしている教師。
 
「・・・・・クソだりぃな、早くやれよ」と冬司が舌打ちをしながら言う。
「・・・・・そうしたら、お、お泊りをしたくないですか。今すぐ、その近くに、1秒でも早くお泊りしたくないですか?青い春は一瞬を争う、だから優太さんはすぐに、1秒でも早く、お泊りをしたくないですか?」とせっかちに教師が言う。
「うー・・・・・し、したい・・・・・かも」
「そうしたらホテル代もかかるんですよ、ディズニーランドホテルなんか今の土曜日だったら8万以上はする、優太さんにこれは無理だとしても、近くの安い愛のホテル、男と女が愛し合うホテル、つまり安いラブホテルでも8千円くらいはするんですよ」とまくし立てる教師。
「それは・・・・・知ってるけど」となんとなく言ってしまう優太。
「へえーっ、知ってるんだぁ」と愛鐘の甘く整った桃色の唇がつぶやく。
「でも優太さん、あなたのお金はもう2千円しか残ってないのですよ、ホテル代が8千円するのに、ですよ。優太さん、あなたは一体どうするんですか?あなたは何のためにディズニーランドに来たのですか?優太さんはこのままでは・・・・・」と悲壮感を漂わせた口調で言う教師。
「うー、それは、で、でも、アパートに戻って・・・・・」と慌てて言う優太。
「優太さん、あなたは何を言ってるんですか?混んでいる帰りの電車の中で灰色の現実を見せつけられて、都内のアパートに戻るまでにナイトパレードで高ぶった彼女の気持ちが冷めてしまったらどうするんですか?」と再びまくし立てる教師。
「うー・・・・・」とうつむく優太。
「それじゃあ、で、できないじゃないですか?」と深い悲しみをたたえて静かに言う教師。
「・・・・・?」
「それじゃあ、優太さんは、セ、セックスが、できないじゃないですか・・・・・優太さんは、お金があれば出来たはずの、あの綺麗な彼女とのセックスが、できないじゃないですか・・・・・う、うわあああああああーっ」と狂おしく高まり切った女性への憧れと取り返しのつかない後悔をぐちゃまぜにぶちまけたような赤い顔の教師が、顔に両手を近づけ、今にも泣きだしそうな声で捲し立て、大声で呻く。
 
「うー、なんで・・・・・俺の話になってる?」と眉間にしわを寄せて言う優太。
「・・・・・先生は、さっきから、顔がとっても、えっち、です。あっはっはっはっは」と瑞々しい大きな瞳で教師を見つめながら楽しそうに言う愛鐘。
「・・・・・は?」と我に帰る教師。
「今すぐその顔を止めて下さい。顔がセクハラです、顔だけでセクハラです。授業内容も使ってる言葉も全部セクハラです。止めないと相談窓口に通報します」と黒縁眼鏡の奥から刺々しい眼差しで教師を睨みつけ、まくし立てる文香。
「・・・・・スゲェ顔だな」と両手を頭の後ろで組み、長身を反らせて静かに言う冬司。
「・・・・・すげえパラノイア、でもある」と同じように長身を反らせ、冷たく言う颯太。
「パラノ野郎!どんな顔ったらぁぁぁぁぁ!そんな顔ぉぉぉぉぉ!」とさらに長身の鳥居が腕を伸ばし教師の顔面を指さして大声を上げる。
 
「・・・・・失礼しました、授業に没頭しすぎた」と言い、頬を指先で揉みほぐし、いつもの表情を取り戻す教師。
 
「とにかく、前世の僕の収入では、彼女を作るのも難しいし、結婚はさらに難しいのです」
「この3倍でもそれはない、かなぁ」と薄桃色のやわらかな頬に右手をあてて言う愛鐘。
「私もこれはちょっと・・・・・若いうちだけならいいですが・・・・・子供欲しいですし」と淡々と言う文香。
「うー・・・・・そうなの?」とうなだれた優太が言う。
 
「もちろんこのくらいの収入でも、彼女がいたり、結婚して、つつましくとも相思相愛でとても幸せに暮らしている人もいます。独身でも楽しく過ごしている人もいます。それはそれで、素晴らしいことです。でも、そこにお金があれば、ディズニーにも行けて、なお幸せではないですか?お金はあればあった方が良くないですか?」
「うー・・・・・世の中、結局、カネ、カネ、カネ?でもさぁ・・・・・」と優太が言う。
「優太さん、世の中には、色々な人が一生懸命作ってくれた、素晴らしいものがたくさんあるんです。美味しい食べ物もそうですし、ディズニーランドもそう、他にもたくさんあるのです・・・・・・そして、愛する人ができて、愛し合ってその人との間に子供ができて、そして育っていくのです。優太さんは、この素晴らしさに満ちた世界を味わわなくて良いのですか」と問いかける教師。
「・・・・・でも俺、カネカネ言うのは絶対、嫌・・・・・俺らしくない・・・・・さっきアトム先生が言ってた、つつましく、あったかいので・・・・・」
「・・・・・優太さんはどうしてそんなにお金が嫌いなのですか?どうしてそうブレーキを掛けるんですか?何も欲しがらず、素晴らしい世界から引きこもっていることが自分らしいのですか?」と口調を強める教師。
「うー、何で・・・・・俺ばっか責める?」と教師を睨みつける優太。
「あ・・・・・すみません・・・・・いや、優太さんはお金に対する考えが前世の僕とそっくりだったので・・・・・」
 
 亜麻色の髪を触っていた愛鐘が、ふと思いついたように「・・・・・あっ、もしかして、前世の先生は、ずっと御童貞様、でしたかあ?」と瞳をキラキラさせて言う。
 
「・・・・・え?」
 
 愛鐘の突然の一言に思わず赤面して下を向いてしまう教師。その教師と同じ顔をしている優太。そして、大人のような顔をする男子達と優越的な無表情をたたえる颯太・・・・・。
 
「キャー、その変な顔もセクハラー」と文香がヒステリックな声を上げる。
「パラノ野郎!それ顔ハラ!顔ハラァァァァァ!」と大声で言う鳥居も赤面している。
「うー、俺もう、この先生、大嫌い、なんで俺ばっかにマウント?」と優太がウェーブのかかった髪をかきむしりながら言う。
「・・・・・優太がさっきマンモスで絡んだからだろ、アトムきっと根に持つ性格なんだよ」と冬司が言う。
「ははははは、そんなことはありませんよ」と照れ笑いをして言う教師。
 
「ああ、ずいぶんと脱線してしまいました。そろそろ戻らないと。僕のパワハラ死について話そうとしていたんでしたね。でも優太さん、社会に出るまでに、僕が今言ったことについて、何回も考えて見て下さい。前世の僕は、そんなことは全く考えなかったのです。
 それから、何をするにしても、また、将来のことを考えるにしても、いくらお金がかかるか、その金額を詳しく知った方が良いと思います。例えば焼肉でも、ディズニーランドでもそうです。ネットで調べれば大抵のことの金額は分かります。優太さんがこれから人生に望んでいくことにいくらのお金が必要なのかを、できるだけ早く、はっきり知った方が良いのです」
 
「うー・・・・・この人、なんでこんなに上から?・・・・・」と首を思いっきりかしげた優太が呆れた顔でつぶやく。

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