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東京上空から見えた世界

日本は、数回訪れた過渡期を経て、
新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言が全面解除された。

でも、白い巨塔内の状況は何も変わらない。
相変わらずの重症度だ。
「生きる」か「死ぬ」か。

今日が「友引」かと思うくらい、
次々に人が亡くなった日も数えきれない。

24時間、心が休まる瞬間がない。


毎朝7時前から教授回診は始まる。
スタッフの絶対数が不足している状況で、
このコロナの対応に追われているみんなの顔に、疲労の色は隠せない。
みんな、この期間に間違いなく痩せた。

そして自分はというと、
もがいている。かなりもがいている。
目には見えない何かと常に闘っている。

多分、人はこれを「病んでいる」というのだろう。自分自身、とにかく笑えない日が続いていることはわかっているし、終息が見えない中で、次々に決着を付けていかなければならない。

心が、疲れている。
自慢の体力も、消耗しきった感がある。


コロナ対応のN95というマスクは、在庫不足により、病院で自分たちはもう一ヶ月以上も毎日同じマスクを使っている。

アベンジャーズのように勢揃いして並べられている、お弁当箱くらいのマスク入れの箱には、
一個一個にそれぞれの名前が書かれている。

普通じゃない。

N95は、本来一回毎使い捨てのマスクだ。
それをもう、一ヶ月以上同じのを毎日毎日。

壊れたら修理してまで使っているN95。

在庫切れを迎えてから
スタッフ一人ひとりに与えられたN95は、
最大数「1」だった。

着脱する際に息を止めているけど、
絶対吸い込んでるだろうと思う。

それでも自分たちはコロナを発症しない。
これはもはや気持ちの問題だ。


たまにドクヘリ(ドクターヘリコプター)で東京上空から見渡すと、煌びやかなはずの東京がどこか物足りなく、くすんで見える。
それは、東京自体によるものなのか、
自分の目によるものなのか。

少なからずこの世界は人によって、
色も風景も、温度も変わることを知った。

変わらないのは、これからも「生きていくこと」、そして、その「人」を絶やしたくないというみんなの思いだ。


昨年から、今年の夏頃に泊まろうと予約していた宿があった。
予約をする時に「キャンセル不可」ということを承知の上で予約した。
でも、まさかこの状況だ。
行けるわけがない。
そして病院からは、独自のロックダウンが唱えられている。

また、コロナに汚染された自分が、
宿に泊まることで迷惑をかけてしまうであろうことも恐れている。

でも、行けなくても、お金を払わなければならない状況だとしても、今自分は自分の持ち場として、人の命と自分の命に責任を持つべきだと思った。
だから宿にキャンセルの連絡を入れた。

事情を話すと、
「お気になさらないで下さい。大変なことかと思いますが、体に気を付けて過ごされて下さい。また何かの時には、御利用お待ち申し上げております。」と。

その優しい言葉に、涙が出た。
本当に感謝でしかなかった。

世界が落ち着いたら、必ずその宿に泊まりに行こうと心に決めた。


日本は今、一丸となって闘っている。


東京上空から見た世界がいつもの東京に見える日が来るように、ボクたちはずっと闘い続けていくのだろう。



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