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『はふりこと解説』 生きがいの五階層〜人であることを味わい尽くす

皆さん、こんにちは。
Parole編集部です。

先日、こちらの記事『はふりこと』をフォローすることで、意識進化が加速することについてお知らせいたしました。

お伝えした内容をご理解いただけたことが、その後のフォロワーの皆さんの数字に反映されております。ありがとうございます。

さて本日、『はふりこと』にて公開させていただいた「生きがいの五階層」に関するツイートにつきまして、弊社研究員がグループ会社と白川学館の会員様に向けてお話させていただきました。

その内容をいち早く弊誌読者の皆さまにお伝えさせていただきたく存じます。


おはようございます。

はふりことの方には、
先行して掲載してありますけれども、
感情マスターの後に「神魔人獣」の表を使って
自分の生きがいを照らし合わせる、
ということをお話ししています。


これはスタッフの皆さんだけでなく、
はふりことを御覧になっておられる
皆さんにも共通して認識していただきたい、
大切なこととなります。

まだこちらを御覧になられていない方も
いらっしゃるかもしれませんが、
この感情マスターの表というのは、
ある意味人間の心の動きをベースにしています。

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一方、人間というのは神魔人獣といいまして、
人の思考だけで動いている訳ではなく、
魔の心境であったり、あるいは獣であったり、
また神というそういった心境も
同時に兼ね備えている存在であります。

これを表にしたのが
神魔人獣のチャート図になる訳ですけれども、
重要な点は、その中の人の世界を
しっかり極めるといいますか、
一つ一つの情をしっかりと味わうというところが
所謂、“生きがい”に繋がるわけです。


人の世界から、時には魔の心境になったり、
表の中を色々移動しますけれども、
必ずやはり人に戻るというのが
本来の私達のあり方だと思うんですね。

ところが、世の中の動きを見ていると、
獣であったり魔の心境という階層を
ずっと生きている方もいる、
という事がある訳ですね。

一方で、常に神の心境でいられるかというと、
それはある種の感情的な世界で、
そのような気持ちでは出来ますけれども、
やはり人の世界が重要で、
そこから、いかにあらゆる体験をして、
生きがいと言うか、
満足するかということが
問われているのではないか、と思います。

仏教の世界に、
六道輪廻という考え方があり、
六道という世界が、
餓鬼、畜生、修羅とか、
また天人という事でありますけれども、
実は天人って言うと皆、
素晴らしいというか、
神のような存在と考えますけれども。

階層図_2


そうではなくて、この天人という世界も、
ある種、本当の神ではなくて、
人間の感情体験の中の最高の位置と
捉えることもできるんですね。

例えば、優しい人とか、
いつも良い人っていうのがいますけれども。

人に尽くすような方というのは、
たしかに良い人ではあるんですけれども、
天人という事で、どちらかというと
菩薩行的なところがあって、
その場合はまた輪廻に入っちゃう
というのが仏教の教えになっている訳ですね。

ところが、その上に声聞界とか縁覚界とか、
菩薩界、仏界ってありますけれども、
所謂、上に抜けますと、
本来的な仏というか、
神の世界というのがあります。

ですから、これはチベットの
悪霊の18分類もそうですけれども、
悪霊の一番、見抜きにくい悪霊
というのは何かというと、
成就者とか、長老というものが
一番見えにくいんですね。

というのは、成就者と言うと
皆さん、立派だということで、
崇めたりして、
そういう方もいますけれども。
ただそういった人達も実は
悪霊だというふうに、
チベットでは言っている訳ですね。

なぜかと言うと、
そういった成就者というか、
長老という類もそうですけれども、
人を集めて教えを説くんですけれども、
全部それは個の利益のための
教えと言うか、個人個人が悟るための
教えをしているんであって
公を豊かにするものではない、
という事があります。

ですからチベットの
悪霊の18分類に関しては、
一番、それこそ餓鬼のような存在から、
成就者という悟った人
というのがありますけれども、
やはり、にわか悟りというか。
悟ると人を集めて教えたくなる
という心境の方もいて、
これを悪霊だというふうに
言っている訳ですね。

ですから、仏教でいうと、
先程の天人もそれと同じ位置にあたる訳ですけれども、
しかしそういったことも、
神魔人獣の中に全部入っていまして、
それを体験することで、
人間の全容を知ると言うのでしょうか、
有り様を理解すると言うところがあって、
そういったことがまた、
生きがいの側面につながってくるかな、と思っています。

ですので、できるだけ皆さんの
心の中に沈めている感情とか、
一旦、自分の心の表に出して、
しっかり見るということが
必要になろうかと思うんですね。

人に別に感情をぶつける
というのではなくて、
自分の気持ちを正直に出してみる
という事が必要だということですね。

意外と野蛮な考え方とか、
人によって様々ですけれども、
そういうのは自分で
出さないようにしている
という方がいると思うんですけれども。

そういった考えを表に出さないと、
どうなるかと言うと、
大抵、病気になるんですよね。

本当はこう思っている
というのを出さないと病気になりますので、
一旦、自分は「本当はこう思った」と、
まずは出してみることが大事であると。

それを出すことによって、それを認めて、
ただし自分はこの感情には従わないと決めて、
正しい道でやっていくっていう、
そういう事が、これから求められてくるように思います。

ですから、どの感情が良いというよりも
それは一つの感情という階層ですので、
時には自らが鬼になる
という必要もあるんですね。

たとえば目の前の人が
危険に遭遇している時に、
なすがまま、なされるがままに、
という訳にはいかないですよね。

ですからそういう局面になった時には
自らが本当に修羅となって相手を叩きのめす、
というくらいのことも自分の中に持っておかないと、
それはもう良いようにやられちゃう訳ですね。

ですから、どの感情が
良いというのではなくて、
しっかりとそれを使い分けるように、
まず自分の感情の正直なところを認めて、
本来こうあるという姿を自分で決めて、
実行していくという事をやっていきますと、
非常に人生というものも幅が広がりますし、
また色々な局面にも柔軟に対応できるようになりますので、
是非そういった事も踏まえて、
皆さんの中で実践してみてください。

ありがとうございました。


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